幸せを呼ぶ小槌
「ぴ~こぴこぴこ、ピコピコハンマー♪ かっわいい、わたしの、打ち出の小槌~♪」
少女は歌いながらハンマーを振り下ろす。
振り下ろす度に音が鳴り、幸せがあふれ出る。
夜道に歌声が響いていた。
その歌は少し調子っぱずれで、けれど歌い手の機嫌の良さが伝わってくるような明るい歌だ。
「ひとふりすれば、背が伸びて~。ふたふりすれば美少女に~。さんしでお金がざっくざく! さてさて五回目、なにがでる~?」
「ご機嫌だね、咲喜ちゃん」
歌い手に声をかけたのは人の良さそうな青年だった。彼は手を繋いでいる少女に控え目な笑みを向ける。
「うん! 楽しいよ!」
対して、手を引かれている少女は満面の笑みを弾けさせた。それだけで夜道が陽に照らされたような、そんな錯覚を覚えるほどの幸福に満ちた表情だった。
こんな表情を浮かべる事は、少女にしては珍しい事である。
今年で五歳になる彼女だったが、歳相応に笑う事は非常に少なかった。
それは偏に家庭事情によるものが大きい。
母親が他界したばかりの少女の家庭は、砂で造った城がひび割れていくように、少しずつ壊れていたのだ。。それこそ喜怒哀楽の一つでも表に出してしまえば、一気に砂の城は海の藻屑と消えてしまうだろう。
そんな少女も今日ばかりは、額にセルロイドのお面を乗せ、二の腕には抱っこちゃん人形、手にはカラフルなピコピコハンマーと、まさに『縁日帰りの子供』スタイルだった。
少女はふと顔を上げ、手を繋ぐ青年に声をかける。
「ねえ巧己にいちゃん」
「ん?」
「えっとね――うーん……なんでもない!」
少女は精一杯の笑顔で誤魔化した。
このまま家に帰らず彼と一緒にいたい。少女はそう伝えたかったのだが、それは出来ないことだと諦めたのだ。酒を飲み始めた父に追い立てられて、そのまま外に追い出され、縁日の祭り囃子に誘われた少女。青年はその縁日で出会っただけの人間だ。色々と買ってくれたのに、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。五歳の少女は、そう考えたのだ。
「それじゃ、バイバイ!」
不思議そうに少女を見つめる青年の手を振り切って、少女は駆け出した。
これ以上一緒にいたら、耐えられなくなってしまう。
家での生活に耐えられなくなってしまう。
少女は振り返ることなく、夜道を走り抜けた。
「ぴ~こぴこぴこ、ピコピコハンマー♪ とっても、つよいの、打ち出の小槌~♪ いやなの全部消してやれ~♪」
少女は歌いながらハンマーを振り下ろす。
振り下ろす度に音が鳴り、幸せがあふれ出る。
「ご機嫌だね、咲喜ちゃん」
青年はいつもと変わらぬ声で、少女に微笑んだ。
少女も青年を見上げて微笑み返す。未だに縮まらぬ身長差にはやきもきするが、こうして見上げるのも悪くない。少女はそんな事を考える。
「悪いね、そんなこと頼んじゃってさ」
「ううん。たまには日曜大工も楽しいわ」
中学生になった少女はそう言いながら、ハンマーを振り下ろす。
青年はこれ以上ないほど不器用だった。捨てられた子犬を拾ってきたは良いものの、いざ、犬小屋を造る段になって何度も失敗したらしい。少女が青年の家にやってきた時には既に、買ってきたらしい木材が半分以上無駄になっていた。
なので仕方なく、少女が犬小屋を造るのを買って出たのだった。
「でも、歌をうたいながらで大丈夫なのかい? 僕だったら気が散って、間違って指を叩いちゃうよ」
「もう、バカにしないで。巧己だけよ、そんなの」
「あれ? 『お兄ちゃん』は?」
「――――ッばか! 邪魔だからあっち行って!」
「なんだ、どうしたんだ……?」
腑に落ちない顔をして青年は子犬を抱き上げる。そのまま家の中へ戻っていった。
そこは、少女と青年の新しい家だった。
少女の家庭事情を知った青年は、上京を機に一人暮らしを始めるにあたって少女をルームメイトに選んだのだ。
少女の家庭事情を知った青年は、彼の知りうる限り全ての人脈を使って、少女を藻屑と成った家から救い出した。児童相談所や警察の他にも、口には出せない職業にも知り合いが居たらしい。彼らの尽力によって、いつの間にか少女を殴る事を日課にしていた父親はいなくなり、青年との共同生活が決まっていた。人一倍お人好しの青年にとって、それは慈善活動のようなものだったのかもしれない。現に今も青年は、少女を可愛い妹として扱っている。
けれど、少女にとって青年はまさに白馬の王子様であり、今の生活は彼との駆け落ちに等しかった。
少女は青年が家の中に戻った事を確認すると、犬小屋作りを再開する。
自然と口からいつもの歌が溢れてくる。
「ぴ~こぴこぴこ、ピコピコハンマー♪」
少女は歌いながらハンマーを振り下ろす。
振り下ろす度に音が鳴り、幸せがあふれ出る。
夜道に歌声が響いていた。
帰り道だった。
帰る先は、青年と暮らす家。の、はずだった。
「ひとふりすれば、意識を奪い、ふたふりすれば血塗れに~。さんしで骨がぼっきぼき! さてさて五回目、何がでる~♪」
けれど、帰ってきたのは幸せな家ではなかった。
幸せな思い出を遡り、最後に溢れてきたのは、藻屑になったはずの砂の城。
「あれ? もう、音鳴らないや」
少女は不思議そうに、振り上げたハンマーを見つめ「まあ、いいや」と振り下ろす。
――ビチャリッ。
水気を含む粘着質な音が鳴る。
それは、少女の父親が発した音だった。
正確には『父親だったモノ』というのが正しい。人の親は人なのだ。赤黒い有機物の塊の事を『父親』とは呼べない。
「ぴ~こぴこぴこ、ピコピコハンマ~♪」
少女は歌い続ける。
何故なら、この歌を唄う時にはいつも傍らに彼がいたからだ。そして『ご機嫌だね、咲喜ちゃん』と微笑んでくれるのだ。
その事を思うと、少女の口元が自然とほころんだ。
ああ、早く来てくれないかな。だって、こんなに辛いんだもの。巧己がお父さんに殺されちゃってこんなに悲しいんだもの。早く慰めてくれないと壊れちゃいそうなんだもの。早くそこにある巧己お兄ちゃんの死体をどけてよ、巧己お兄ちゃん。見てたくないの。
ねえ、巧己お兄ちゃん。早く来て。
青年が来る事を想像するだけで、少女は笑顔になっていく。
「ぴ~こぴこぴこ、ピコピコハンマー♪」
少女は歌いながらハンマーを振り下ろす。
【おしまい】
「幸せを呼ぶ小槌」はお楽しみ頂けましたでしょうか。
もし、少しでも有意義な時間を提供できたのであれば幸いです。
この作品はTwitterで頂いた「ピコピコハンマーを使ってシリアスな小説」というお題のもと作成いた掌編になります。
お題は随時募集しておりますので、メッセージや感想などからお願い致します。
それでは、僕の作品をお読み頂きありがとうございました。