第4章 第7話
続きます。
ハジムは、初めて目の前の少女に目を奪われた。
まさか自分が誰かに目を奪われるなど、自分に限ってあるものだとは思わなかった。
今までは主人であるジェイムスが、本気で手に入れたがっているのを、初めはまさかと思い、そして本気だとわかってのちも、それにしてもまた面倒な女を、とやれやれ、ぐらいにしか思っていなかった。
幼い時から共にいる、この生まれながらの帝王が、はじめて本気で欲しがるものを、臣である自分が、自分こそがそれを助け、にこりと笑いながらいつものように何でもないかのように献上してみせよう、そうたかをくくり思っていた。
リーナ嬢を少しくらい綺麗な、ただの甘やかされた、そのくせ厄介な力を持つ子供だと思っていた。
それがどうだ。
今確かにこの華々しい王宮のこの場所を支配しているのは、この少女だ。
凛とした覇気をその身に宿し、甘やかさなど一つも感じさせぬその眼差しで、並み居る男達をその足元に置き当然の如くこの場を支配している。
その目の前で馬鹿面をさらす、その身に流れる血のみを頼りに生きる女どもと、これほどくっきりとその存在のありようが、美しさが際立つさまは、ほれぼれさえする。
隣に立つ父親のグレンなど、もう蕩けたバター並みでおのが娘をみている。
おいおい、それが実の娘に向ける表情か、と噂以上の溺愛ぶりに、この人間の壊れぶりをよりいっそう感じた。
これが、先ほどまで、挨拶にいった自分たちに半端ない怒気を送ってきた人間だとは、とても信じられない。
可愛そうにうちの若手官僚のトップたちは、あの後ふらふらと、夜会を放棄し自室に帰っていった。
あの様子では、当分使い物にならないだろう、面倒な!
簡単な仕事さえできぬ無能ぶりを教えてやる為に、わざわざあのグレン殿に会わせたのだが、まったく情けない。
まあ、あれらの親たちをこれでうまいように使えるので、よしとしよう。
そして、いわずもがな、自分の背後の主人をチラとみると、こちらも負けず劣らず、目は冴え冴えと自分の母親達を見てはいるものの、しかし、口元は素直にリーナ嬢を見て蕩けきっている。
はあ、こちらもやれやれ、だ。
だが、さすが我が主、欲しがる女がこのリーナ嬢とは、初めてこのハジム褒めてさしあげましょう。
ハジムは皇太后とファリエル姫の前に歩みよると、もう一度リーナを向き正式な礼をとり、グレンが剣呑な目つきで、こちらを見るのもかまわず、自分の仕事をすることにする。
「リーナ様及びニルガ傭兵団におかれましては、しばし猶予を頂き、ご確認をお願いしたき議がございます。」
そう言って了解を何とかとった。
そして、元凶の皇太后一行に向き直り
「皇太后様におかれましては、異な事を先ほどお聞きいたしました。ただいまそのお言葉を訂正させていただきとう存じます。」
「今回の件、我がラージス帝国の名をお出しあそばれ、なおかつ、ケルダス国との誤解を英明なるジュール王の元に和解した折も折、ご勝手に祝賀の場で諍いをおおこしなされた。」
「如何のご所存か!皇太后さまに関しては、既に我がラージス帝国現陛下より第一離宮にてお過ごしなされるよう、前皇帝崩御の際、沙汰があったはず。」
「それにもかかわらず、陛下のご意向も頂かず、このケルダス国への勝手な振る舞い。ましてこの度の不祥事。国一つ、いえ、国を2つ争わせるその権限はありやいなや!」
きっと睨みつけるたかだか高位貴族とはいえ、乳母の息子にすぎぬハジムに、ハジムの言葉に顔を怒りで赤くしてマリエッタが口を開こうとするが、
「いえいえ、お言葉を頂きたくここにいるのではなく、ラージス帝国としての、正式の見解をここで陛下にかわり述べさせていただきます。」
そう言ってジェイムス三世に向かって頭を下げた。
ジェイムスが鷹揚にうなずくのを確認して、
「王太后マリエッタ様、ラージス帝国に対する不利益、国家反逆罪により裁判なき収監を申し渡します。」
「なお、その他のものは死罪、及び一族郎党地位及び財産没収。」
そう言ってラージスの護衛達に目をやる。
ラージス帝国の人間は、突然の宣戦布告に茫然とし、続くハジムの言葉に、また茫然とした。
そのような中、ハジム子飼いの兵達が、すぐさま皇太后一行を拘束し、無礼者!と騒ぐ一行をまたたくまに拘束し、その大広間の床におさえこんだ。
何の真似だと大声を上げる側付きのものの声に、後ろにいたジェイムスが肩をすくめて近づき、陛下!と懇願するその女の首を一刀のもとに刎ねた。
周りには悲鳴と血しぶきがあふれ、あまりの事に気絶することもできない。
グレンはその茶番を冷えた目でみやり、やはりこの男は気にいらないと思った。
暴れようとする人間の首を一刀の元に綺麗に刎ねるなど、この傭兵団の中でも、自分かルークくらいのものだろう。
それを、この男が目の前で簡単にやってみせた。
この男は生まれながらの王室育ちだ、それがどうしたら、こんな化け物に育つのか・・・。
本当に気に入らない。
リーナの髪を無意識に撫でながら、グレンはジェイムスを見た。
するとジェイムスもこちらを、いやリーナの髪を撫でる自分の手を、優雅など何のことだとばかりの視線で射抜いてくる。
それを口元に弧を描いたまま、あからさまにリーナの髪に口づけを落としながら、目はジェイムスをみつめたままで、ふっと笑ってやった。
ジェイムスの雰囲気が、その瞬間ガラリと変わった。
それでいい、化け物は化け物らしくだ。
くっくっくっとグレンの小さな笑い声が、全ての音のやんだ大広間に響いた。
その低い聞くものを震え上がらせる昏い笑い声に、大広間にいたものは戦慄した。
側付きの女の首は、ちょうどギランの足元におもちゃのように転がってきた。
息をするのも忘れた人々の耳に、次にぐちゃりと言う音が聞こえた。
「あ~あ、踏み潰すの失敗したあ~。しょうがないよねえ、このおしゃれな靴じゃさあ。」
そう言って小さく笑うギランの声が聞こえ、それに目を向けた人間は「ひっ」と息を飲んだ。
ここは栄えある王宮ではなかったのか?
この祝賀会に招待された時、一族の代表として、それぞれが野心と誇りを持ってここにいた。
皆の羨望と期待を携えて。
それが、いつからこのような悪夢の時間になったのか。
動くことも口を開くことも、ましてや逃げ出すこともできず立ち尽くす人々は、喜びで輝かせた目を今や絶望を浮かべて、そこにただ居ることしかできなかった。
そんな中、女が首を刎ねられてからの静寂を破って、気丈にも皇太后マリエッタがはっきりとした声を出した。
「そなた、我を誰と心得る。何を持って王家に生まれし我に対し反逆というのか、片腹痛い!しかとわらわの目をみても一度言わりゃ!」
と、さすが先王の王宮での女の戦いを統べてきた皇太后が床に膝をついた体勢のまま、きっ!とハジムをにらみつけ問いかけた。
それには息子であるジェイムスが静かに近寄りながら、母である王太后に答えた。
「それはいかようにも何とでも作りますから、母君がご心配めされる事はございません。」
そう、優しく答える。
そして次に軽く話しかけた。
「ご心配には及びませんよ。ここでの出来事など誰も語る口は持ちませんから。」
「私はおろかケルダス王国、ニルガ傭兵団のいる中、このラージスの恥を語るような者などおりませんから。」
そう言って会場にいる人間を見渡す。
ジェイムスが見渡すとニルガの人間以外は、その目をそらした。
ほら、ごらんなさい、という感じでジェイムスが、目で笑い、続いてこれぞ大国の帝王がなす礼だというような見惚れるような所作を、自分の母親に向かって行った。
「そろそろご退場を、と思っておりましたが、思ったより早めのご退場。ながのお勤めありがとうございました。」
そう言って優雅に微笑むと、見るのも嫌だという表情に変わり、
「さっさと消え去るがいい!」と皇太后である母が聞いた聞いたこともない低く重いそれでいて感情を一切みせない言葉を告げた。
大広間から引きずり出されながら、母であるマリエッタは、嘘だ嘘だと息子であるジェイムスを見る。
そこにジェイムスから、待て!と声がかかり、ああやはり、あの小さい頃から次代の王としては穏やかすぎるのを心配したくらいの我が子だ。
やはりこれは、何かの間違いだとほっと胸をなで下ろし、半狂乱のかわいいファリエルを見る。
ほら大丈夫ですよ、ファリエル、この叔母が、ラージス帝国皇太后である私がついてます。
部屋に戻り次第、哀しませた詫びに新しいドレスとお前に似合う宝石を見立ててしんぜましょう。
それから、・・・まあそんなに泣いては・・。
そう思いながら、もう大事ないと安堵した時、ジェイムスの声が聞こえてきた。
「ケルダス王ジュール殿、グレン殿、・・・そしてリーナ嬢。」
「よろしければ、この私にこの母の幽閉ではなく追放をお許しいただきたい。」
「賞金額はそちらの言い値でかまいません。どうぞお好きに狩られて下さいませ。」
「なお、ファリエル達は死罪ではなく、ケルパ砦の遊郭にでもお売りくださいませ。あそこは、皆さま方が出てからは、一層無法地帯になったとの噂、せいぜい下賤なものの暮らしをその体で味わってもらいたいと思います、如何でしょう?」
「もちろん、全ての責任は我がラージスが負わせていただきます。」
それを聞いたさすがの皇太后も悲鳴を上げ怒鳴りちらしたが、それを押えられそのまま兵士に連れ去られていった。
グレンはそれの一部始終を興味がないとばかりに無視し、仕方ない、自分の役目かとルークが大声をあげた。
「どでかい賞金首だ!お前達わかってるな!ただし、簡単には殺すなよ!」
それを聞くと傭兵達は気勢をあげながら、わらわらと退室していった。
それを目で追った後、グレンに、そしてリーナの方に顔を向け、頭をジェイムスがゆっくり下げた。
大陸屈指の皇帝が民間人に頭えを下げるなど前代未聞だった。
そしてそれをみて再度ざわつく声をジェイムスも無視した。
「今回のこの愚か者どもの不始末、このジェイムスに免じてお許しいただけませんでしょうか?」
そう言って刀を取り出すと、そのまま自分の左手のひじから下を思いきり刀で振りぬき、切り落とした。
再びの悲鳴と、悲鳴。
瞬時に顔を青く、そして真っ白にしたハジムがすぐさま駆けつけた。
その吹き出す血をおさえようとするも、視線一つで、それをおさえ、ジェイムスはリーナをみつめた。
すぐさま止血をと叫ぶ随行の医師や、ジュールが薬師を!と自分の側近に叫ぶ混乱の中、リーナはジェイムスを見た。
ハジムのすがるような視線を無視し、リーナは一度目をつぶり再びジェイムスをみた。
したたるというより噴出するかのような血に、事は一刻を争う事を見て取りながら、リーナは言った。
「馬鹿は嫌い。でもわかっててもする馬鹿は嫌いじゃないわ。」
もう一度ジェイムスとひたと目を合わせたリーナは父を促し退室すべく歩き出した。
「とても楽しい祝賀会でございました。」
と一言添えて。
リーナが退室するのを見届け、ジェイムスは初めてその表情を少し変え、ハジムに
「痛いものだな。」
と言って、長いつきあいの中、初めてみる今にも泣きそうなハジムに笑おうとしながらも、失血の為気を失った。