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【なろう版】徒花の咲かせ方 ~欠陥オメガ宰相とワケありアルファ騎士団長の偽り番契約~  作者: 貴葵音々子@カクヨムコン10短編賞受賞
第二章

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9 どうせならフリじゃないほうが、お互い都合がよくないか?(※)

「わぁ……」


 オメガの日陰小屋に出勤したロシュは、ソファで雑魚寝していたミオーレを発見し、やや呆れた息をついた。ブランケットを頭から被って、身体の半分を床へだらりと投げている。他の参議たちには絶対に見せられない隙だらけな姿だ。


「もう、ミオーレ様。またここで徹夜したんですか? いい加減お屋敷に帰られたほうがいいですよ。使用人たちも心配しているでしょう」


 ミオーレが執務室に泊まり込むのは日常茶飯事だ。今さら驚くことではない。城の奥にある王宮でランディルから湯を借りるので、不潔ということもなかった。『そういうところもしっかり家の力を使うんですよね~』と、抜かりないミオーレの所業がおかしくて、ロシュは密かに微笑んだ。

 だが屋敷を空けっぱなしにしているのはいただけない。アーデルハイト家の使用人たちは一族であの家に仕えていると聞く。きっと仕事に忙殺されて家に帰る暇もない主人を心配しているはずだ。


「んん……ロシュか、今日は早いな」

「昨日イヴェール卿に言われて、やはりここを片付けた方が良いと思いまして。少し早めに来まし、た……」


 気怠そうに身動ぎしたミオーレを改めて見下ろし、ロシュは次第にピシリと凍りついた。

 乾かすのを怠ったのか、少しパサついた銀髪から覗く腫れぼったく赤らんだ目元。やや掠れて上擦った声。下半身を庇うようにして緩慢に起き上がる仕草。極めつけはくしゃくしゃになったシャツの首元に見える鬱血痕。ロシュは凍りついた血が一気に沸騰したかのように茹で上がった。


「すっ、すすす、すみませんっ! 僕、ミオーレ様の秘書官なのに、何も知らなくて!」

「ロシュ?」

「懇意にされているお相手がいたのですね!? なのに運命の番だの、好き勝手言ってすみません!」

「ロシュ、ロシュ。落ち着け、どうどう」


 ミオーレの制止もなんのその。大興奮して「トーチの実を蒸かさなきゃ!」とまで言い出す始末。ちなみにトーチの実とは、婚礼時などに振る舞われる縁起の良い食べ物である。ものすごく飛躍した思考回路に、ミオーレは寝不足で重たい頭をさらに重くして、今朝の出来事を思い出した。

 持て余すほど広い寝台で、陽が昇る前に目が覚めた。意識が飛ぶまで揺さぶられて、記憶がおぼろげだ。朝方の肌寒い空気を浴びた身体は清められていたので、きっとアスカディアが世話を焼いてくれたのだろう。そういう彼はどこにいるのかと首を回す前に、すぐ背後から寝息が聞こえてぎくりとした。

 朝一番のすっきりした頭に濃密な夜が鮮明に蘇る。あれだけのことをして、どんな顔で何を話せばいいのだろう。そう思うと後ろを振り返ることができなかった。背後から息苦しいほどがっしりとホールドしてくる逞しい腕を知恵の輪の要領で器用にすり抜け、ミオーレは逃げるように部屋を出た。熟睡しているアスカディアを置き去りにして。

 きっとマダムのことだ、昨晩のことは全て把握しているだろうし、悪いようにはしないはず。それよりこの場合の部屋代はこっちが持つべきなのか。それとも騎士団へ請求してもいいものなのか。そもそも経費になるのか。


「そ、それで、お相手は!? 僕が知っている方ですか!?」


 現実逃避をしていたミオーレを、ロシュの淀みない清廉な瞳が突き刺す。

 その眩しいほどの輝きに目を焼かれ、ミオーレは渋いものを食べたような顔をして言い淀んだ。

 困ったことに、恋の話をこれでもかと期待されている。だがアスカディアとはそういう関係ではなく、ただ利害が一致しただけ。そう言えたらいいのに、ロシュの期待を真正面から打ち砕くのは気が引ける。でも、嘘をつくのはもっと憚られる。

 どうしたものかと思考をぐるぐるさせていると、執務室の扉が外から勢いよく開け放たれた。

 枠から外れそうなほど大きな音を立てた扉に驚いて、中にいたふたりが目を丸くする。怒気を立ち昇らせて現れた人物に、ミオーレは目を見開いたままさらに顔を引き攣らせた。


「あ、アスカディア……」

「おい、勝手に帰るってどういう了見だ、ミオーレ」


 地に届くような低い声を這わせるアスカディアと様子のおかしいミオーレを、ロシュが交互に見やる。それはもう、首が捥げそうなほどの勢いで。


「えっ……え……えぇーーーッ!?」


 名前呼びに、意味深な会話。昨日とはまるで違うふたりの様子に全てを察したロシュの甲高い絶叫が、城内の端っこに響き渡ったのだった。




 ◇ ◇ ◇




「閣下、どうぞ!」


 ハキハキとした様子でロシュが差し出したマスカットティー。昨日と同じ茶葉、同じ茶器、同じ面子。なのにあの怯えた様子はどこへやら。純粋無垢な熱視線を浴び、アスカディアは少し居心地が悪そうにして「いただく」とだけ伝えた。


「ああっ、そうだった! うっかり屋敷に忘れ物をしてしまったんでした! 申し訳ないのですが、取りに戻ってもよろしいですか!?」


 ロシュが急に芝居がかった大げさな口調で言い出すので、ミオーレは苦笑した。要らない気遣いなのだが、これから話す内容を、夢見がちなロシュは聞かないほうがいいだろう。紅茶に口を付けながら「うん、行っておいで」と送り出す。ロシュは大好きなスイーツを前にした時のように、頬をぷくぷくさせた笑顔を浮かべた。


「ふふっ。ミオーレ様のことをどうかよろしくお願いしますね、アスカディア騎士団長!」

「……? あ、ああ」


 怪訝そうな返事をするアスカディアに一礼して、ロシュは部屋を出た。スキップする足音でも聞こえてきそうなくらい上機嫌に。


「……何を頼まれたんだ、俺は?」

「気にしないでくれ。あの子は純粋すぎるんだ。そこが可愛いところだけど」


 言いながら、ミオーレは背後の机に手を伸ばす。ここへ逃げ帰ってすぐしたためた紙を一枚拾い上げ、アスカディアの前に差し出した。


「これは?」

「契約書。こういうことはちゃんとしておいたほうがいいだろう?」


 朦朧とした意識で交わした昨夜の取引内容が、生真面目そうな筆跡で綺麗に並んでいる。国同士で交わされる議定書と遜色ないほど正確に、詳細に。

 自分で言うのもおかしな話だが、なかなかの出来だ。これならアスカディアも文句はないだろうと得意気にしていたが、相手の反応はいやに渋い。眉間にぐっとしわを寄せて、契約書越しにミオーレを物言いたげに見つめる。


「素晴らしい仕事ぶりだが、セックスした相手を置き去りにして朝一番にこれを仕上げる情緒のなさはどうかと思うぞ」

「君がピロートークをしたいタイプだったなんて、意外だな。必要ならそれも契約内容に入れておこうか?」

「いや、いい。絶対まともな会話にならない」

「失礼だな。ちゃんと花筐の花君たちから睦言のレクチャーを受けておくよ」

「何を目指してるんだ、お前は」


 あくまでビジネスライクな姿勢を崩さないミオーレの態度に、アスカディアは再びげんなりした顔で契約書に目を通した。そこで気になる一文が目に留まる。


「この〈契約期間中は番関係を偽装すること〉っていうのは……」

「ああ、それ。虫除けになってほしくて」

「……ドミトリオンからの求婚の件か」

「うん。理解が早くて助かる」


 この契約書をまとめながら、ミオーレの脳裏に昨日のランディルとの会話が不意に過った。


 ――もう三年も皇帝から脅し紛いの求婚が届いてるんだ。

 ――せめてミオーレに番がいたら断りやすいんだけど。


 ならばと、打算的な考えが思い浮かんだのである。


「言っただろ、君を利用させてもらうって」

「だからって番を偽るなんて、本気か?」

「別に、本気で私を好きになれとは言ってない。番のフリをしてくれるだけでいいんだ。そしたら向こうもきっと諦める」


 番契約は婚姻すら凌駕する特別な関係性だ。それを引き裂こうとするのはどの国でもタブー視される。いくら武強国のドミトリオンとはいえ、番からオメガを強奪することはできないはず。


「そうは言ってもな……」

「……もしかして、番になりたい本命のオメガでもいるのか?」


 だとしたらさすがに可哀想かと思い改めようとしたが、「そういうわけじゃない」とすかさず否定される。「ならいいじゃないか」と押し切ろうとするミオーレに、アスカディアは少し緊張気味に告げた。


「どうせならフリじゃないほうが、お互い都合がよくないか?」

「……へ?」


 思いがけぬ提案に無防備な声が押し出される。鼓動が一段と速くなった。


「嘘は重ねた分だけ見抜かれやすくなる。大元を真実にしてしまった方が安全だ。それに、本物の番になれば俺のラットもヒート同様に治まるかもしれな――」

「だめだ」


 被せるように口を突いて出た否定の言葉は、思いのほか強張ったものになった。執務室に一拍の静寂が広がる。

 本物の番契約は、どちらかが死ぬか運命の番が見つかるまで解除されない。子どもを産めない欠陥品と番になれば、アスカディアはこれからの華々しい未来を棒に振る。

 オメガを卑下する言葉には断固立ち向かうミオーレだったが、ひとりのオメガとして俯瞰的に見たとき、第二性を象徴する大事な要素が欠落している自分の価値は、ないに等しい。優れたアルファは、優れたオメガと番うべきだ。

 なのに、アスカディアは妙な方向へ疑惑を寄せる。


「……そっちこそ、番になりたいアルファが他にいるんじゃないのか」

「はぁ? な、なんでそうなるんだ」


 そんな相手、いるはずがない。『想いを寄せたところでどうせ徒花は選ばれない』と、自分に言い聞かせてきたのだから。


「あんなに欲しがってた俺の弱みを握ったんだ、『番になれ』くらいの無理難題をふっかけるのが普通だろ?」

「私をなんだと思ってるんだ、君……」


 追及するようなアスカディアの視線が痛い。騎士団塔の牢で尋問されている容疑者の気分だ。

 一応保身のために言うが、いくらミオーレでも、さすがにひとりの人生を丸ごと搾取するような脅しはしない。もしそう思われているとしたら心外だ。とはいえ密偵を送り込んでいた引け目があるため、あまり強く否定できないのが虚しい。


「別に、フリでいいって言ってるんだからいいじゃないか。契約はあくまで対等なものだ。ほら、ここに〈アスカディア・イヴェールが求める場合、ミオーレ・アーデルハイトはいついかなる時も性処理に応じる〉って文言もちゃんと書いて――」

「じゃあ今ここで求めれば、お前は無条件で応じるんだな?」

「は?」


 狭いローテーブルを挟んで伸ばされた腕に肩を押された次の瞬間には、ソファの座面に押し倒されていた。何をされているのか理解ができず、言葉を失ったまま頭上を見上げる。無作法にも長い足でテーブルを跨いだアスカディアを咎めるべきか、なんて見当違いな方へ意識が向くくらい、気が動転している。

『いついかなる時も』は、アスカディアがラットに陥った場合を想定して書いた。平常時に行為を求められるという発想そのものが、ミオーレには一切なかった。どうしてこんなことになっているのか、意味がわからない。


「――さ、サイン! まだサインをもらっていない!」


 つまり、契約はまだ無効だ。〈ラットに陥ったら〉という文言を書き加えたものに修正できる。焦ってローテーブルに置かれた契約書へ手を伸ばすが、アスカディアがペンを持つ方が早かった。ミオーレに覆い被さったまま、ペン先が滑るカリカリという音が無情に響く。


「これでいいだろ。もうお前のサインもあるし」

「うぐっ……!」


 そう。完璧に仕上げたつもりで、ミオーレは既にサインを済ませていたのだ。後世に語り継ぐべき失態である。残念なことに、アーデルハイトの血統はミオーレで途絶えるだろうけれど。

 そんな現実逃避をしているうちにも、アスカディアのごつごつとした手がミオーレの緩い首元をまさぐる。ソファで雑魚寝していた寝起き姿にジャケットを肩にかけただけの軽装だったので、肉刺が潰れて硬くなった指先は簡単に素肌の上を滑った。鎖骨のくぼみをなぞる感覚に昨日の行為が蘇り、甘い熱が灯る。


(な、なんでこいつ、こんなっ……!)


 ラットになっているわけでもなく、当然ミオーレがヒートを起こしたはずもなく。なのにこれは、どういう状況だ。


「昨日のこと、ちゃんと覚えてるか?」

「あ、ああ……」

「じゃあ、ここで俺のものを受け入れたのも?」

「んぅっ……!?」


 意味深な指先にシャツの上から下腹部を少し強めに押され、上ずった吐息が漏れる。内部を刺激するような動きに、普段の冷静さを失ったラベンダー色の瞳が不安げに揺れた。

 熱を孕んだ剛直に、指が刺激している位置まで何度も突き上げられてぐずぐずに溶かされたことも。

 それを受け入れようと身体が勝手に潤んで拓いていったことも。

 抗いようのない快楽を打ち付けられるたび、自分がオメガであることを本能に刻み込まれたあの感覚も。

 幸か不幸か、全部覚えている。


「アスカディア、やめ――」

「……なんてな」


 ミオーレを昂らせていた指先が、突然パッと離れていく。急に魔法が解けたみたいな感覚に、「ぇ……?」と意味のない声が溢れ、激しく目を瞬かせた。

 覆い被さったままで、アスカディアは続ける。


「契約の内容はあのままでいい。番のフリも付き合ってやる」


 サインをしたからには、そうしてもらわないと。そう言い返してやりたいのに、不用意に口を開いたら心臓が飛び出てしまうんじゃないかと錯覚するほど鼓動がうるさかった。


「これに懲りたら、もう自分の価値を見誤らないことだ。あまりにも目に余るようなら、今みたいに噛みついてやるからな」

「か、噛むのは、だめだ」


 とっさに開いたシャツの襟を引っぱって、首元を隠す。触れられてもいないうなじが期待するみたいにカッと熱を孕んだ。そこに歯を立てられることを想像するだけで、身体の芯が蕩けそうになる。まるで別人の身体に乗り移ったかのような錯覚を覚えた。


「そういう意味で言ったわけじゃないんだが」

「うっ……」

「まぁ、警戒するのはいいことだ。せいぜい気をつけるんだな」


 首元でうねる銀色の毛先を指で掬ったアスカディアが不敵な笑みを浮かべた背後で、ガタリと音がした。


「えーっと……仲良くしてくれとは言ったけど、さぁ……」


 いつからそこにいたのか。困ったように頬を掻いて苦笑するランディルが、執務室の入り口の扉へ背を預けていた。杖を突いて足を引きずるあの特徴的な音に気づかないほどお互いしか見えていなかったのである。

 ミオーレとアスカディアがガラクタの山を崩す勢いで身なりを整え出したのは、言うまでもない。

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