第2章 第2話
ラージス帝国視点です。
ラージス帝国の栄光ある帝王のみに許される禁色の赤紫で、全身を染め上げ、文武それぞれのトップである宰相と、総司令の二人から、報告を受けるジェイムス三世は、目をつぶってそれを聞いていた。
「それでは、何か、我が禁軍まで動かしたものの、ニルガ傭兵団の第1、第2部隊をまるまる逃がし、あまつさえ4割強の兵を失った、そういうのだな。」
静かに、その気品を湛える蒼の双眸に、ひたと見つめられ、宰相のフォンガードも総司令のミルガットも、今回の失態に、己の辞位を、家名返上を覚悟した。
今回の作戦は、ニルガ傭兵団の拠点であったケルダス国のレンビット周辺に、傭兵団の一部が集結しているのを偶然に旅の商人が目撃し、ラージスの下位貴族に漏らしたのが発端で、ラージスの間諜が、それを確認。
あまつさえ、数日後には第一遊撃隊と、副長ルース率いる最強の裂斬隊の集結との、とんでもない情報をもたらせた。
ケルダス国には、自国ラーン伯爵家が反逆を犯し、その追撃を!とのことで、領内ごめんを無理やり通した。
禁軍第5隊300、正規軍700、それで息の根を止めるつもりが、町にはいったとたん、爆破の雨あられ、はては、動く壁に囲まれ動けなくなる所に油と火をつけられ、禁軍の犠牲により全滅は免れたものの、負傷者も多く、さんざんな結果に終わった。
ここ数年、目標であるニルガ傭兵団の殲滅は、一進一退を繰り返しており、飛ぶ鳥を落とすと言われたラージス帝国に、わずかに暗い影を落としていた。
ジェイムス三世は即位後、次々と斬新な人事異動、叙勲を行い、若い皇帝と侮った重臣たちをことごとく失脚させ、自分の足元をわずか半年で盤石なもととした。
次いで、中央神殿に対し、恐れ多くもヤーナの代弁者であるはずの大神官、及び神官が、数々の唾棄すべき所業を行うを、みてみないふりはできぬと、10か条の公開質問状を中央神殿につきつけ、長い時に渡って、我慢を強いられてきた民衆をあおり、その熱は大神官の暗殺まで発展し、中央神殿が実質弱体化するまで、2年もかからなかった。
この大陸で国と呼ばれるものができる以前から、当たり前に君臨してきた中央神殿は、真ん中に据えられた根本を折られたとたん、支えるすきも与えられず、その巨大さに比例して、大きく崩れていった。
今では形骸化された大神官の元、実質ラージス帝国の足元に屈していた。
そして、不思議なことに、扇動した民衆の指導者達は、わずかばかりを残して病死や事故死があいつぎ、あれほどの民衆運動も幻のように消えて行った。
次いでジェイムス三世が目を向けたのは、この大陸を闊歩するニルガ傭兵団だった。
団長グレンを長とし、数千といわれるプロ中のプロ、ニルガ傭兵団は神殿と同じように、この大陸に数代にわたり根をはる、ジェイムスの統治にとって邪魔なものだった。
わずか数千の集団と、大帝国、勝敗は時間の問題と思われていたが、ニルガはその機敏さを発揮して、その実力でもって、帝国と渡り合っていた。
周辺の国は表だってラージスへ恭順していたが、その領内をニルガ傭兵団に開放している事が、その胸の内を語っていた。
ジェイムス三世は、ニルガにいっぱいくわされた愚かな文武のトップを見つめたのち、
「何もお前達を責めているのではない。文武両方の三官を集め、引き続き今回の詳細な報告書をまとめ、今夕までに提出を。」
そういい、踵をかえすと、総司令官に
「子供が生まれたそうではないか、期待しているぞ。」
と去り際に声をかけ、ミルガットを感激させ、この主の為ならば、と心を新たにさせた。
ジェイムス三世は、後宮に赴くと、側妃の一人を抱きながら、新しい側妃はケルガから迎えるか、と考えていた。
この後宮には8人の側妃がいるが、どれも名前など覚える気もない。
みな利害を考えて迎えたものばかりで、どれも均一に呼ぶし、利用価値がなくなれば、病死などで退場してもらうだけだ。
子供など孕んだ気配があれば、その場ですぐ退場だ。
ものごころがつく頃から、周りは、この王太子である自分につき従い、全てを与えた。
生来の賢さゆえ、10にならないうちから、この国は自分でなくとも、綺麗に回る熟成された国家であることに気が付いた。
懸命にシミュレーションを重ね、思考を重ね、14で最初の側妃を迎えた頃は、自分でなくとも繁栄するだろう帝国に絶望した。
そして、その絶望の中で、ちょっとした遊びをみつけた。
自分に群がる大貴族たちをゲームの駒にみたて、取り立て、取りつぶしを密かに行い、感情のない自分の代わりに、その一喜一憂を楽しんだ。
側妃たちにも、甘い言葉をささやき、同じ口で絶望に突き落とし完膚なまでに壊していった。
自分の甘やかな、このみたてと、王族らしい穏やかな態度で、誰も自分が周りの人間を壊して遊んでいることに気付かなかった。
全て、壊れるがわの人間の失点として扱われ、その失点がどこから暴かれたのかは、誰も注意をはらわなかった。
それも飽きてきたころ、どうせなら、もっと壊しがいのあるものを、と思い立ち、早々に父君には退場を願った。
倒れた父君の最後は自分が呼ばれたが、二人きりの耳元で、
「毒入りのワインはおいしゅうございましたか?」
と聞いた時の、あの顔はおもしろかった。
「我が父君はこのような顔だったか」
と、はじめて思った。
私は基本関心がないものは、人の顔などもだが、みじんも覚えないから。
「我が皇」、との声に振り向けば、唯一の側近ハジムが、寝室にきたようだ。
ハジムは幼いときから、私の傍にいる。
乳母のジョリーンの一人息子でリーダ公爵家の跡取りでもある。
遠い昔、寵愛を一身に受けた腹違いの弟の母君からの暗殺を、何度となく、二人でしのいだ時からの、私の唯一の共犯者であり、友だ。
あの時まだ、ただの幼子であった自分を守り、助け、未だに私の為なら何をもいとわない。
かの女狐は、乳母ジョリーンに効果的に皆の前で死んでもらうことで、いいのがれできぬ王太子に対する暗殺容疑で親子ともども失脚させたが。
自分は知らぬ存ぜぬと大騒ぎしたが、確かにあれだけは知らぬだろう。
私とハジムの考えたことだから。
もちろん乳母のジョリーンも、偽の毒を飲むことしか知らなかった。
しかし、私たちは、乳母であり母であるジョリーンに迫真の演技は期待しなかったので、やむなく、演技ではなく本物を飲んでもらった。
口うるさくなってきたので、ちょうどよかった。
10に満たない私と、目の前で私の代わりに毒で倒れた忠義者の16の息子に、皆の同情が一身に集まり、いくら寵愛著しい隣国の王女であろうとも、父王は、みてみぬふりをしてきた凶行でさえ許した、その寵妃を、幽閉せざるをえなかった。
この後宮は、男は私以外足を踏み入れられないが、ハジムだけは別で、こうやって壊す算段をつけた女を二人で楽しむこともある。
ハジムはこの後宮警備の総責任者で、私専属の書記官でもある。
しかし、実質裏のことは、ハジムが動かし、私が表を動かす。
寝室に入るハジムをみて、
「無礼者!」と騒ぐ女に目をやる。
ハジムに目をやると、抱く気はないようだ。
ここを汚さないよう、ハジムに目で促す。
ハジムは騒ぐ女を、片手に抑え脇卓にあるワインを手に取ると、女の口を無理やり開け、ボトルごと注ぎいれ、息もたえだえに抵抗する女を肩に抱え、口を押えると、
「作戦の失敗は聞きました。そもそもおもしろがって、禁軍はつぶさないで頂きたい。」
そういいながら、窓辺に歩み寄り、女をそのまま窓辺から放り投げた。
女の悲鳴が聞こえ、物のつぶれる音が続いてしたが、相変わらず後宮は静かであった。
酔った側妃の事故か、あの女の実家には弔文を送らなければな、しばらくしたら潰す家だが。
ハジムは後宮付きの警備を呼ぶと、おいたわしくも側妃ガネット姫、窓辺より、誤り転落と皆に知らせるよういい、お遺体は後宮内の廟の一つに納めるよう指示をした。
ちなみに陛下におかれては、目の前の惨事に心を痛められ、しばらく喪に服すため、表にはいかぬ事、並びに内内の葬儀を行うゆえ、他の側妃さま方にもご遠慮願う、との伝令をだした。
伝令を伝え振り向くと、我が君は、くつくつと笑いながら、新しい酒をグラスに入れて飲んでいた。
「あの愚かな司令は愚かなせいで、我が最高の禁軍の一つを壊滅させた。」
「なに、あまりにも、跡継ぎが生まれ、浮かれているので、祝いの一つを送っただけだ。」
そうお言いになるのに、
「軍は、あの司令には、もはや不信しか持ちませぬ。延々と続いた軍閥も、いずれ終わりでしょう。ようやく生まれた子の代までは、持ちませんでしょう。それは、祝いではなくて、呪いというのでございますよ。」
といいながら、傍によると、手ずからグラスを渡されたので、礼を言い酒を一口飲んだ。
そして、目を合わせると、二人でにこりと笑い、
「で、打ちひしがれている我が君におかれましては、この間何を準備なされます?」と聞いた。
自分的には、他に幾つか潰してもらいたい案件がある、とお願いすると、
「ここの者達は、手ごたえがない。」
とふてくされるのに、ハジムは、この方は、最後には、この帝国さえも潰そうとなさるかもしれない、いや、ご自身さえも、といつもの危惧を心に浮かべたが、ニルガ傭兵団のしぶとさはまだまだ続くと思い至り、そして、この方の時代に化け物じみた組織が存在することの僥倖に、感謝した。
我が皇の遊び相手を探すのは昔から自分の仕事であったし、それを壊す為に、さまざまな事を身に着け実行してきた。
動乱の時代であれば、末永く名をはせる覇王になられたであろう方だ。
そう、我が皇の遊び相手は幾らでも必要だ。
この大陸中、どこまでも探してみせよう。
さあさあ、働いてください!というハジムに、皇帝ジェイムス三世は、その高貴な微笑みでもって答えるのだった。




