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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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ゆれる

作者: ミクロ犬
掲載日:2026/05/28



 待ち望んでいたその日の朝、ベルはおとなしく身支度をして、朝食をとり、両親に手を引かれて馬車に乗り込んだ。


「お父様、私の恩寵は何かしら」


「ベルはいい子だから、神様はベルにぴったりの素晴らしい恩寵をくださるよ」


 この国では、7歳になると神様からの恩寵を賜る。

 ある者は病を癒す聖なる光を。ある者はどんな荒地にも植物を育てる緑の指を。しかしそんな大きくて目立つ恩寵はごく稀である。

 たいていはその人の魂の大きさと形にぴったりのささやかなスキルであることが多い。


 ベルの父は身体強化して戦う騎士であり、母は聞く者の心を震わせる笛の名手だ。使用人のアンナは料理の達人。その夫のダンは手先が器用で見事な木工細工を作る。


「私はブランコが大好きだから、ブランコの恩寵がいいな」


ベルがそう言ったので、両親は思わず吹き出した。


 神様の恩寵があまねく満ちたこの小さな国では、ささやかな幸福に満足する人々の平和な営みがもう何百年も続いているのだった。


 神殿にはベルと同じ日に生まれた子どもたちがすでに何人も集まっていた。

 白い衣をまとった神官たちが祭壇の前にいて、子どもたちを一人ずついざなう。石台の上に大きな陶器の水盆がひとつ置かれている。


 ベルの番になり、両親の手を離してベルは少し緊張しながら神官のもとへと進み出た。


「水の中を覗きなさい。あなたの恩寵が現れます」


ベルはおそるおそる水盆を見下ろした。



『揺』



現れた文字を見て、神官は少し戸惑ったようだった。


「揺……。これは、ゆれるという意味の言葉です。あなたの恩寵は、揺れることです」

「ありがとうございます!」


ベルは満面の笑みを浮かべた。そして両親のもとへと小走りに戻った。


「お母様、私の恩寵はゆれることでした!神様は私がブランコが大好きなのをご覧になっていたのだわ!」

「まあ」

「ベル……」


少々呆れ顔の両親と共に、ベルは上機嫌で家に帰ったのだった。 





 恩寵が明かされると、人はごく自然に与えられたものの意味を理解できるようになる。

 これは誰にでも訪れる変化であり、自分の中にあった水脈が出口を見つけたかのように、恩寵の本質がこんこんと頭の中に湧き出してくる。


 ベルにとってもそれは同じだった。


 両親は気付かなかった。

 ダンが作ってくれた大好きなブランコに揺られながら、ベルがどのような知識と理解を深めているのかを。


 ベルは揺れるということをひとつひとつ確かめた。

 小石を揺らし、木の枝を揺らした。小さなものから大きなものへ。どんな物でもベルは揺らすことができた。


 ベルの目に映るすべてのものは、揺れていた。


 ベルはもともと聞き分けのいい子どもだった。我儘を言うことも意地悪をしたり悪戯をすることもない。だからベルの目が深く静まり、口数が少なくなり、どうしようもなく大人びてしまった表情で用心深く周囲を眺めていることに気付くのが遅れた。


「あなた、最近ベルの様子がおかしいの」


母親がそう言い出したときには、もうベルの変化は終わっていた。


 そして父親はその頃、にわかに不穏になってきたこの大陸の情勢から目を離すことができなくなっていた。


「戦争が始まるかもしれない」


父親はこの平和な国で騎士として勤めてはいたが、たまに盗賊を捕まえたり迷い込んだ魔獣を討伐することはあっても、ほとんどは儀礼や訓練の日々を送っていた。


「戦争……」


母親は信じられなかった。


「この大陸の端にある国で、魔に憑依された者が出た。その者が民を煽動してこの大陸を我が物にしようとしている。洗脳された民が戦うことを知らない他国を蹂躙している。隣国を抜けたら、次はこの国に魔の民がくる」


「そんな。なぜ、この国でそのようなことが」


「わからない。しかし、私には戦う力が与えられている。私はおまえやベルのために戦う。このために生まれてきて、ここまで生かされてきたのだから。

 この国には戦うための恩寵を持つ者が少ない。私は行かなければならない」


母親が息を呑んだその時、ミシッと音がして家が揺れた。


「地震……?」


 地震はすぐにやんだ。棚から物が落ちることもなかったため、父親はすぐに警戒を解いた。


「ベル……?」


 母親がハッとして居間の扉を見た。

 そこには真っ青な顔をしたベルが立っていた。


「お父様、私を連れて行って。私もこのために恩寵を賜りました」


「まさか、今の地震はおまえが?」


ベルは頷いた。


「だめだ、地震など。被害が大きくなりすぎる。この国の民までも巻き添えになる」


「いいえ、お父様。地震は起こしません。絶対に。約束します。ですから、私を戦場に連れて行ってください」


 恩寵は神が与えたもうた奇跡であり、魂の密約である。この国の民はそのことをよく知っている。一度その使命に目覚めた者の行手を阻んではならない。





 魔に取り憑かれた軍勢は数万の大群となって隣国を燃やし尽くし、この国になだれ込もうとしていた。

 隣国との国境の河を渡れば、そこは地上の楽園とも歌われたこの国の領土である。


 ベルは父親の肩に乗って、対岸を黒く埋め尽くす邪悪な軍勢をみつめていた。

 その後ろには様々な恩寵を賜った者たちが列をなし、魔の者が動き出すのを静かに待ち構えていた。


「くるぞ」


父親はそっとベルを肩から下ろした。


 対岸で大きな鬨の声が鳴り響いた。

 騎馬隊がまず河に入った。水嵩の減った川の中程まで軍勢が進んだとき、ベルは


揺らした


 肉体を構築する原子のすべてを、陽子を、電子の雲を、ほんの小さな力で。万物は振動している。その揺れをほんの少しだけ、加速する。


 心を魔に囚われていても、人の子の肉体はひとたまりもなかった。軍勢は馬から落ち、水に沈んだ。待機していた数万の軍勢が声すらあげずにその場で痙攣し、糸の切れた操り人形のように折り重なって地に倒れた。 


 魔の者たちは一人残らず、何が起きたのかもわからずに意識を刈り取られ、その命の火を落とした。


 そこへ、水の恩寵を賜った少年が進み出た。

 手を伸ばすと突然河の上流から大量の水が轟音をあげて押し寄せる。

 水は河から対岸までを舐め尽くすと、砲弾ひとつ、刀の房飾りひとつ残さずに、下流へと流れ去っていった。

 対岸は泥の海になって静まり返った。






 魔の者の残党が大陸のどこかに身を潜めているらしい。

 遠耳の恩寵を賜った者がそう告げた。  

 しかしこの国の民は今日も自分の魂にぴったりの恩寵に感謝しながら幸福に暮らしている。






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