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逃げ水と冷たい夏

どうも、小説家になろうでの処女作です。

コメント頂けたら嬉しいっす<(_ _)>

彼女が僕のもとに現れたのは、恐らくあの夏の蜃気楼のせいだろう。

灼熱の陽光に照らされて、僕の眼前で浮かび上がっただけの彼女。

温もりを感じられそうなほど近くにいたというのに、彼女は僕の元に存在しなかった。

彼女は逃げ水の様なものだったのだろうか。

陽光が蜃気楼を作り続ける限り、僕はいつでも彼女に会えた。

初めて彼女と出会ったのは、夏休みの始まり、即ち7月の下旬のことだ。










その日僕は図書部の活動のために、高校の図書室にいた。

活動といったところで、内容は蔵書の整理と室内の掃除、という大方進んでやりたがる人などいやしないものだった。

図書部と言うのは恐らく、この学校の絶対部活加入の規則から免れようとした生徒の集まりであろう。名目上図書部に属していれば学校の規則は順守したことになるうえ、運動部と違って幽霊部員になろうともとやかく言う人はいまい。

例外は僕であり、純粋に読書が好きだから図書部に入部した、という部員の中では稀有の(もしかしたら唯一の)生徒だ。

そのため、その日も僕は一人で図書室にいた。顧問である古典の先生の姿も見えない。先生自身も、図書部員は誰一人と部活に来ることは無い、と思っていたのだろう。


図書室の窓を全開にしてもなお、室内には熱気がこもっていた。

僕は一人、部屋の床を箒で掃いた後、整然とした本棚から数冊を適当に見繕って読書机の上に積む。

僕は椅子に座って、一冊目を手にとって読み始めた。












それからしばらくの後、僕は読んでいた本に栞を挟んで、一旦読書を中止した。

たしかあの時、僕は顔を上げて強く目をしばたいた。そして運動部の掛け声を聞きながら、窓外に見える入道雲を眺めていた。

太陽光を反射して白く輝く雲は、一向に変形する素振りを見せない。5分ほど、僕は雲が緩慢と流れていくのをぼんやりと、目で追っていた。


その時、突如音が消えた。

運動部の掛け声も、鳴り響いていた蝉の声も。

突然の静寂とは裏腹に、窓から流れ込む光だけはそのままだった。むしろ強くなったと言ってもいいのかもしれない。僕は目を見開いて、周りを見渡した。

何も部屋に異変は見られない。それなのに、聴覚を支配しているのは静寂であり、なぜだか先程の茹だるような熱さの空気も、ひんやりとしたそれに変わっている。

ふと前を見ると、窓外の雲の如き物質が、僕の前で煙のように渦巻いている。僕は恐怖のあまり声が出せずに、椅子の上で硬直していた。

まっ白い煙は机を挟んで僕の前で揺らめき、徐々に集まって一つの塊になっていった。白かった塊に色が混じり、塊は何かを形作る。

その塊が人間だと閃いた瞬間、僕は椅子から転げ落ちた。そこから暫くの記憶は無い。




















目を覚ますと、僕は仰向けで床に倒れていた。いつの間にか蝉の声が聞こえ、わずかながらも運動部の掛け声も耳に届く。

─さっき僕が見たのは何だったんだろうか。

天井を見ながら考えた。

何も聞こえなくなったかと思うと、煙が目の前でうねりだし、人を形作る。

かなりアンビリーバブルな超常現象である。もちろん、もし実際に起きたのなら、という仮定付きだが。

即ちその時僕は、気絶前に見た現象を夢だという判断を下したのだ。眠りに落ちて、夢を見て、そして椅子から転げ落ちた、と。

だから起き上った時、向かいの席にセーラー服姿の女子が見えたときには驚愕した。

真っ黒い髪を肩まで伸ばした子。見たことが無いから同学年では無いだろう。二年生か、もしくは三年か。

彼女は僕に気付くと、薄く微笑みを投げかけた。僕も会釈を返す。

─彼女は、僕が寝ている間に図書室に来たんだろう。

今思えば、図書室で一人倒れている生徒を無視する人などいるはず無いのだが、その時の僕は何故かそう決めつけて、再び読みかけの本を手に取った。

だが読書は、彼女によって中断させられる。

「何読んでるの」

軽やかで澄んだ声が室内に響く。僕は顔を上げて応えた。

「谷川俊太郎の、夜のミッキーマウスって本」

「それって詩じゃなかった?」

「はい」

ふーん、と彼女が呟いて、会話はそこで終わった。けれども、しばしの沈黙ののち、彼女は再び僕に話しかけてきた。

「読書が好きなの?」

僕は再び本から顔を上げる。

「はい、とっても」

「恋愛小説って好き?」

「特別好きって訳じゃないですけど、結構読みますよ」

そしてまた、会話が途切れる。

一問一答の質問が、何回か繰り返される。名前は?出身中学は?好きな歌手は?

質問と質問の間には詩や小説を読み、彼女が話しかけてきたらそれに応じた。

しばらくして壁掛け時計を見ると、時刻は午後の6時を回っていた。

「そろそろ閉館しますよ」

彼女に声をかけて、僕は本を棚に戻す。

机からトートバックを取り、窓を全て施錠し、図書室のドアの前に立った。だが、彼女が部屋を出る様子は無い。

「鍵をかけたいんで、出てください」

もう一度彼女に声をかける。すると彼女は僕の方を向いて言った

「ごめんね。私、図書室から出られないの。気にしないで施錠して」

何を言っているのか。

「早くしないと下校時刻を過ぎちゃいますよ」

「大丈夫、私は夜もずっとここにいるから─」

夜通し図書室になどいられるわけない。僕は溜息をついて、彼女の席に向かう。

「ほら、帰りましょうよ」

そう言って、彼女の腕を掴んだ─正確には掴もうとした。

僕は彼女に触れることができなかった。掴んだはずの腕の感触は感じられず、自分の手を握りしめているだけだった。

心臓が早鐘を打つ。思わず床にへたり込んでしまった。

彼女は腰を抜かしている僕に、悲哀を帯びた声で告げた。

「私、6年前に此処で死んじゃったから。何故か図書室から出ることができないの」

窓から差し込む橙の光が、彼女の泣き黒子を照らしていた。

僕は動揺のあまり、走って図書室を飛び出してしまった。














翌日、僕は一瞬の逡巡の後、また図書室に足を運んだ。

前日と同じく部屋には僕一人しかいない。だが、部屋に入って間もなく、白い煙が僕の前で渦巻いた。不安そうな表情の女子が、音もなく現れる。

「こんにちは」

僕はにっこりと彼女に笑いかけた。

彼女は安堵の表情を見せ、それから満面の笑みを浮かべた。


それから毎日、僕は午後から図書室に足を運んだ。

図書室の鍵を開けると彼女は僕の元に現れる。

彼女も生前は読書好きだったのだろう。出会って五日も経つと、僕らは二人で、互いの好きな本や、学校行事の思い出を話し合ったりした。

彼女が実は一年生の時に死んでしまったことも知ってからは、彼女に敬語を使うこともやめた。

彼女が現れると辺りはとても涼しくなり、それもまた、僕には快適だった。


出会ってから早くも一カ月余りが経ち、夏休みも残すところ数日となった水曜日。

図書室で現れた彼女は、何処となくいつもと雰囲気が違った。

僕が話しかけても生返事で、いつもの、幽霊とは到底思えない様な元気が無い。

僕が心配していると、不意に彼女が口を開いた。

「浩介って小説を読むだけじゃなくって、書いたことある?」

「うーん・・・書いたことは一度もないなあ」

「私ね、書きかけの小説があったの」

ぽつりと彼女は語りだした。

「恋愛物なんだけどね、あと少しで完成って所で、此処でいきなり死んじゃって。だから─」

彼女はそこで口をつぐむ。

「だから、私が考えた小説を話すから、浩介に代わりに書いて欲しいの」

そんなことを懇願するために元気を無くしていたのか。

「いいよ」

僕が二つ返事でOKすると、ようやく彼女はいつもの笑みを見せてくれた。

彼女も生前は図書部に属していたらしい。僕と同じく、純粋に読書が好きで入部した、という稀有な部員だ。

彼女は毎日、図書室でたった一人、カウンターのパソコンを使って小説を書いていたという。

「小説のデータが入ったUSBを本棚の裏にいつも隠していたから、多分まだあると思うの」

彼女の言うとおり、本棚の裏には埃にまみれた桜色のUSBメモリがあった。

カウンターのパソコンを立ち上げて、USBを差し込む。

その中のワードソフトを開くと、原稿用紙のテンプレートがディスプレイに浮かび上がった。枚数は89枚。即ち彼女はおよそ原稿用紙90枚分の小説を書いていたということだ。

「凄い・・・」

僕は無意識に感嘆の呟きを漏らしていた。彼女の恋愛小説は息がつまるほど面白く、切ない。

僕の肩越しにディスプレイを覗き込んでいた彼女は、僕の呟きを謙虚に否定した。

89枚の小説を読み終えて、いよいよ僕らは続きを執筆し始めた。

彼女が脳内で小説を作りあげ、口に出す。そして僕はPCに触れられない彼女に代わって、彼女の言葉をタイプしていくのだ。

二時間ほどが経過して、いよいよ話は主人公の伊野由江が、思いをはせる福谷葛朗に告白するシーンに至った。

「言えるわけがないと思っていた言葉が、今なら言える気がした。結果がどうであれ、思いを伝えることはできる。そんな自信が私の心に流れ込んできた。改行して。『福谷君のことが─とっても好きです』」


そこまで打ち込むと、僕は大きく伸びをした。ふと時計を見ると、下校時刻を10分も過ぎている。

「あ、浩介そろそろ帰らなくちゃね。続きはまた明日よろしく」

彼女はそう言った。だが、僕はパソコンの電源を落としたくなかった。執筆を中断することが、堪らなく勿体ないことに思えたからだ。

「いや・・・まだ書きたい。続きを教えてよ」

「え?でも、浩介怒られないの?」

彼女が心配そうな瞳を向けてきた。だけどその時の僕にとって、教師や親に怒られるのは瑣末な事だった。

「大丈夫だよ」

僕の言葉を聞くと、彼女は大きく頷いて再び小説を口にし始めた。












小説の最後の一文を打ち終えたのは夜の9時を過ぎた頃だった。

「できた・・・!」

どちらともなく歓喜の声を小さく上げ、抱き合った(と、いっても彼女の体には触れられないのだが)。

最早窓外に人影は見られず、唯一職員室に明りがともっているだけである。

先生に見つからないように、と蛍光灯を消した図書室内は、パソコンのディスプレイだけがうすぼんやりと光っていた。

小説は原稿用紙換算で120枚の作品だ。

「この小説、何処かに応募するの?」

「ううん。応募目的で書いていたわけじゃないから。どちらにしても、完成させられたから、未練は無いけどね」

そう話す彼女は、どこか落ち着いた雰囲気を感じさせた。

─未練は無い。

この言葉が、僕の背筋を突如凍りつかせる。

幽霊が未練を無くしたらどうなるのか。その答えは僕にも想像できた。

彼女が僕のもとから消えてしまう。成仏してしまう。

僕の心中を察したのか、彼女が明るい声で言う。

「大丈夫だよ。まだ私には、他の未練があるから。」

「他の未練・・・?」

「そう。といっても、死んでから出来たものだから、未練と言えるのかは分かんないんだけどね」

ふふ、と彼女は薄く笑う。

「でもね、その未練も今から消すつもりなんだ。」

思わず、叫んでいた。

「やめろよ!未練を消したら、お前もいなくなっちゃうんだろ!?そんなの嫌だよ!」

自分が叫んでいることに驚く。我を忘れてしまったことを恥じて、彼女の顔を盗み見ると、彼女の目から涙が伝っていることに気付いた。

僕は何も言うことが出来なかった。彼女は、声を上げずに唯涙を流し、そして同時にうれしそうな表情をしていた。

「成仏して、浩介に二度と会えなくなってもいいと思えるほど、消したい未練なんだ。消さずに残しておきたくは無いから」

彼女は深く呼吸をして、僕の目を見据えて、言った。

「未練は二つあるの。一つは浩介に言ってなかったことで、もう一つは浩介にやってほしいこと。言ってなかったことっていうのは、私の本名よ。私の本名は伊野由江なの」

彼女─由江は続ける。

「浩介にやってほしいことは、私の書いた小説を一部書きなおすこと。福谷葛朗の名前を、山辺浩介に書き換えて欲しいの」

それって─と僕が言い始めた刹那、彼女の体が消えていくのが分かった。編み物の糸を解くように、由江は唯の煙に戻っていく。


僕の気持ちはどうなんだろう。


考えて、また考えて、僕の答えを導き出した。

それを由江に伝えるべく、口を開いたときには、由江の姿は既に見えなくなっていた。


暗い図書室に残されたのは、一人。














僕のもとに、暑い夏休みが戻って来た。

翌日からも、僕は図書室へ毎日通っている。

誰もいない図書室に入ると、僕はいつもそっと、僕の答えを呟く。

由江がもういないと分かっていても。



呟きが届き、再び白い煙が現れるのを信じて。



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― 新着の感想 ―
[一言] よませていただきましたww 幽霊との恋愛とは王道ですが やっぱり 切なくなりますね(p_q*)シクシク
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