狂い始めた歯車
2人がうなだれ座り込んでいると、下の方からにぎやかな人の声が聞こえてきた。青い甚平を着た5歳くらいの男の子と紺の浴衣を着た母親らしき女を筆頭に56人の人がこちら向いて歩いてくる。その男の子の手にはリンゴ飴が握られていて、それを得意気に母親に見せていた。助けて!優奈がそう叫ぶ前に立ち上がった慎也が
「すいません。」
と声をかけた。しかしその母親はこっちをチラッと見ることもなく前を通り過ぎて行った。
「聞こえなかったかな?」
慎也が首を傾げる。今度は人のよさそうな老夫婦がゆっくりと歩いてきた。杖をつく老父を老婆が支えている。しかし慎也が声をかけても、その夫婦もまた何も聞こえなかったように無言で2人の前を通り過ぎて行った。
「どういうこと!?・・どうして・・みんな無視するの?」
優奈はもう訳が分からないというように頭を抱え掻き毟った。
「優奈ちゃん、さっきのパンある?」
しばらく考え込んでいた慎也が突然口を開く。
どうして、こんな時にパンなの?優奈は幾分不審に思ったがもう聞き返す気力もなく、黙って紙袋を差し出した。慎也は紙袋を受け取ると、おもむろに中身を地面にぶちまける。丸い物体がころころと地べたに転がった。しかし、それは店の棚で見たあのパンではなく、すでに異臭を放つ腐敗物と化している。
「ひゃっ・・」
優奈は思わず叫び、座ったまま後ろに後ずさる。
「もう訳分からない!どうなってるの・・?」
優奈はそういうと頭を抱え再びうなだれた。すさまじい恐怖に鳥肌がうっすらと立つ。目からボロボロと涙がこぼれた。むき出しの肩がガタガタと震える。慎也は立ち上がると優奈の隣に腰を降ろした。全面に細かい鳥肌が立った腕にそっと触る。慎也は優奈の肩をグッと引き寄せ、力づくで体を抱き締めた。
「嫌・・もう嫌っ!」
優奈が狂ったように叫ぶ。身にまとわり付く何かを振り払うように身を震わせ、叫び続けた。