4 気が乗らない相手との仕事は手早く片づけるに限ります
「オメガのフェロモンを利用した、戦術兵器……?」
その言葉の羅列が放つ禍々しさに、ミオーレは声色を強張らせた。
オメガ関連の事件には日頃から特に目を光らせているが、初めて聞く情報だ。
「陛下、その件については自分に調査を一任されたはずでは」
一方で、アスカディアは何やら事情を知っているようだ。自分を差し置いてランディルから密命を受けていたなんて。競っていたわけではないのになぜだか負けたような気がして、悔しさが胸に渦巻いた。薄紫色の瞳を細め「ご説明いただけますか?」と、向かいに座るアスカディアを剣呑に睨む。
「アスカディア、ミオーレに詳細を説明してやってくれ」
「……先日、騎士団によってモーギュストンの討伐が行われたことは知っているだろう?」
「ええ。東部の町を一夜で三つも壊滅させた国定魔獣ですよね」
魔獣とは、野生動物が魔物化した凶悪な存在。日照りや長雨で不作が続いて飢饉が起きたり、戦で多くの命が失われたりすると、大地に穢れが溜まって魔獣化する。その中でも討伐が困難なほど強力な個体を国定魔獣と呼び、各地方の領主や駐在する騎士が厳重に監視・管理していた。
モーギュストンは、巨大化した二足歩行の牛のような大型の国定魔獣である。側頭部から生えた剛角の突進は、大きな岩ですら一撃で粉砕するとか。昔からグラングレイス王国の東に広がる高原を縄張りにしており、放牧している家畜にたびたび甚大な被害を齎していた。
そんな恐ろしい国定魔獣が、高原を越えた先にある人間の町で暴れ回ったのだ。一晩のうちに三カ所も立て続けて。
報告を受けたアスカディアは、早急に討伐隊を編成した。そして大規模な討伐作戦に出向いたのが半月前。激闘は五日六夜続き、ついにアスカディアの愛剣エクリプスがモーギュストンのこめかみを貫いたのだ。国定魔獣の討伐はグラングレイス史上九体目で、実に五十年ぶりの出来事であった。
「街で暴れていたモーギュストンは明らかに錯乱していた。繁殖期に入った獣が狂暴化するみたいにな」
実際に魔獣と相対したアスカディアは、険しい表情で語る。その意味深な言い回しに、ミオーレはぴくりと眉を上げた。
「そこで先日、縄張りだった高原を調査したら、身元不明のオメガの遺体が発見されたんだ」
モーギュストンの狩場があった高原の岩陰へ隠れるようにして、彼女はいた。女性のオメガだった。モーギュストンの角で突かれたのだろう。腹に風穴を開け、周囲を血溜まりに変えた遺体の周りには、複数の足跡が散見された。
足跡を辿ると、ひとり、またひとりとオメガの遺体が見つかった。小型の魔獣に身体を食い散らかされた、見るに堪えない状態で。
あまりの惨劇に、話を聞いていたミオーレは静かに怖気立つ。
「モーギュストンを解剖した学者が言うには、内分泌腺が異常に発達していたそうだよ」
「内分泌腺……ということは、ホルモン系の異常ですか」
「そう。状態としては、ラットに陥ったアルファの症状と酷似していたらしい」
ランディルがそう口にすると、アスカディアのまとう空気が一瞬だけ強張った――……ような気がした。気のせいかと感じるような、ほんのわずかな変化だ。
不思議に思ったミオーレが食い入るようにアスカディアを見つめるが、不機嫌そうに睨み返されてしまう。じろじろ見るなとでも言いたげに。
確かに彼は眉目秀麗なアルファの中でも特に目を惹く精悍な顔立ちをしているが、別に見惚れているわけじゃない。下心があると思われるのも癪である。だから目下の案件に再び思考を戻した。
オメガに発情期のヒートがあるように、アルファにも稀にラットと呼ばれるフェロモン異常が発生する。理性を失うほど強い性衝動に襲われ、性格が狂暴化するのだ。
ラットに陥る原因は様々だが、多くはアルファを誘惑するオメガのフェロモンに関連付けられる。
「なるほど、オメガのフェロモンを利用した魔獣の狂暴化ですか。それが本当に戦術兵器として研究されているなら、軍事協定違反だけでなく人道法にも抵触している重大案件ですよ。諸外国からの非難は免れません」
「だから事が公けになる前に対処しようとしてたんだ。それなのに……」
アスカディアは黄金の目をじっと細め、ミオーレを見やった。先に調査をしていた彼からすれば、この展開は確かに面白くないだろう。
だが何より優先すべきは事態の解決だ。オメガが何者かに利用され搾取されている実態があるからには、ミオーレとしても野放しにはできない。魔獣に喰い殺されるなんて、真っ当な人間の死に方じゃない。
顎に手を当てて思考を巡らせていたミオーレは、あることを思い出した。
「そういえば最近、娼館のオーナーたちからオメガの娼婦が行方不明になっていると陳情が立て続いていました。高原で見つかった被害者の中に、そのオメガがいるかも……」
就労にハンデがあるオメガの稼ぎ口として、娼館は貴重な施設だ。抑制剤は高価で、市民階級の家庭でも簡単に手が出せない。それよりも貧しい家に生まれたオメガは、娼館の仲買人が喜んで買っていく。オメガは数が少なく、見目も良い。歳を重ねても値が下がらず、身請けとなればベータの何十倍もの金額が支払われることも珍しくない。
一般社会ではほとんどお目にかかることのないオメガだが、花街に行けば一軒の娼館がそれぞれ数名のオメガを抱えている。もちろん全員が稼ぎ頭だ。だがヒート時のケアや専門機関での抑制剤の処方を理由に、本人の給金にはこれっぽっちも反映されない。これだけでもオメガが社会でどのような扱いをされているのかが窺える。だからミオーレやロシュのように、日の当たる場所でアルファと対等に渡り歩こうとするオメガは異端視されるのだ。
そんな状況であるから、誰も引き受けたがらないオメガ関連の面倒事はほぼ自動的にミオーレへ回ってくる。そうしてくれとミオーレ本人がランディルに頼んだのだ。そういう事情もあって、こうしてアスカディアと引き合わされたのだろう。だからと言って、オメガを救うためにオメガ嫌いなアルファと協力するのは――。
物言いたげな視線をランディルへ送れば、完璧な微笑みで返された。
「さっき言ったけど、これは王命だ。我が儘は聞かないよ。ふたりで協力して、この件を早急に片づけてくれ」
「ふたりで」の部分を特に強調し、ランディルは有無を言わさぬ笑顔で命じる。
そのふたりはというと、この笑顔にとにかく弱かった。水と油なコンビの唯一の共通点かもしれない。
ミオーレはずしんと重くなった目頭を指で押さえ、腹の底からひとしきり息を吐き出す。深い溜息を出し切って、気持ちを切り替えるように顔を上げた。
「気が乗らない相手との仕事は手早く片づけるに限ります」
「同感だ」
「それじゃあさっそく行きましょうか、イヴェール卿」
「どこへ」
同じように頭を抱えていたアスカディアが剣呑に聞き返す。
すでに席を立ったミオーレは、扉の前で彼を振り返った。
「オメガのことはマダムに聞くのが定石。大変不本意ではありますが、〈花筐の館〉までご案内します」




