第3章 第4話
リーナ父子です。
自室の窓から、外を眺めた。
やはり雨は嫌いだ、とリーナは思った。
いつでも雨は嫌な事を思いだす。
特に、あの町がラージス軍によって蹂躙されたと聞いた今は。
今頃になって、なのか、やはりと思うべきなのか、リーナはぼんやりと、また外を眺めた。
町がそれだというならば、やはり村を焼き捨てておいて良かったと、しみじみ思った。
あの朝ウォーカーは言った。
「どうなされますか?」と。
その口調から、もう家族としての自分たちは終わったのだと悟ったリーナは、静かな静かなあの悲しいほどの静寂の中、ウォーカーに告げた。
「全部、壊して。」と。
遺す意味などリーナにはなかったから。
昨日までのあの日々は、あの子らや、その家族との大事な日々であって、それがこうして全て途絶えた今、その残り香を残して何になるのか、リーナは考える間もなく答えていた。
けれど、けれど・・・リーナは泣きたくなるのを、手に力を込めて、そして堪えて、窓から雨をひたすら眺めた。
自分が泣くのだけは許さない。
泣くのは自分のために、これまでおびただしく死んでいったもの達への、自分が背負うべき何かを捨ててしまうように感じるから。
ギランが目の前で誰を殺そうと知らんふりをする、かばうと余計ギランは壊れたようにそれをするから。
私が止めると、それをひどくギランは哀しむ、私がギランを拒否するなんて、ありえないのに。
何だかんだと言ってもギランが好きな私は、哀しむギランをみたくなくて、かといって傭兵のみんなも
愛しくて、だから少しでも被害がないように、知らんふりをする。
傭兵団が出兵するときにもニコニコと見送り、帰ってきたときもニコニコと迎える。
いつでも、みんなのかわいいリーナでいるために。
それが死に行く者でも。
ここ最近のラージス軍との戦闘は、新しくできた最高司令局と再編成軍が、ニルガ傭兵団と互角以上の戦いを広げ、一進一退を繰り返していた。
また、これに便乗しニルガ傭兵団の拠点を多く有していたケルダス国に難癖をつけ、それに侵攻するという力技まで発揮し、ケルダス王家を蟄居幽閉し、その傍系をケルパス王国から連れてくるという、今までが嘘のような鮮やかな動きをみせていた。
そして、この日あのサナ地方がラージス軍によって蹂躙されたことを父から聞いた。
野盗討伐の名目で。
私の後ろで優雅にお茶を飲む父は、わずかばかりに目を細めて私をみている。
私の中で、一番の性質の悪さナンバーワンは、断然トップでこの父だ。
私は母が死んだ時の事を覚えている。
父もまだ幼い私に覚えていろと言った。
母の顔は全然今でも覚えていないが、没落貴族の娘だった母は父に夢中だったらしい。
夢中だったというのがわかるのは、生まれた私にさえ嫉妬し、そして死んだから。
私は父グレンの乳母だったハンナに育てられていた。
ある日若い女が、私たちの住む館にやってきた。
私が覚えているのは、泣き叫び懇願する女の人と、それを困ったように取り押さえるルーク。
父の膝にいる私は驚いて父にしがみつき、父はそんな私の様子に、初めて、その女の人に顔を向け
「静かにしろ、この子がおびえる。」
そう言った。
それから、そう、それから・・・。
「そんな子なんて、産まなければ!」
と女の人が叫び、私ははじめて、その人に、産まなければといった、悲しく泣くその人に顔を向けた。
黒い長い髪、今でもそれしか覚えてないが、それを聞いた父は、私をハンナに預けると、椅子からすっと立ち、その女の人の傍により、
「リーナ、ちゃんと覚えているんだよ。」
そういった。
「お前の髪と、お前の瞳が気に入った、何故かわかるか?」
優しく女の人の髪を触り、しがみつくその人の顔をあげさせ、その顔を撫ぜながら、
「私の跡継ぎにふさわしい、素晴らしい黒髪の子のためだ。小さい時から決めていた。私の子はとても綺麗な黒髪がいいと。」
そう言って、優しく触ったその黒髪を次は思いきりギリリと握り、自分の前まで引きずりあげると、足がつかず悲鳴をあげるその人に、
「騒ぐな!リーナがおびえる。」
そう言って冷たく恫喝した。
「かわいい愛しいリーナを私に授けた、その恩恵でもって、一生生きるに必要な全てを与えたというのに・・・。それをいうか!」
初めて父の本気で怒る姿に息もできない私の前で、その後その人は父によって切り刻まれていった。
文字通り、片耳、それを抑えるひじから先、徐々に徐々にきり刻まれていった。
私の初めての血の記憶は、父に殺される母のそれだった。
誰よりも、この父は激しく強い。
幼少から跡継ぎである父にはカリスマがあり、誰もその突出したそれについていけなかった。
ただ従うのみ。
その孤高の父に初めて与えられた私は、父にとってその根底を、自分一人しかいない世界に無条件で入り込んだ、ただ一人だった。
初めて持つその感情に聡い父はそれをわかった上で溺れた。
ギランにしたって、その歪みを父は上手に育てた。
ちゃんと本人に狂う事を選ばせた上で。
「リーナ」
窓辺から離れない私を、父は心配して後ろからぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫よ。雨をみていただけ。」
そう言って後ろを振り返った私に、父はまた目を細め伺うようにみた。
そして、「何が欲しい?」
そう私を抱きしめ囁くのに、
「命を・・・」
そう答える私に父は、私以外誰も知らない昏い甘い笑顔でキスの雨を降らせくつくつと笑う。
父の腕に抱きしめられ、再び窓の外をみながら、あのジョリーンは、あの蹂躙された町で、今度は何の歌を歌うんだろうと、ふと思った。
ああ、あの町は遠い。
目をつぶってリーナは父の胸にもたれた。