君と約束
「ごめん! 今度の連休、仕事入っちゃったんだ。約束してたのに、本当にごめんね。この埋め合わせは必ずするから」
「気にしなくていいよ。仕事ならしょうがないもん」
日曜日の昼すぎ、彼女の得意料理でお腹を満たし、和やかな雰囲気になったところで話を切り出した。怒られると思いこんでいた僕は、少しでも彼女が穏やかに話を聞いてくれるであろうチャンスをうかがっていた。手のひらを合わせ、ごめんと何度も繰り返す僕を彼女は笑顔で許してくれた。
「3日とも仕事?」
「たぶん」
「夕飯作りに来ようか? どうせコンビニ弁当なんでしょ? 休みなしで仕事して、まともなご飯食べなかったらすぐにバテちゃうよ」
彼女の心遣いは嬉しかった。大学生の彼女は、親元を離れ独り暮らしをしている。子供の頃から母親のお手伝いをしつつ自然と料理を覚え、今では和洋中一通り作ることができるらしい。実際にレパートリーも多いし、リクエストをすればレシピを調べてでも作ってくれる。料理ができないうえに好き嫌いの多い僕が健康的に生きていられるのは、彼女のおかげだと痛感する。
それなのに素直に甘えられない自分がいた。
「いいよ、わざわざ来てもらうなんて。これ以上迷惑かけられないし」
「全然迷惑なんかじゃないよ。私が来たいから来るの」
テーブル越しに彼女は身を乗り出して、僕の顔を覗き込んだ。その小さな顔に大きく「ダメ?」と書かれているのがはっきりとわかった。
「第一、いつ帰れるかもわからないんだから。遅くもなるだろうし」
「じゃあ、待ってる」
「そこまでする必要無いよ。ちょっと休みが無くなったくらいで、すぐにバテたりなんか絶対にしないから、大丈夫だって」
彼女に気を遣わせまいと僕なりにいろいろと考えて話していたのに、どうも全くの逆効果だったらしい。僕が言葉を発する度に、彼女はうつむいてしまう。どうしていいのかわからない。気まずい雰囲気だけが部屋中を満たしていた。
「コーヒーでも入れてこようか?」
重たくなった空気を変えようと、僕は立ち上がった。しかし、それは彼女に最後の一撃を与えただけだった。
「バカッ!!」
その言葉と同時にクッションが投げつけられた。ビックリして身動きがとれずにいると、雑誌や漫画、服、その他彼女の手元にあったものが次々と飛んできた。僕はそれら全てを全身で受け止めた。それしかできなかった。
投げるものが無くなると、彼女は目に涙を浮かべて勢いよく立ち上がり、何も言わず部屋を飛び出して行った。
あれから五日……彼女からのメールも電話もない。
なぜ、あんなに彼女を怒らせてしまったのか未だに解らないままだ。明日から連休が始まるのに。一人で考えても何もわからない。人に相談するほどのことでもないし、答えは彼女しか知らない。
仕事が終わり、駅まで歩きながら、まだ、答えを見つけるために考え続けていた。自分なりに納得できる答えを見つけない限り、何も変わらない気がしたから。
このまま終わってしまうのは怖い……。
モヤモヤした気持ちを抱えたまま、駅に到着した。気晴らしに一杯飲んで帰ろうかと思ったが、金曜夜の駅前はあまりにもにぎやかすぎて、僕の入る隙間はなかった。
あの日の事を思い出しながら、電車の中でも考え続けた。20分ほど考えると、一つの答え、否、結論に達した。
彼女のあの時の心情を考える事は出来ても、それはあくまで想像でしかないのだ。これだけ考えても答えは出せなかった。今僕は想像を膨らませるよりも、思い切って彼女と話をすべきなのだ。
電車を降りて改札を抜けるとすぐに、上着のポケットから、使い慣れた携帯電話を取り出したが、時計だけ見て強くそれを握った。勇気が出なかった。
電話もメールも簡単なはずの事が、今は何よりも難しい。
立ち止まって、進み続ける時計をじっと見ていた。
少しすると、急に辺りがうるさくなった。
……雨だ。
予想外の強い降りに僕は慌てて走り出した。携帯電話を握ったまま、何も考えずに、ただ家に向かい走っていた。
アパートのエントランスに飛び込み、息を整えながら、再度、携帯電話の時計を確認する。しかし、時計よりも着信があった事を知らせるメッセージの方が先に目に入った。
彼女からだった。
息を切らしたまま電話をする気にもならないし、第一、自分からかけ直す勇気もない。
もう終わりだ……そんな気分だった。気付かなかったとはいえ、五日ぶりの彼女からの電話を無視したのだから。
溜め息をつきながら、とぼとぼと階段を昇った。
「傘、持ってなかったの? どこかで雨宿りすればよかったのに。電話、気付かなかった?」
それは突然の事だった。
聞き慣れた声……少し緊張して掠れているようにも聞こえるけれど、紛れも無く彼女の声そのものだ。どうして彼女が? 理由がわからなかった。もしかして、終わりを告げるためだろうか。
「約束――」
「約束?」
不意に僕は聞き返した。
僕は何を約束した? どんどんわからないことが増えていく。
「ご飯作りに来るって、私、言ったよね? まともなご飯食べなかったら、体壊しちゃうからって……」
彼女が両手に提げているスーパーの袋が目に留まった。カレーのルーが入っている。僕が好きなメーカーの。
情けなかった、僕自身が。社会に出て一人前になったつもりでいた僕が、年下の、まだ学生の彼女に心配ばかりかけていた。僕が逃げていた事にも、彼女は真正面から立ち向かっているんだ。こうやってまっすぐで力強い彼女に僕は惚れたんだろうな。ふとそんな事を考えていた。
「ごめん……何にもわかってあげられなくて」
「今はちゃんとわかってるの? なんで怒ったのか……」
「……ずっと考えてた。でも、わからなかった」
「やっぱり、そうだと思った。迷惑だって拒否されてるみたいで、嫌だっただけ。私は来たかったから来たんだよ。私があなたのために出来ることは少ないけど、だからこそ、やれることはやりたいの。やっぱり……迷惑かな?」
僕はゆっくりと首を横に振った。迷惑なはずがないじゃないか。
「ありがとう」
その言葉に、彼女は温かな笑みを返してくれた。五日ぶりにほっとした気分で充たされている。体の中の邪魔なモヤモヤが一瞬にして消えていくのがわかる。
「あ、ベタベタだよね? 早く着替えないと風邪ひいちゃう」
いつもの優しい彼女が、今、僕の目の前にいること……たったそれだけの事なのに、僕は世界中の誰よりも幸せものなのだと思ってしまう。
本当にありがとう。
部屋に入ってすぐ、僕は彼女の頬にキスをした。
初回掲載から数年たって、全体を修正しました。改めて読むと、いろんな欠点が見つかるものですね(苦笑)
柔らかい雰囲気の話はあまり書きませんが、嫌いではないです。
感想などありましたら、ぜひよろしくお願いします。