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01:戦うスキルはありませんが、【観察眼】を駆使して、今日も元気です

「農家の娘が伯爵様のお屋敷で働くなんて、数奇な運命だねえ」


 洗濯係のマルタさんが、乾いたシーツを畳みながら言った。


「運がよかったんです」


 苦笑しながらそう返すしかできなかった。


「それだけかい?」


「運以外に何かあるとおもいます?」


「……なにもなさそうだねえ」


 かわいそうな目をこちらに向けて上から下をみる。胸のあたりで視線を止めるのはやめてほしい。


「まあ、この美貌?のせいですかね!?」


 私はシーツの端をそろえ、籠の中へ重ねた。


 名前はミナ。名字はまだない。まあ、未来永劫無い気もするが。


 十八歳。黒い髪に、中肉中背。町ですれ違っても、おそらく翌日には忘れられる顔をしている。ようは普通のモブ顔だ。


 少女漫画によく出て来る自称普通の女のメイクをしたらモデルになれるとかではなく、マジの普通の顔。



 アーヴェイン伯爵家に雇われて、もうすぐ一年になる。


 主な仕事は洗濯と屋敷内の掃除だ。ときどき厨房へ呼ばれ、野菜や果物の選別を手伝うこともある。


 今日は朝からよく晴れていた。風も少し強い。


 洗濯物の乾きも早く、午後の仕事は予定より早く終わりそうだった。


 春の陽気と、花の香りが眠気を誘う。仕事場でなければマットを引いてごろごろしたいところだった。


 ビニールとかこの世界にはないのかねぇ。



 と、そんな益体もないことを考えていると、厩舎の方から、男たちの声が聞こえてきた。


「もう少し待って欲しい」


 低く、かすれた声だった。


 声の主は、馬番のサルハーン。


 草原の民の出身で、年齢は六十ほど。日に焼けた顔に深い皺があり、白いものの混じった長い髪を後ろで束ねている。


 腰は曲がっているが、無駄な脂肪がついていない、ザ・農家のおじいちゃんって感じ。農家じゃないけど。


 先代からの知り合いで、数年前からこちらで働いているらしい。私の少しだけ先輩だ。不愛想レベルでいうと屋敷トップだが。良く面接受かったな。


 まあ、腕は確かだけれど、愛想のカケラもないので、屋敷では、偏屈ジジイで通っていた。直接言ったらシバかれそうだから言わないけれど。


「同じ言葉を聞いて、今日で七日になる」


 答えたのは、この屋敷の主人だった。


 レオルド・アーヴェイン伯爵。


 二十五歳。


 金色の髪に青い目を持つ、絵物語から抜け出してきたような美青年である。これが本当の顔面チートだと思った。


 ただし、絵物語の貴公子のように微笑みかけてくることはないし、甘い言葉も言わない。弱みも見せなければ、なんでもそつなくこなし、そしておもしれー女に興味はない。まあ私も顔面は拝むものであって手に入れるものではないというわきまえているオタクなのでお互い問題ないが。


 五年前、レオルド様が家督を継いだとき、アーヴェイン家は没落寸前だったという。


 だがその腕前はすさまじく、膨らんだ借金を整理し、領地の役人を入れ替え、荒れた街道と農地を立て直した。顔面以外のチートもあった。


 ただ、わずか五年で家を持ちなおすだけあって、無駄と無能をひどく嫌う人でもあった。


「あと少しだ。そう長くはかからんはずだ」


「見通しは」


「なんともだな……」


 短い沈黙が落ちた。


 厩舎では、一週間前から黒馬が立てなくなっていた。


 獣医が診ても病名は分からず、薬師の薬にも目立った効果はなかったらしい。


「明後日まで待つ」


 レオルド様が言った。


「それまでに何か分かれば、その時点で改めて考える。何も情報が増えないようなら、薬師には苦痛を長引かせない手立てを取らせる」


「もう少し時間をくれ」


「時間が無限にあるのであればな」


 レオルド様の声に、怒りはなかった。


「ただ、いたずらに時を費やすことが、常に馬のためになるとは限らないだろう」


 サルハーンからの返事はなかった。


「病因の分からないものを、口に回す必要もない。処置の後は焼却し、使える灰と骨だけ農務官へ渡せ」


 それだけ告げると、レオルド様は屋敷へ戻っていった。


 サルハーンは、しばらく厩舎を離れなかった。


 私は洗濯籠を抱え直した。


 黒馬のことは気になったが、わざわざ厩舎へ向かうだけの理由は思いつかない。干し終えた布を取り込み、客室の掃除へ戻る。


 通りすがりの下働きが口を挟んだところで、話がややこしくなるだけだ。


 


 午後の掃除を終え、汚れた布を洗濯室へ運んでいると、裏口の前に灰色の猫が座っていた。


 飼料倉庫の周辺に住み着いている猫だ。


 人にはほとんど懐かないが、鼠を捕るので追い出されずにいる。


『黒いの、倒れた』


 短い言葉が、意味を伴って頭へ届いた。


「そうだね」


『動かない』


 猫は厩舎の方を見た。


『かわいそう』


「心配しているの?」


『餌、落ちない』


「お前がかい」


 黒馬が飼料を食べなくなり、厩舎の周りへ食べ物がこぼれなくなったらしい。


 猫は猫だった。


 前脚を一度舐めたあと、こちらを見上げる。


『片耳。夜くる。変』


「飼料倉庫?」


『エサいっぱい。鼠いる』


 おそらく、飼料倉庫で合っている。


「片耳の人が、何をしていたの?」


『袋。くさい』


「まだある?」


『奥の方』


 猫は立ち上がった。


『魚!』


「見つかったらね」


『二つ』


「小さいものを二つ」


 猫は不満そうにひと鳴きし、尻尾を立て、裏庭の方へ歩いていった。


 左耳の先が欠けた男なら、心当たりがある。


 草原から来た若い使用人で、普段は厩舎の仕事をしていた。


 猫の言葉だけで何かを決めるわけにはいかない。


 それでも、見ておくくらいならできる。




 夕食の時間を待ち、私は仕事着から古い服へ着替えた。


 飼料倉庫は、厩舎から少し離れた場所にある。


 厨房や居住棟からも距離があり、日が落ちれば近くを通る者は少ない。


 猫は先に壁と屋根の隙間から中へ入っていた。


『ここ』


 壁の向こうから声がした。


 扉には鍵がかかっている。


 裏手へ回ると、小窓の留め金が外れていた。


 木枠には、何度も開け閉めしたような擦れ跡がある。


 周囲を確かめてから窓を押し上げ、体を滑り込ませた。


 積まれた干し草の間で、猫が待っていた。


『遅い』


「ごめんね。次は人間向けの道を案内してほしいな」


『箱の後ろ』


 猫が話を無視して、前脚で、てしてしと小さな木箱を示す。


 箱を動かすと、壁との隙間から布袋が出てきた。


 袋の口は、赤と白の組み紐で縛られている。


 中には、細かく刻まれた黒紫色の葉が入っていた。


 私は一枚を指先へ載せた。


《合致》


《痺れ草 学名なし》


《口腔の痺れ、筋力の低下、呼吸の異常を引き起こす。重篤化すると心不全、肺水腫となる》


 父から教わったことのある植物だった。


 とある地方の湿地に生える毒草で、家畜が誤って口にすることもある。


 私は少量だけ布へ包み、袋を元の場所へ戻した。


『魚』


「明日の朝ね」


『今』


「今は持っていないの」


『役に立たない』


 猫はしっぽの先で私の足を軽くペシっとすると、さっさと窓から出ていった。


 手厳しい。


 外へ出たあと、窓の下を確認する。


 乾きかけた黒い泥の上に、靴跡が残っていた。


 左足の踵だけ、形が一部欠けている。


 私は足跡を覚え、窓の留め金を元へ戻した。




 そのまま部屋へ帰ってもよかった。


 けれど、毒草と馬の症状が一致しているかまでは分からない。


 私は屋敷の裏手でしばらく待った。


 厩舎の灯りが落ち、人の気配が消えた頃、入口から中を覗く。


 黒馬は馬房の奥に横たわっていた。


 荒い呼吸を繰り返している。


 サルハーンの姿は見えなかった。


 誰もいないことを確かめ、黒馬の近くへしゃがむ。


「口は痛い?」


 黒馬の耳が動いた。


『変。ぴりぴり』


「脚は?」


『重い。動かない』


「倒れる前に食べた草は?」


『苦い』


「誰が持ってきたか、覚えてる?」


『片耳』


 黒馬は目を閉じた。


『あいつ、嫌い』


「分かった。もう少しだけ頑張ってね」


『いつまで?』


「明日までには何とかなると思うよ」


『なら、待つ』


 私は立ち上がった。





 翌朝、廊下を掃除しながら、草原の民に割り当てられた部屋の前を通った。


 壁際に、何足かの靴が並べられている。


 左耳の欠けた男の靴は、左足の踵から金具が一つ外れていた。


 倉庫の裏で見た足跡と、形が似ている。


 それだけでは、まだ足りない。


 昼過ぎ、離れた場所から飼料倉庫を見ていると、例の男が裏手へ回るのが見えた。


 しばらくして出てきたとき、その手には小さな布袋が握られていた。


 男は周囲を見回し、外套の内側へ袋を隠した。


 私は物陰から動かなかった。


 呼び止める理由も、ここで捕まえる必要もない。


 なにせ私にそんな戦闘能力チートなんぞ無いからだ。



 その日の夕方。


 サルハーンが一人で屋敷の裏を回る時間を見計らい、人のいない渡り廊下で待った。


「お耳に入れておきたいものがあります」


 布へ包んだ痺れ蔓を差し出す。


 サルハーンは中を開き、葉の匂いを確かめた。


「どこにあった」


「飼料倉庫の木箱の後ろです」


「部外者は入れないはずだが?」


「裏窓が開くようになっていました」


 サルハーンは片眉を上げて少し首をひねる。


「あと、窓の下に左の踵が欠けた足跡がありました。今日、左耳の欠けた方が、同じ場所から何らかの布袋を持ち出しています」


「中は見たか」


「いいえ。遠目で、外套へ隠すところまでです」


 サルハーンは痺れ蔓を包み直した。


「誰かに話したか」


「まだ誰にも」


「そのままでいい」


 包みを懐へ入れる。


「大体はこちらの情報と同じだ」


 サルハーンはあごをゆっくり撫でて、遠くを見る。


「黒馬は助かりますか」


「ああ、2つまで絞れたが薬が真逆でな。どうしたもんかと思っていたところだ。これなら薬師も手を打てる」


「お願いします」


 私は頭を下げた。


「助かった。いつかこの礼は」


 サルハーンはそれだけ言い、厩舎の方へ歩いていった。


     

 その日のうちに薬師が呼ばれ、黒馬には解毒薬が与えられた。


 翌朝には呼吸が落ち着き、昼を過ぎる頃には、支えられながら自分の脚で立った。


 左耳の欠けた使用人は、屋敷から姿を消していた。


 部屋には着替えも荷物も残っている。


 使用人の間では、急に故郷へ帰ることになったらしいとだけ伝えられた。


 サルハーンがレオルド様へ報告したのは、その日の午後だった。


 私は廊下の窓を拭いていた。


 近くの小部屋の扉が少し開いており、二人の声が聞こえてくる。


「狙いは」


「我々との分断だろうな」


 サルハーンが答えた。


 アーヴェイン家は、先代の頃に王都での立場を失った。


 先代の頃から草原の民とはつながりがる。


 そしてともに先代の時期に力を無くしている、らしい。


「気の長い作戦だ。性格も悪い」


「そうだな」


 少し間が空いた。


「勝手に決めるのは其方の悪い癖だ。次に似た兆候があれば、確証がなくとも耳には入れろ。聞いた上で動かないこともあるが、知らされなければ選びようがない。私はもう子供ではないんだぞ?」


「分かった。すまない」


「男は」


「実家に帰ったそうだな」


「そうか」


 レオルド様は、それ以上を尋ねなかった。


「帰ってこないかもしれないな。補充をかけるか」


「ああ」


「これで問題は解決としよう」


 私は何も聞かなかったことにして、窓の端に残っていた水滴を拭き取った。




 数日後。


 草原の民との交易契約が、今季も無事に更新された。


 屋敷では使節を招いた小さな宴が開かれ、使用人たちも朝から準備に追われていた。


「ミナ、こっちを見てくれ」


 厨房から、料理長のオルバさんに呼ばれた。


 オルバさんは五十歳になる大柄な男性で、町に妻と三人の娘がいる。


 仕事には厳しいが、屋敷の若い使用人が困っていると、何かと理由をつけて食事を増やしてくれる。


 台の上には、果物の入った木箱が並んでいた。


 私は一つずつ手に取り、宴へ出せるものと、厨房で早めに使うものに分けていく。


「相変わらず早いな」


「オルバさんに、見分け方を教えてもらっていますから」


「にしても早すぎるだろ」


「それなら、オルバさんの教え方がよほど上手なんですよ」


 オルバさんは鼻を鳴らし、次の箱をこちらへ寄せた。


「こっちも頼む」


「はい」


 傷んだ果物を分け終え、厨房を出る。


 広間では、レオルド様が草原の使節や家臣たちと酒杯を交わしていた。


 普段より話す量が多い。


 機嫌がいいらしい。


 レオルド様は杯を置いた。


「いろいろ小さな問題があるかもしれないが、対話で解決できると信じている。そのためには早めに問題の種を見つけることが肝要だ」


 家臣たちが揃って頷いた。


 ちなみにモブ使用人である私は特にそんなキラキラしいところに絡むことは無い。




 宴の片づけが一段落した頃、私は仕事着を替えて厩舎へ向かった。


 黒馬は馬房の中で立ち、ゆっくりと干し草を食べている。


「元気になったね」


『ありがとう。言ってた通り』


 黒馬が鼻を鳴らした。


『げんきになった』


「よかった」


『灰色の、小さいのが見つけたのか』


「ああ、あの猫ね。うん。魚二切れで教えてくれたよ」


『がめつい』


「まあ、キミの命が助かったんだから、安いんじゃない?」


 黒馬は、しばらく干し草を噛んでいた。


 やがて耳を動かし、厩舎の奥を見た。


『あ、来た』


「サルハーンさん?」


『顔、怖い』


「馬には優しいでしょう?」


『優しいけど、怖い』


「何でまた?」


『みんな、従った』


 黒馬が首を下げた。


『音、ない。血の匂い』


 干し草を噛む音が止まる。


『もう遅い』


 背後から、靴底が床へ触れる小さな音がした。


 振り返ると、サルハーンが立っていた。


「今回は礼を言う」


「いえ、黒馬が助かってよかったです」


 サルハーンはあごを撫でて、こちらを見る。


「猫から聞き、こいつにも確かめたか」


 私は黒馬へ目を向けた。


 黒馬は何事もなかったように、干し草を食べ始めた。


「……何のお話でしょう」


「まさか、我々のほかにも獣の声を拾える人間がいるとは思わなかった」


 サルハーンは黒馬の鼻先へ手を伸ばした。


「お前は口が軽い」


 黒馬が顔を背けた。


『言っちゃダメなんていわれてない』


 サルハーンには、それも聞こえているらしい。


「いつからご存じだったんですか」


「お前が夜にここへ来たときからだ」


 あのとき、姿が見えなかっただけで、近くにいたのだろう。


「なら、もっと早く声をかけてくださればよかったのに」


「何をするのか見ていた」


「何もしなかったかもしれませんよ」


「それなら、その時だ」


 サルハーンは、わずかに目を細めた。


「だが、よく助かった」


「たまたまですよ」


「そういうことにしておこう」


 追及する気はないらしい。


 今のところは。


 サルハーンは黒馬から手を離し、私へ向き直った。


「改めて名乗っておく」


 いつもの偏屈な馬番とは、少し違う顔をしていた。


「私は草原の民の元族長、サルハーンだ」


 その名前には、聞き覚えがあった。


 はるか昔に読んだゴシップ本。


 本屋の奥の方に放置されていた本に載っていた名前だ。


 非合法だが王国直属のギルド。


 そのギルドを束ねる男の名が、サルハーン。


 まあ、同姓同名も多いから気のせいだろう。ということにしておくのが精神衛生上良い。


「これからも末永く仲よくしよう」


 サルハーンが言った。


「穏やかなお付き合いでお願いします」


「それは、お互いの心がけ次第だな」


 サルハーンは小さく笑い、音もなく闇夜に消えていった。



 否定はされなかった。


 けれど、約束もされなかった。


 額に浮かんだ汗を拭う。


『秘密、知られたね』


 黒馬が他人事のように小さく鼻を鳴らした。


「そうだね」


『逃げる?』


「走るのは速い?」


『遅いほう』


「残念」


 私は黒馬の額を撫でた。




 私は一度死んで、この世界の農家の娘として生まれ直した。


 持っていたのは、《観察眼》という一つのスキルだけ。


 知らないことを見ても、答えは出ない。


 けれど、見て、聞いて、覚えたものなら、そしてそれが正しいものであるのであれば、永遠に記録し、必要に応じて引き出せる。


 父から畑と植物を教わった。


 母から家事や狩猟を教わった。


 動物たちの声も、鳴き方や仕草を何年も見ているうちに、少しずつ意味が分かるようになった。




 両親が病で亡くなったあと、私は町へ出た。


 市場で野菜を選んでいたところをオルバさんに見つけられ、伯爵家へ紹介された。


 そして今に至る。


 今のところ、それで十分だった。



 これは、農家の娘に転生した私が、《観察眼》を頼りに、なるべく目立たず平和に生きていこうとする話。


 そして、静かに暮らそうとするたびに、なぜか普通ではない人たちの秘密を知ってしまう話である。

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