第5章 第3話
振り返れば奴がいる、ってドラマあった気が・・・。
宿に着くと、早々に軽く旅装を解き、食堂に向かった。
先にテーブルにはチルニー達が、父と自分を待っていた。
宿の食堂は、どこも一緒で、この街で最高ランクのこの宿でも酒場を兼ねていて、そこには勿論この街でもレベルの高い女たちが給仕と共に夜の仕事も兼ねていた。
女達は、金の匂いのぷんぷんする、極上の男達に、いそいそ給仕の合い間秋波を送っていたが、そこの一角には、まだ近づけずにいた。
ひたすら静かに何かを待つ男達は、まだ注文はいいと、彼女たちをそばに寄らせなかった。
同じ食堂にいる裕福な者たちも、この一行にちらちらと視線をやり、やはり女たち同様好奇心でいっぱいだった。
そこに、くだんのテーブルの男達が、その場で立ち上がって階段を見つめる。
その階段からは、とびきり渋い色気を放つ壮年の男と、その手にエスコートされる綺麗な黒髪の華奢な美しい少女がおりてきた。
そのドレスは簡素なデザインではあったが、その薄緑のそれが贅沢なレースをふんだんにあしらったもので、レースなど王侯貴族でしか手にできない贅沢品であった為、女たちは別の意味でもため息をつき、けれど、こんな子供にこれほどの贅沢をさせる一行に、余計取り入りうまく金を引き出したいと、欲望に目をぎらつかせた。
グレンとリーナが席に着くのを待って、やっと給仕である自分たちの出番がきた。
その夜のコース料理を席に運びながら、何とか男達の気を引こうと、深いえりぐりのお仕着せを、更にボタンを一つ2つはずし、皿を運ぶたび、皿を下げるたび、わざと深くかがみ、その胸のたわわな柔らかさをアピールし、わざときわどい所をみせつける。
女達はわれ先にとテーブルにまとわりつくようにいたが、彼らは誰一人自分たちなど、いないもののように扱った。
それは、いつも男達に取り合いされる事はあっても、こんな塵芥のように目にも入らない、本当に真実存在さえも感じてないだろう事を知り、この街最高の宿で働いているというプライドを、この宿のランクまでどれだけ血へどを吐きながら登ってきたのかと、自分たちの過去を思いだし、ひどく女たちの心をざわめつかせ苛立たせた。
そのテーブルには、これだけの男たちの関心を、ただ一人受け、それが当たり前に微笑む少女がいた。
リーナは、皆でゆったり初めての「旅」正真正銘の旅の最初の夜を楽しんでいた。
どこにいくとの目的もなく、それこそ気ままに楽しむと決めたそれに、護衛と称した傭兵達もいるのには驚いたが、まあそれも悪くない。
父が隣にいて、あの3人も一緒だ。
明日の朝の朝陽が待っている、機嫌よく手にした弱いホットワインを飲みながら、テーブルの皆を見渡す。
微笑むリーナに、皆も微笑む。
ギランは、あのまま消えたけど・・・うん、大丈夫でしょ。
手ぶらで、愛馬と共にどこかいっちゃったけど・・・うん、野生は強いわ。
そう思い、気持ちを切り替えたリーナが小さなカップに入ってる小魚を口にした時それはおこった。
急にリーナの体が小さく固まったのだ。
すぐにグレンが気が付き、リーナの顔を覗き込む。
リーナがグレンを見て、小さくいやいやという風に首を振り、その顔を見つめる。
すぐさまチルニー達も食事の手を止め、リーナの傍に駆け寄る。
リーナの足元にひざをつき皆心配そうに声をかける。
「どうした。」
「どうされました?」
本当に、あれほど恐ろしい程の威圧感を持つ男達が、まるで年端もいかぬ子供のように、おろおろする様子に、食堂にいる人間達は何事だとギョッとした。
グレンは涙目のリーナの顎に手をかけ、口を開けるように言うが、リーナはふるふると首をふる。
食べたものをここに出すようナプキンを口元に持っていくが、それにもふるふると首を振る。
グレンは、リーナの口を、その手をあごの関節に強くあて、無理やり口を少し開けさせると、その唇を寄せ、自分の舌で、リーナの口に入ったままの小魚をすくいだす。
それを自分の舌で確認し食すが、何も変わったものではない、ただの小魚のフライの酢漬けだった。
チルニーたちが自分の顔をみて、問いかけるので、何も変なものではなかったと、首をふってみせた。
皆でリーナの顔を心配そうに覗きながら、ジュールがそっとリーナに水を差しだした。
リーナはそれを恐る恐る口をつけた。
本当に皆が顔色を変えて自分を見るのに、リーナはありがとう、と小さな声をだし、
「あのね、お魚と一緒に、舌もかんじゃったの。」
そう、やはり小さな声で言った。
それを聞いて、皆は安堵のため息をつき、また口々に
「大丈夫ですか?」だの、
「痛かったですね。」と慰めてくれた。
大の男達がこんなに大騒ぎして、舌をかんだだけ、との話に食堂にいた者はあきれ、女達はその親娘の濃厚な接触に目を見開いた。
食堂で一人の男が、皆を代表したかのように、
「何だと思えば、」と馬鹿にしたような声を出した瞬間、その場のそのテーブルの雰囲気が峻烈なものに変わった。
リーナを慰める男達が一斉にその旅の商人のような男を冷たく見すえていた。
男もそれを受け戸惑い、周りに助けを求めるよう目をきょろきょろし、やがて女達の手前、虚勢をはるかのように胸をそらした。
そこにチルニーが行こうとするのを、グレンが手で止め、その怒気を隠しもせず、傭兵団員でさえ震え上がるそれを吹きあがらせ、リーナの頭を2、3度撫でて、ゆったりその男のテーブルに向かう。
商人の護衛は、なまじ少しばかり腕が立つようで、そのせいでグレンの闘気ともいえるそれに触れ、指一本動かせなくなっていた。
おのれの護衛達が青い顔をして震えているのを見て、次に近づくグレンを改めて見て、その人にはあらざるような冴え冴えとした温度のないぞっとする眼差しに貫かれた瞬間、自分が腰を抜かしていて、あまつさえ失禁したのを遠い感覚で知った。
一歩一歩近づく男が、
「私の愛しい愛しい娘の苦しむ姿を鼻で笑うか!」
そう男に向けて重く低い艶のある声を出し、更にまた一歩男に向かって進んだ。
「よかろう、お前の家族を一族郎党赤子にいたるまで、お前の前で嬲り殺しにしてやろう。」
そう言って凄絶な笑みを零してまた、一歩男に近づく。
男は何をおかしなことを言っているのかと、その言葉の意味を理解できず、やがて、それが何を言ってるのかわかると、思わずまさかと、弱弱しくその目元を和らげ、何ていうことを言うんですか?冗談にしても、その場の勢いだとしても言って良い事と悪い事があるんですよ、と言おうとして、そう言おうとして男を弱弱しい笑みのまま見ようと商人らしく愛想よく言おうとして固まった。
商人として、そこそこの成功を得るまでに培った自分の目が見たものは、こちらに向かってくる男が本気だ、というゆるぎのない事実だった。
急に呼吸の仕方も忘れたかのような商人は、その喉から奇妙な声をあげ、目を大きく見開いた。
まさか、まさか、そんなバカげたことがおこるはずがない!
ありえないと頭で否定しても、それが真実だと心が悲鳴を上げる。
そして、目の前まできた男が自分の髪をつかみ宙ずりにし、酷薄な笑みを浮かべて言う。
「覚えておけ!お前を地獄に落とすものの名を!」そう言って自己紹介をした。
「グレン・ウェンデル。ニルガ傭兵団代表をしている。」と。
その名を聞いた瞬間、食堂はいっそ見事なほどに、更にし~んと静まり返り、自分のはく息さえその鼓動でさえ、聞こえるのではないかと思うほど静まり返った。
名を名乗ったグレンはそのまま男を力に任せ壁まで投げつけた。
男はその頭から血を流し、幸いなことに意識をなくした。
それをつまらなそうに眺め、リーナのテーブルまで戻ったグレンは、それは優しくそっと声をかけ、心配そうに娘を見つめる。
「何か食べられそうかい?」
と聞くのに、リーナが首をふると、グレンはひどく自分が苦しいような顔をして、
「かわいそうに・・・。」とリーナを抱き上げ、部屋に戻った。
チルニー達がそれに続いたが、チルニーが目で倒れた男を示すと、護衛としてついてきた数名の傭兵が気を失う男の元に向かった。
それは見るものが血を引くような、既に血にまみれたように見える、雰囲気をガラリと変えた男達だった。