EP 2
東京湾に『腐敗の幽霊船団』出現。政府が土下座に来た
「お願いです、九条先生! 先生のお力だけが頼りなのです!」
日曜の朝8時。
アパートの玄関先で、高級スーツを着た中年男性が、額をコンクリートに擦り付けていた。
内閣府・対ダンジョン対策室の室長、佐久間だ。
背後にはSPらしき屈強な男たちがズラリと並び、近所の主婦たちが「また九条さんとこよ」「借金取りかしら」と噂している。
「いや、頼りと言われましても……」
俺はドアを半開きにしたまま、困り顔で頭を掻いた。
「ニュース見ましたけど、あれ『幽霊船』ですよね? 自衛隊とか、Sランクの人たちの仕事じゃないですか? 俺、ただの清掃業者(自称)なんで」
俺はあくまでシラを切った。
先日の「無限カレー事件」で有名になりすぎた。これ以上目立つと、コンビニバイトすらできなくなる。
「ご謙遜を! 学校での『スライム殲滅』、拝見しました!」
佐久間が食い下がる。
「物理攻撃無効の敵を、デッキブラシ一本で『掃除』してのけた手腕……あれこそが、今回の『腐敗の幽霊船団』に対抗しうる唯一の手段なのです!」
「掃除って言われてもなぁ……」
俺はチラリと室内を振り返った。
そこでは、Sランク居候のカレンが、壊れた洗濯機の前で正座している。
「師匠! 行きましょう! これは天啓です!」
カレンが目を輝かせて立ち上がった。反省の色が見えない。
「『腐敗の幽霊船』……それはつまり、海を汚す『巨大な汚れ』ということ! 師匠の『解体』を海というフィールドで試す、絶好の修行場ではありませんか!」
「お前は黙っててくれ。あと洗濯機どうすんだよ」
俺はため息をついた。
正直、行きたくない。海はベタつくし、幽霊は怖い。
それに、今はカレンに壊された家電の買い替えで忙しいのだ。
「すいません、佐久間さん。見ての通り、うちは今、家庭内の危機(洗濯機死亡)で手一杯でして」
「そ、そんな……! 日本の物流が止まるかどうかの瀬戸際なんですよ!?」
佐久間が悲鳴を上げる。
実際、事態は深刻らしい。
東京湾に出現した『幽霊船団』は、濃霧と共に「腐食ガス」を撒き散らしている。
このガスに触れた船は数分で錆びつき、航行不能になる。
すでにタンカー数隻が被害に遭い、東京湾の物流は完全にストップしていた。
「自衛隊の護衛艦も、近づくだけでレーダーが腐食し、撤退を余儀なくされました。ミサイルを撃ち込んでも、船体は即座に再生する……。打つ手なしなのです」
佐久間の目には涙が浮かんでいる。
「このままでは、日本経済は死にます。……どうか、お願いします!」
男泣きだ。
ここまでされると、さすがに断りづらい。
未緒も後ろから「お兄ちゃん、助けてあげなよ。洗濯機くらいあとで買えばいいじゃん」と小突いてくる。
「はぁ……わかりましたよ」
俺は観念した。
「でも、『討伐』はしませんよ。俺は戦うの嫌いなんで」
「えっ?」
「あくまで『環境改善業務』……つまり、『船のサビ取りと、不法投棄物(幽霊)の撤去』。これなら引き受けます」
俺の提案に、佐久間がポカンと口を開けた。
サビ取り? 撤去?
特級指定ダンジョン相手に、何を言っているんだこの男は。
「え、ええっと……つまり、引き受けてくださると?」
「はい。清掃依頼としてなら」
「あ、ありがとうございます!! 名目は何でも構いません! 報酬は弾みます! 凍結中の口座も即時解放します! さらに特別手当として5000万!」
現金なもので、「口座解放」と聞いた瞬間に俺のやる気スイッチが入った。
「商談成立ですね。すぐ行きましょう。……カレン、お前も来い。荷物持ちだ」
「はいっ、師匠! デッキブラシは新調しておきました!」
カレンがどこからともなく、銀色に輝く新品のデッキブラシを取り出した。
無駄に準備がいいな。
◇
数時間後。東京湾、特設対策本部。
俺たちは自衛隊のヘリで、現場近くの埠頭に降り立った。
磯の香りと、鼻をつく腐った卵のような臭い。
沖合を見れば、どんよりとした黒い霧の中に、ボロボロの帆船が何十隻も浮かんでいるのが見える。
「うわ、汚ねぇ……」
俺は顔をしかめた。
船体はフジツボと海藻だらけ。甲板にはドロドロのヘドロがこびりついている。
あれは確かに「掃除」しがいがありそうだ。
「お待ちしておりました、九条先生!」
現地指揮官が敬礼で迎えてくれる。
その横で、大型モニターには海外のニュース映像が流れていた。
『――速報です。日本政府の要請を受け、アメリカ合衆国より最強の援軍が到着しました!』
画面には、金髪の長髪をなびかせ、雷を纏ったマッチョな男が映し出されていた。
カメラに向かって白い歯を見せ、親指を立てている。
『全米No.1ヒーロー、SSSランク探索者、ジャック・サンダーボルト氏です!』
『「Hey, JAPAN! 俺の雷で、ゴーストなんて黒焦げにしてやるぜ!」』
「……誰?」
俺が尋ねると、カレンが嫌そうな顔をした。
「……ジャックよ。アメリカの『雷帝』。派手好きで、暑苦しくて、私のストーカーその2」
「ストーカーその2?」
「その1は、師匠への愛で上書きされたので消滅しました」
さらっと怖いことを言う。
「へぇ、海外のSSSランクか。じゃあ、俺いらなくない?」
俺が帰ろうとすると、佐久間が慌てて止めた。
「い、いえ! ジャック氏はあくまで『火力の底上げ』です! 彼一人では相性が悪い可能性もあり……念のため、九条先生との『共同作戦』をお願いしたいのです!」
共同作戦。
つまり、あのアメリカンなマッチョと一緒に掃除しろと?
ズドドドドド……!
言ってるそばから、上空から雷光が降り注いだ。
埠頭に、ド派手な着地を決める男。
バチバチと放電する筋肉。
ジャック・サンダーボルト、ご本人登場だ。
「Hey! Karen! 会いたかったぜ、マイ・ハニー!」
ジャックはいきなりカレンに抱きつこうとして――カレンの絶対零度の視線で凍りついた。
そして、俺を見た。
「ん? 誰だこのモヤシは」
ジャックがサングラスをずらし、俺を値踏みするように見下ろした。
「ああ、聞いたぜ。日本で最近話題の『クリーナー(掃除屋)』だって? Hahaha! ジョークがきついぜ!」
ジャックが俺の肩をバシバシ叩く。痛い。
「いいかボーイ。ここは戦場だ。掃除道具を持ってくる場所じゃねえ。ママの元へ帰って、おねしょのシーツでも洗ってな!」
典型的な「噛ませ犬」ムーブだ。
俺はムッとするどころか、むしろ安心した。
「そうですよね! じゃ、俺帰ります!」
「逃がしませんよ九条先生!!」
佐久間に羽交い締めにされた。
こうして、世界最強の「掃除屋」と、全米No.1の「雷帝」による、凸凹コンビの幽霊船攻略が幕を開けた。




