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過ぎ去りし日  作者: 歩野
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女あそび

 俺は童貞を失うのが遅かった。その反動か、女を知った後は一気にのめり込んでいった。だいたいオスの本能には、女とセックスすることがインプットされているのだ。ましてや旺盛な二十代前半である。これを抑えろというほうに無理がある。

 とはいえ、セックスしたいがために女に優しい言葉をかける事はしなかった。それをすることは最終的にその人を傷つける事が分かっていたからだ。

 常に潔い男でいたい、という思いが強かった。

 セックスしたいだけなら風俗にいくか割り切って関係を持つ女を相手にするべきである。この考えは童貞の頃から持っていた。それなら女性を傷つける事もないし、後腐れもない。

 そういった考えの元、俺は風俗遊びに躊躇なく足を踏み入れた。もちろん素人も相手したが、風俗の方が多い。何回行ったかなんてまったく覚えていない。

 肉体的快楽は素人より風俗の方がいい。ふだん男は攻めるほうだが、風俗は受身でいいぶん体も楽だし快楽も深い(テクニシャンが多いからね)

 しかし暫くするとつまらなくなった。所詮、お金での関係。精神的に満たされないのである。それに俺はセックスの際、女性の快楽に喘ぐ顔を見るのが何よりも好きなのだ。

 そんなわけで初めの頃は楽しかった風俗遊びも、二十三、四を境に行かなくなった。

 多少、物事が解るようになって感じることがある。

 やはりセックスはいい。しかしそれは心を許せる相手とのセックスである。

 人間は人に認知される事で精神的に安定している。

 少なくとも俺は、セックスはすべてをさらけだしてやるものだと思っている。自分のすべてを相手に受け入れてもらうことで、心を許せる者のすべてを受け入れることで、精神的に充実し肉体的快楽も深まると思う。

 それを頭で思うのではなく実感として持てるようになった。


 残念ながらゲイの気はない。俺は生理的に同性愛者にはなれないのだ。バイセクシャルなら二倍楽しめただろうに。かえすがえす残念である。

 かといって同性愛者を否定する気はない。未だ偏見の目で見られて可哀想だとさえ感じる。自殺者数も多いと聞くし。

 これを読んでいる人はどうか偏見を捨てて欲しい。同性しか好きになれないのは、閉鎖的な社会に於いて悲劇なのだから。

 他人に迷惑さえかけなければ、何をやっても許されるんじゃないの。違うかい?


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