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時計だらけの骨董屋

作者: てっちゃん

久々にこちらでの投稿になります。

お時間の許す限り、お付き合いしていただけたら幸いです。

 その骨董屋を訪れたのは夏の盛りの頃だ。正午を目の前にした日差しはきつく、大通りのアスファルトはゆらゆらと陽炎を生み出していた。

 私はとにかく日陰になるところはないかと必死になっていた。

 するとその骨董屋を見つけたわけだ。古今東西、骨董屋というのは中は薄暗く、ひんやりしているものとそう信じていた。

 重たいガラス扉を開けると、ひんやりを通り越したゾッとする寒さが背中を通り抜けていく。期待通り店内は薄暗く、正午前なのに日差しは月明かり程度にしか入ってこない。まるでそこだけ夜なのじゃいかと疑わせるくらい、扉一枚を挟んで世界が違っていた。

 これだけ暗ければさぞかし物静かな場所だろうと想像してしまうが、そうではなかった。扉を閉めた瞬間、空間を支配したのはカチッ、カチッという歯車と歯車が噛み合う音。店に入った私は数え切れないほどの時計の群れに囲まれていた。テーブルの上に置かれた置き時計や目覚まし時計。壁の掛け時計に隅のホールクロック。真新しい腕時計にアンティークの懐中時計。珍しい水時計に……日時計はどうやらなさそうだ。

「はーここは、時計専門の骨董屋なのか……」

 店内をゆっくりと見渡す。それはそれで趣があって、なかなか面白い。振り返るほど人生を生きてきたわけではないが、これほどの時計に囲まれた経験は今まで一度もない。陳列されたというか、乱立されたという方がしっくりくる時計たち。その圧倒的な物量を前に、感嘆の息を吐くことしかできなかった。

 しかし、どこか違和感を覚える。

「これはこれは、よう来なさったな」

 突然かけられた言葉に思わず背筋が伸び、声のした方へ振り返る。そこにいたのはこの店の主人だろう老人だった。しゃれこうべのような顔から、怪しく光る鋭い眼光が覗く。木肌のような枯れた顔に、引きつった口が吸い付いている。頭髪は薄く、微かに残る白い髪の毛が宙を彷徨う。小さな背中は丸まり、煤けた着物から伸びる白骨のような手が地面に杖をついている。

 いかにも骨董屋の主人って感じがした。

「お世辞にも清廉潔白な老人には見えなかった」

「お前さん本音と建て前が逆になっているぞ」

「ぁ、いえ、すみません」

 あまり気にした風もなく、老人はサンダルを履き店におりてくる。それだけのことなのに、店内の温度が一度くらい下がったような気がする。

「珍しいお店ですね。よくここまで集めましたね」

「なに、勝手に集まってきただけだ。終わりが近づくと、みなこうしてここにやってくるのだ」

「へぇ」

 とりあえず相槌を打っておいたが、なんのことだかさっぱりわからない。うんうん頷きながら店内を見て回る。しかし老人の温かくない視線がどうにも気になって仕方がない。こう何か買えというか、早く決めないと手遅れになるぞという焦燥感を覚える。

「ぁ、この砂時計面白いですね」

 目に入った砂時計を指差す。といっても特に面白いものではない。ただ老人に急かされているようで、急場凌ぎに出た言葉だった。

「おいそれとそれに触らないほうが良いぞ? 他人の運命に手を出したくなかったらな」

 砂時計に手を伸ばしかけたところで、老人がそう助言する。

 何のことを言っているんだ? 購入前の品に触ろうとしたのがいけなかったのか。

 振り返ると、老人は目の前にいた。

「うわっ!!」

 思わず後ろに飛び跳ねてしまった。失礼かもしれないが、当然の生理現象だ。

 そんな私を無視して、老人は砂時計を手に取る。

「これも短い時間に生まれたというのに、よくぞここまで頑張ったものだ」

 主語の欠けた言葉は誰に向けたものだったのか。

 流れ落ちる砂の線がみるみる細くなっていく。上から下へ。さらさらとした砂が、下部の球体になだらかな山を作っていく。そして白骨のような老人の手の中で、砂時計の最後の一砂が流れ落ちていった。

「えっ?」

 老人の行動に思わず声が漏れた。砂時計を元の場所に戻すと、老人は胸の前で小さく十字を切った。その手馴れた手つきは、聖職者のそれのようだった。

「何をなさったんですか?」

 ……ん? 待てよ。

 あの砂時計はいつから流れていたんだ?

「たった今終わりを告げた一つの慈悲深き命に、祈りを捧げたのだ」

 ゆっくりと目を開けながら、老人はそう呟いた。砂が落ちきったことを言っているのだろうか。

「よくわからないけど、終わったならもう一回ひっくり返せばいいじゃないですか」

 砂時計を手に取り、傾ける。誤解のないように言うが、完全に良かれと思ってやった行動だ。

 しかし――、

「や、やめろ! それをひっくり返すな――っ」

 老人の怒声が店内に響く。

 だが……手の中の砂時計は、すでにひっくり返っていた。さらさらとした砂が勢いよく流れ落ち始める。

「……また面倒なことをしてくれたな」

 よたよたと老人は夢遊病者みたいに歩き始める。

「な、何ですか一体? ただ砂時計をひっくり返しただけじゃないですか」

「お前さんは自分で自分の首を絞めたのだ。あー言葉通りに受け取っておくれ」

 いやいや、おかしいでしょ常識的に考えて。

「話が見えてこないな。何かアクシデントが起きたのはわかりましたから、順を追って話して下さい」

「……よかろう、お前さんがそれを望むなら。そういう運命なのだろう」

 老人は近くにあったイスに腰掛ける。

「わしは死神だ、よろしく」

 手を伸ばし握手を求められる。

「ぁ、こちらこそよろしくお願いします…………って、いやいやいや」

 危うく掴みかけてしまった。行きずりの老人に死神だとカミングアウトされてしまったのだが、これは老人渾身のギャグか? あるいは新手の悪徳商法か?

「わ、私は、実は……その、お金に恵まれない環境で育ちまして」

「お前さんとこの経済状況などこの際関係ない」

 どうやら金銭目的ではないらしい。

「じゃ、じゃあ本当に死神だっていうんですか?」

「そうだ」

「なんで骨董屋を?」

「夢だったからだ」

 死神のわりにロマンチックな。

「話が逸れたな、本題に戻そう。ご覧の通り、ここにはたくさんの時計が集まっている。だが、何か気づくことはないかね?」

 話が進まないので、老人は死神だと仮定しておこう。

 促されるまま、もう一度店内を見渡す。大きさも形状も、そのどれもが様々な時計たち。一定のリズムを刻みながら、時を刻んでいく。

 どれを見ても、何度見ても、時計としてのそれらには何ら変な所はない。

 しかし、ここが時計ばかり集まる店であることを意識してみると、ここに入ったときから感じていた違和感はすうっと浮かび上がってくる。

「……みんな、ばらばら?」

 そう、棚の目覚まし時計も、隅のホールクロックも、テーブルの懐中時計も、どれ一つ同じ時刻を示す時計はなかった。

「何で?」

 答えを求めて老人を振り返る。

「それはな、ここにある時計全てが、人の寿命を表しているからだ」

 その瞬間、大きな鐘の音が鳴り響く。壁に掛けられていた時計の一つが、12時を指したのだ。しかし、まだ12時じゃない。

「……また一つ、終わりを告げたな」

 時計はそれっきり動かなくなった。

 背中を冷たいものが走り抜ける。ずっと聞こえていたはずの時計の音が、いやに大きく聞こえる。老人の言葉に、私は金縛りにされた。

「人間は各々にそれぞれの時間を持って生まれる。時間の長い者、短い者、それは様々だ。しかし初めに持って生まれた時間は増えることも減ることもない。生まれたときに手にした時計は変わらないからだ」

 人の生き死に関わる話をしているはずなのに、老人はむしろ肩の力を抜いて話していた。

「だがな、特殊な事例のみ時計が、時間が変わることがある」

「……それは?」

 一拍置いて、老人は口を開く。

「他人に時計を譲る、あるいは他人と時計を交換する」

「…………」

 手の中の砂時計に視線を落とす。

「これかっ!!」

 叫び声が店を揺らす。勢いのあまり宙に放ってしまった砂時計を慌ててキャッチする。しかし投下された爆弾をキャッチするようなものだった。

「何で、何で! 交換した覚えないし、あげたつもりもないし!」

「そいつをひっくり返したではないか」

 砂時計を指差す。

「そんなことで成立するのか!」

 なんて理不尽なシステムだ。

「安心しろ、今頃どこぞで息を引き取った人間が生き返ったと大喜びだろう」

「あなた鬼ですね!」

「死神だ」

「そうでした!!」

 どうしていいかわからず砂時計を持ったまま走り回る。当然ながら事態は好転しない。これじゃただのお母さんの大切にしていた花瓶を割ってしまった子供だ。慌てふためいたからところで砂は止まらず、時間は進み続ける。

 落ち着け、落ち着け。砂が落ちきる前にもう一度ひっくり返すか。いや根本的な解決になってないし、それで死を回避できるとも限らない。でもこれって永遠の命のヒントでは? ……あぁくだらないことを考えている時間はない。

 ……時間?

「そうだ時間! お爺さんこれ本来何分保つの!?」

「5分きっかりだ」

 のんびりし過ぎた! すでに上下の砂の量が逆転している。本当にくだらないことを考えている時間はなかった。

「壊したら? これ壊したら戻るとか!?」

「そんなことしたらその瞬間に死ぬぞ?」

 ですよね! すでに脳細胞が死んでいた。

「やだよ死にたくないよ助かりたいよ!」

「もしここでお前が助かったら、交換した人間はまた死ぬのだろうか? ぬか喜びした家族はさぞ悲しむだろうなぁ」

 嫌な言い方しますね! 心なしか周りの時計の音も早まっていく気がした。

「安心しろ、死神の前で死ぬのだ。病院の中で怪我するようなものだろう」

「シャラップ!!」

 この人の安心の基準がわからない。

 ラストスパートをかけたように、みるみる上の砂が減っていく。もう一分だって保たないだろう。

「ほれほれ、もう時間がないぞ?」

 老人が目の前に控えた死を心待ちにしている。

 ちくしょう、この人の前で死にたくない!

 砂の線が細くなる。

 針の息が近くなる。

 外の色が薄くなる。

「あぁ、んもう!!」

 わけがわからなくなり、砂時計をテーブルに叩きつけた。

 ……終わった。何で死ぬのかも誰のために死ぬのかもわからない。そもそもどうしてこうなったのかもわからない。ただ街を歩いていて、涼める場所を探していて。たまたま見つけた骨董屋に入って、砂時計をひっくり返して。たったそれだけのことなのに、どうして私は死ななくてはいけないんだ。別に他の誰かが死ねばと言っているんじゃない。どうして誰かが死ななければいけなくなっていたのか。

 死が避けられないものだから? ならせめて死に場所くらいは選ばせて欲しかった。

 死がすぐ側にあるものだから? それでも今日この場でなくてもよかったじゃないか。

 偶然もまた必然? ――、


「だからってこんなのあんまりじゃないか!!」


 溶岩のように吹き上がった理不尽な死への想いが、小汚い骨董屋の天井を突き破る。モノクロだった世界に、うっすら色がついていく。

「…………」

 まばたきを二回。

「……いき、てる?」

「お前さんはどう思う?」

 忘れていた呼吸を思い出し、肺にいっぱい酸素を送り込む。止まっていた血液が体中を駆け巡り、みるみる肌が赤みかかっていく。

「……生きてる」

「ならそういうことだ」

「なんで?」

 老人はテーブルの上を指差し、くいっと持ち上げるよう示唆する。そのとき、初めて自分の右手がテーブルの上で何かを押さえていることに気がついた。石造のように動かなくなっていた右手を、ゆっくりと持ち上げる。

 そこには、横向きに倒れた砂時計が置かれていた。

「これは……こんなんで、いいの?」

 確かに砂時計を横に倒せば、物理的に砂が落ちるのは止まる。

 しかし釈然としないというか、こんな頓知みたいなことでいいのか。

「良いか悪いかはわからんが、現にお前さんは今生きていると実感したのだろ?」

「それはそうだけど。じゃ、じゃあ私と時間を交換した人は?」

 私が助かれば、その人は助からない。そんな無慈悲な二択を迫られていた気がする。

「はて、実際に交換できていたのかいないのか。そもそも向こうは死んでいたのだからな。助からなかったとしても、それは運命通りだ」

「そんな適当な」

「適当だよ。運命なんてのは、いつ死ぬかくらいしか決まってないのだから」

「は、はは……」

 気が抜けた瞬間、吊るされていた糸を切られたように大きく尻餅をついた。完全に力の入らない、かなり間抜けな格好だったと思う。

 でもその痛みも恥ずかしさも、生きている証なのだと思えば救われる。

「どうだ、生きているってのは素晴らしいだろ?」

 老人が歩み寄り、尻餅ついた私に救いの手をかざしてくれる。

「……えぇ、死んでいたら小言の一つも吐けませんでしたからね」

 その手を掴み立ち上がる。言っておくが、死神と認めた握手では断じてない。

「とんでもないファイナルカーテンになるところでした」

「死神なりの、ドラマチックな演出だったのだがな」

 またロマンチックなことを言っている。死神のくせに。

「ところで、今何時だ?」

「へっ?」

 左手にした腕時計に目をやる。

 時刻は、正午きっかりを迎えていた。


『終わり』

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

それではまた次の機会に。

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