29 この世界で一番幸せにするよ、アスカディア
◇ ◇ ◇
――マダム、これは僕たちの祈りでもあるんです。
幼いミオーレを連れて花筐の館を訪れたアーデルハイト夫妻のことを、マダムは今でも鮮明に覚えている。
ミシェラはウィクス王国の防護結界の維持に魔力を捧げていた元奴隷である。公務で彼の国を訪れていたエリュシオにたまたま見初められ、支配から逃げるようにアーデルハイト家に嫁いだ。あのままウィクス王国にいればいずれ魔力が尽きて死に絶えるか、リドルの民を欲していたドミトリオン帝国へ物のように売り飛ばされていただろう。どちらにせよ未来はなかった。
グラングレイス王国ではリドル民についてあまり知られていなかったが、悪意ある者がどこから紛れ込むかわからない。だからエリュシオとふたりで決めたのだと、我が子を抱き締めながらミシェラは語った。
――僕たちは搾取されて滅びゆく民です。でもこの子だけは誰にも奪わせない、絶対に。
ミオーレはリドルの民の血を引いたオメガだ。もし誰かに出自がばれたら、自分のように魔力を奪われ、命を脅かされるかもしれない。ミシェラの懸念は残念ながら正しい。だからマダムの力で、ミオーレの魔力を帯びたフェロモンを封じてほしいと頼みにきたのだ。花筐の館に施されたフェロモン封じの呪いの原理を使って。
だがオメガであるのにフェロモンを封じてしまえば、また別の苦しみが生まれる。本来味わう必要のなかった苦難にも見舞われるだろうと、マダムは夫妻を諭した。
すると愛する家族を腕に抱いて、エリュシオが頼もしい笑顔でこう応えたのだ。
――アーデルハイトの名が続く限り、この子の未来は私たちが全力で守ります。フェロモンがなくても、世界で一番幸せなオメガにしてみせますよ。
自信に満ち溢れたその言葉を聞いて、マダムも心を決めた。だが呪いを施しても、運命の前で魔法は無力だ。この世界でたったひとりにだけは、ミオーレのフェロモンは筒抜けになるだろうと伝えた。
すると夫妻は顔を見合わせ、「そんな巡り合わせがこの子に訪れたら、とっても素敵だね」と微笑み合ったのだ。
(エリュシオ、ミシェラ――……貴方たちの祈りは、どうやら届いたみたいよ)
寝台の上のマダムは、窓から差し込む午後の光に照らされた若い番を、心から愛おしそうに見つめる。
ヨルガによるミオーレの拉致未遂事件からひと月ほど経った頃。ようやく身辺が落ち着いたミオーレは、アスカディアを連れて花筐の館を訪れていた。相談に乗ってくれたマダムへ、正式に番になったことを伝えるために。そこで自身の身に起きた真実を知らされた。
「エリュシオとミシェラが亡くなってから本当のことを伝えようかと思ったけれど、貴方はもう自分の使命に邁進していたし、余計な重荷を背負わせたくなかったの。天国にいるふたりもきっとそう望んでいると思って……」
「マダム……」
「だから貴方たちのこと、とっても嬉しいわ。おめでとうミオーレ。運命の人に見つけてもらえて本当に、本当に良かったわね」
涙ぐんだマダムを優しく抱き締め、ミオーレも瞳を潤ませた。
マダムにはずいぶん世話になった。自分が背負うべき重荷も背負わせてしまった。だからこうして今日を迎えられたことを、ミオーレも心から喜ばしく思う。
「でも、明け方のスイートルームから騎士団長さんがひとりで飛び出してきた時はどうなることかと思ったわ」
「あれは本当に酷かったぞ」
「うっ……! い、今はちゃんと君が目を覚ますのを待ってるんだから、その事はもういいだろ!」
あまりにもな初夜の翌朝を蒸し返され、ミオーレは赤くなった顔でふんとそっぽを向く。二人でベッドの上で迎える朝があんなに心地良いなんて、あの時は知らなかった。もったいないことをしたなと密かに後悔しているくらいだ。心地良すぎて毎回寝過ごしそうになるのは笑えないが。もう起こしてくれるロシュはいないのだから。
「ところでミオーレ。あなたが紹介してくれた彼、とっても優秀で助かってるわ。帳簿の勘定は完璧だし、仕事も丁寧で早くて。特にティータイムに淹れてくれる紅茶が絶品なの」
「でしょう? ロシュ――……ロシエは自慢の友人ですから」
薔薇の間の扉付近に控えていた使用人のひとりへ、ミオーレが誇らしげに目配せする。ふわふわな金髪と大きな丸眼鏡がトレードマークの青年ロシエは、嬉しそうに破顔した。
怪我をして騎士団に保護されたロシュの身柄については、ランディルも交えて慎重に、かつ極秘裏に話し合いが進められた。
どのような事情があったにせよ、密偵活動は重罪だ。斬首刑は免れない。かと言ってこちらに寝返らせようにも、今度はドミトリオン側が口封じのためにロシュを始末しようとするだろう。
そこでミオーレは、ロシュは処置が遅れて亡くなったことにしたのだ。ロシエという別の名前と経歴、そしてマダムの使用人という新しい仕事を与えて。もちろんマダムには全て話を通してある。番から酷い仕打ちを受けたロシュにかつての自分を重ねたマダムは、快く彼を保護してくれた。
「ミオーレ様にもマダムにも、なんとお礼を言ったらいいか……この御恩は一生忘れません、絶対に」
「学士号が取れずに三浪して家を追い出された浪人生に仕事を斡旋してやっただけなのに、大げさだな」
「ふふっ。ええ、そうでしたね」
そういう設定、ということだ。ふたりは以前と同じように、クスリと微笑み合う。少し立場は変わったが、かけがえのない友情が今も続いていることが、ミオーレは何より嬉しい。
「そう言えば、カイル様も最近よくここへ顔を見せてくれるんですよ」
「カイルが? あいつ、一丁前に娼館遊びなんて覚えたのか」
「いいえ、イヴェール閣下。いらっしゃるのは決まってお店が閉まっている昼間です。いつも困り事はないかとあれこれ気にかけてくださって。とても誠実で優しい方ですよね」
その内容に、ミオーレとアスカディアは無言で視線を合わせた。
最近のグラングレイス王国は、ランディルの意向で自由恋愛を推奨している。カイルは平民出身のベータだが、今となっては問題にもならない。あとは当人たちの気持ち次第なのだが、ロシエはこんな感じでぽやんとしているし。
今度カイルに会ったら、想い人が好きな菓子をこっそり教えてやろう。ミオーレがそんなことを考えていると、ロシエが思い出したように「あっ」と声を上げる。
「そろそろ午後のティータイムの時間なんです。ミオーレ様とイヴェール閣下もご一緒にいかがですか?」
「ありがたい申し出だが、これから先約があるんだ」
「またの機会にさせてもらうよ」
穏やかに微笑み合い、ふたりは軽く挨拶を交わして薔薇の間を出た。
すると去り際に、マダムが呼びかける。
「ねぇミオーレ」
扉の外で不思議そうに振り返った姿が、薬のことを聞きにきたあの夜と重なった。
「貴方、いま幸せ?」
先に部屋の外へ出ていたアスカディアも、ミオーレの反応を興味深げに見つめている。
ミオーレは自分の番を一瞥し、すぐにマダムへ向き直った。
「はい、とっても!」
そう言って晴れやかに笑うと、手持無沙汰だったアスカディアの腕に抱きつき、別れ際にひらひらと手を振って見せた。
その仲睦まじい様子に、マダムは「あらあら」と嬉しそうに破顔する。ロシエまで宙を歩きそうなほど幸せな気持ちになり、鼻歌を奏でながらティータイムの準備を始めた。
◇ ◇ ◇
城に戻ったふたりが真っ直ぐ向かったのは、通い慣れたミオーレの執務室。それからそう時間も経たないうちに、『ススス、カツン――』というあの独特な足音を立て、ランディルがやって来た。
「やー、ドミトリオンとの全面戦争はどうにか回避できたし、これでようやくめでたしめでたし、かな?」
以前よりも広くなった応接ソファで、三人が膝を突き合わせる。今ではすっかりミオーレの隣はアスカディアの定位置だ。それがランディルには少し面白くないようで、「僕の手たちなんだから、僕を挟んで座ったらいいじゃないか」と無茶苦茶なことを言い出すほど。狭くて仕方ないし、話しづらいに決まっている。
「まだ全てが終わったわけではありませんが、ヨルガの処刑も問題なく終わって、正直ほっとしてます」
ミオーレの発言に、アスカディアとランディルはそれぞれ頷いた。
身柄を拘束していたヴォルフを帝国へ引き渡す代わりに、グラングレイス王国はヨルガの処刑を望んだ。どの国も互いに密偵を差し向け合っているとはいえ、彼の活動は許容範囲を軽く越えていた。それに加えて同盟国の宰相を拉致し、番にした多くのオメガへ人道に背く仕打ちをしたのだ。皇帝の異母弟とは言え、無罪放免は許されない。
ヨルガの処刑と、それによって番契約から解放されるオメガたちをグラングレイスで保護すること。宰相として身柄引き渡しの交渉の席についたミオーレは、断固としてこの条件を譲らなかった。そしてもともと弟のことなど大して気にかけていなかったヴォルフは、この条件をあっさり承諾し、意気揚々と国へ帰っていった。
そしてつい三日前、グラングレイス王国とドミトリオン帝国の国境線で双方顔合わせのもと、ヨルガの処刑が執行された。彼の首を落とした執行人は、他ならぬアスカディアである。自分の謀略で暴走させたモーギュストンを仕留めたのと同じ剣で処されたのだ。ヨルガにとっては皮肉な最期だっただろう。
だが、リドルの民を失ったドミトリオン帝国がもう魔獣を操れないことは、じきに各国へ広まる。もともとヨルガの策略でどうにか体裁を保っていたようなハリボテの帝国だ。他国の領土を侵略し続けて積み上げた憎しみが、逆波になって絶え間なく打ち寄せることになる。そうなるとヴォルフの治世は長くはもたない。自分が手を下さなくても、王たる器でない彼は近いうちに自滅するだろう。殺された両親の仇討ちは、ヴォルフが最も苦しんでいる時に最も残忍な方法で果たすつもりだ。
冷やかな計略を静かに巡らせるミオーレの前で、ランディルがパンと両の手のひらを叩く。
「よし。じゃあこの件はいったんおしまいだ! もっと重要な話をしよう」
「重要な話?」
「また何か問題でも?」
すぐに騎士団長と宰相の顔になったふたりを眺め、ランディルはうんうんと満足げに頷く。
「実は先日、母上から離宮に呼ばれてね」
「ロベリア様から? その……大丈夫でしたか?」
母子の仲を心配していたミオーレは、探るように問う。だがにこやかなランディルを見れば、それが悪い時間ではなかったことが窺えた。
「ああ。思っていたよりも落ち着いていらしたよ。御息災で何よりだった。それでこれまでの仕打ちの謝罪と、調べ物を頼まれてね」
母親と初めて穏やかな時間を過ごし、頼み事を任された。小さな子どもが簡単なお遣いを頼まれて少し得意げになるみたいに、ランディルはその時のことを嬉しそうに語る。安心したミオーレもつられて口元を綻ばせた。
「それで、ロベリア様の調べ物とはなんだったんです?」
尋ねるアスカディアへ、ランディルは含みを持たせた笑みを向ける。それでふたりは察した。自分たちを引き合わせたあの日と同じで、これは何かを企んでいる顔だと。
「母上はとある女性の身辺について詳しく知りたがっていらっしゃった。僕を生む以前の母上はとても利発的な人で、侍従の目を忍んでは市井を見に城下へ出向いていたらしい。そこで彼女と出会い、運命を感じたそうだよ」
薬の研究についてロベリアへ話を聞きに行った時に少しだけ語った、あの女性のことだ。
愛していたのに、添い遂げられなかった人。うなじを噛んでも別たれる悲劇に見舞われたその人を、なぜ今になって調べようと思ったのだろう。
「彼女の名はジゼル。下町の娼婦で、母上が愛したたったひとりの女性で――……君の母君だ、アスカディア」
予想だにしなかったその内容に、執務室の外から小鳥の囀りが聞こえてきそうなほどしんと静まり返る。ランディルから目を見て告げられたアスカディアは、絶句して言葉を詰まらせているようだった。
だがすぐに、ミオーレはヨルガから救出された時のことを思い出した。人智を越えた力でドミトリオンの兵を薙ぎ払った、あの光景を。
「なるほど。やっぱりあれは宝石眼の輝きだったんですね」
「ふたりは以前から身体の繋がりがあったから、その時にミオーレの魔力を取り込んでいたんだろうね。で、本来使えないはずの魔法で敵を一網打尽にした」
黄金は正確には宝石でないが、宝石眼とは人々が魔法への畏怖と憧憬を込めて名付けた名称。だから黄金にも魔力は宿る。
だが状況を素早く理解して相槌を打つミオーレと違って、当の本人はぽかんと口を開けたまま固まってしまっていた。こんなに無防備なアスカディアは珍しい。
「……ちょっと待ってください、まったく頭が追いつかない」
「えーっと、簡単に言うとアスカディアは前女王の実子で、僕の腹違いの兄だ」
爽やかな笑顔でなおも混乱させてくるランディルに、アスカディアはとうとう頭を抱えてしまった。そこへさらなる追撃が襲いかかる。
「母上は君を自分の子だと正式に認知なされた。つまり君には僕と同様に王位継承権がある。それも、僕より高位のね」
ランディルはそう言うと、持ってきた書類をテーブルの上に置いた。アスカディアの身分を証明する書面である。もちろん、ロベリアとランディルの署名入りだ。
「アスカディア、玉座に座るつもりはないかい?」
翡翠の宝石眼で探るように問うランディルに邪気はない。むしろ期待に満ち溢れていた。グラングレイス王国のより良い未来を心から思っているからこそ、アスカディアにならその責務を任せられると信じている。
ミオーレは兄弟ふたりのやり取りと静かに見守った。そして――。
「……玉座に興味はありません。俺は貴方に仕えると剣に誓いを立てました。これまでもこれからも誓いは揺るがない。それに……」
黄金に輝く瞳がミオーレへ向けられる。少し甘えたような視線に、心がくすぐったくなった。
「俺をアーデルハイト家の花婿にしてくれるんだろう?」
「……!」
その発言に、今度はミオーレが言葉を詰まらせる番だった。
提案を蹴られたランディルは気にした素振りもなく、愉快そうに笑っている。きっとアスカディアの答えなど、最初からわかりきっていたのだろう。
そしてそのアスカディアはというと、主人の機嫌を伺う子犬のような目でこちらを見つめてくる。普段は力強く騎士団を率いる凛々しい彼が自分の前だけで見せるこの顔に、ミオーレはほとほと弱いのだ。なんでも願いを叶えてやりたくなるくらいには。
「――ああ、もちろん。この世界で一番幸せにするよ、アスカディア」
「腹立つくらい男前だな」
「そういうところが好きなんだろ?」
「心底惚れてる」
「あのさ、仲良くしてくれとは言ったけど、僕の目の前でイチャついていいとは言ってない」
以前ランディルが口にしていた言い回しを思い出して、三人の誰からともなく笑顔の花が咲く。
この幸せな時間が永遠に続いてほしい。アスカディアとランディルと一緒なら、きっとそれも夢じゃない。
「というわけで陛下、私の大事な花婿はお譲りできませんので、どうぞ末永くグラングレイスをお治めください」
「俺たちがついてますから、多少ご無理をしていただいても構いませんよ」
「うわぁ、馬車馬のごとく働かせる気満々だ~! アーデルハイト家、こっわ!」
そんな笑い話をしていたら、約束の時間が迫っていることに気づいた。
「ふふっ、そろそろ行こうか。母上の茶会に遅刻するわけにはいかないからね」
頷いたミオーレとアスカディアは、ランディルの両の腕をそれぞれ支えて執務室を出た。杖は腰のベルトに差してある。最近はこのスタイルが王のお気に入りなのだ。
「ロベリア様は君とヴァージンロードを歩いてくださるだろうか」
「どうだろうな。せっかくだから今日聞いてみよう」
「きっと張り切って歩かれるよ。そうしたら神父役は僕がやろう」
近い将来の話を膨らませながら、グラングレイス王国を導く三人が城を進む。
あの日約束した、家族のティータイムに向けて。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
これにて本編は完結となります。ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
ミオーレとアスカディアの物語、楽しんでいただけましたでしょうか?
私の作品に共通する特大性癖のひとつに、「強い人が持つ弱い部分に惹かれる」というのがあります。
今回のミオーレで言うなら、普段はアルファを手玉に取る強メンタルオメガなのに、「フェロモンがないから誰にも愛されない」という自己否定的な二面性が魅力的だなと思いながら書きました。
基本的にBLでもNLでも、強い受け・強いヒロインが好きです。強さの裏側にある一種の脆さがキャラをより美しくしなやかにしてくれるんじゃないかと。そしてその脆さごと愛された時が一番可愛く美しく見えるんじゃないかと。
きっとアスカディアも、ミオーレくんのそんな魅力に気づいてくれたんだろうな。だからあんな溺愛男になれたんだろうな~。
最後になりますが、作品を楽しんでいただけていたら☆を押していただけると、大変励みになります。なにとぞよろしくお願いいたします。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
また次の作品でお会いできるよう、引き続き頑張ります!(≧▽≦)✨




