23 貴方に番がいようと関係ない(※)
首脳会談後、王都の視察も無事終わり、夜には歓迎の宴が開かれた。明かりと音楽を絶やさない絢爛な宴に、帝国の大臣たちは終始ご満悦のように見えた。
彼らと軽く言葉を交わしながら、ミオーレはパーティー会場へ隈なく目を行き渡らせる。
酒と料理は足りているか。顰蹙を買うドレスコードの者はいないか。花瓶の花は打ち合わせ通りか。選曲に不満を持っていそうな客人はいないか。カーテンの色は――。
華やかな会場で品のある笑顔を絶やさず、確認事項を頭の中で目まぐるしく捌いて。途中、葡萄酒で顔を赤らめたあちらの大臣に軽く尻を触られたが、いちいち咎めている場合ではなかった。だが顔はしっかり覚えたので、後で見ていろ。
そんな怒涛のスケジュールをどうにか駆け抜け、ミオーレはようやく静けさを取り戻した城内を歩いていた。夜明けが近く薄暗い中を行く足取りは重い。
さすがに疲れた。だが終わりも見えている。日が昇ったらここへ来た時と同じように騎士団が皇帝一行を東部の国境線まで警護し、ヴォルフをドミトリオンへ送り届ければ、ようやくまともに息ができるようになるはず。
「早く朝にならないだろうか……」
まだ仄暗い空を見つめて、気持ばかり急く。脳裏に浮かぶのは、アスカディアのことだけ。
一方的に避けていたことを謝罪して、不安になっていた理由をちゃんと説明して。それでも彼がうなじを噛みたいと申し出てくれたら、今度こそ頷こうと心に決めた。アスカディアを信じ、愛される覚悟をしたのだ。
逸る気持ちをどうにか抑えて自分の執務室へ向かう。最後まで気を抜かないためにも、少し仮眠をしなければ。
通い慣れた道。見慣れた扉。だが執務室に入った途端、そこは全くの別世界に変わった。
「いやだ、なんで、ヨルガ様、やだ、やだぁあああ!」
ロシュの泣き叫ぶ声に、肌がぶつかる音とぐちゃりとした水音が重なる。
机の天板へ仰向けで押し潰すようにして白い両足を抱えているのは、ヴォルフの護衛役のひとりだ。獣のような唸り声と共に激しく前後する腰の動きに合わせて、机の引き出しがガタガタと音を立てる。
何をしているかなんて、尋ねなくてもわかる。だがどうしてこんなことになっているのかは、説明されても理解できる気がしない。
ロシュの隣にあるミオーレのデスクで優雅に座っていたヨルガは、青褪め立ち竦むミオーレを見て口角を吊り上げた。室内にヴォルフの姿はない。宴でかなり酔っていたし、国から引き連れてきた愛人たちを用意した客間へ連れ込むところも見た。つまり、これはヨルガの単独犯だろう。
「やっと来ましたか。待ちくたびれて遊び始めたところです」
「っ……! ロシュを解放してください! 彼は私の秘書官だ、辱めるのは許さない!」
今にも飛び掛かりそうな勢いでヨルガへ詰め寄れば、手の空いている護衛に乱暴な手つきで取り押さえられた。激しく抵抗したが、護衛のひとりに思い切り頬を張られて意識が揺らいだ。抵抗が緩んだところで両腕を左右から掴まれ、罪人のように無理やり跪かされる。
「なん、で、こんな……」
ぶたれた衝撃で切れた唇から血が滲む。ミオーレは啜り泣きながら揺さぶられるロシュに近づこうと藻掻くが、彼を遮るように草花の刺繍が立ち塞がった。ヨルガの青白い手に下顎を乱雑に掴まれ、無理やり目線を合わせられる。
「本当に上手くやってたんですね、ロシュ。警戒心が強そうなわりに、すっかり貴方を信頼しているようだ」
「うぅ、うっ……!」
「……なんの話だ」
混乱が収まらない思考でも、ヨルガの物言いから自ずと答えは出ている。だがそれを認めたくないと心が軋んで悲鳴を上げていた。どうか違うと否定してほしい。
「彼はわたしの番のひとりです。貴方をスパイさせていました」
「スパイ……? 嘘だ……だってロシュは、東部の貴族ともうすぐ結婚するって……」
「結婚? ――くははっ! たしかに上手くできたら妾にしようとは言いましたが、話を盛りすぎでしょう!」
鼻で笑ったヨルガにつられ、周囲の護衛たちからどっと嘲笑が起きる。ミオーレは怒りと失望で腹の奥が冷え切っていくのがわかった。それがロシュに向けられたものなのか、ヨルガに向けられたものなのか、区別がつかない。
「ミオーレ、さま」
「ロシュ……」
「ごめ、なさ……ごめん、なさいっ……! でも僕、こうするしか……――ぁぐっ!」
か細い謝罪を紡いでいたロシュは、腹の中を男の剛直で殴られて悲鳴を上げた。
ヨルガはロシュを「番のひとり」と言った。つまり他のオメガとも多重契約をしている。多重契約はオメガの精神に多大な負荷を与える禁忌だ。ただでさえロシュは不安定な状態なのに、番以外の男に遊び半分で犯されるなんて。裏切られた怒りや悲しみを塗り潰すほど、目の前の悪虐な男が憎くて堪らない。
「何が目的だ、ヨルガ・フォルク・ジャン」
低い声で敬称もなしに尋ねる。もはやへりくだる気すら起きない。
剣呑に睨めば、ヨルガは面白いものでも見たような顔でミオーレの顎から手を放し、近くの応接セットに足を組んで座った。
「その様子だと、殺された親から何も聞かされてないのですね」
ヨルガの発言に、ミオーレは喉を引き攣らせて目を見張る。
「殺された……? 両親は事故で死んだんじゃ――」
「ああ、宰相の父君のほうは巻き添えです。狙いはミシェラでしたが、グラングレイスの国力を削ぐには丁度よかったかもしれませんね」
半笑で何を言われているのか、上手く理解できない。
ミシェラ・アーデルハイトは庶民的で貴族の慣習に疎く、素朴で朗らかな人だった。贅沢な宝石や流行りの娯楽品よりも自然が好きで、エリュシオが公務で忙しくしている時は、よく王都郊外の湖畔や丘へミオーレを連れていってくれた。
そんな人がなぜ、殺されなければならなかったのか――。
「アーデルハイト公は、リドルの民をご存知ですか?」
「大陸最北部の森に暮らす、古い部族だろう……? 今はウィクス王国の庇護下にあったはず」
唐突に問われ、ミオーレの脳裏に大陸の地図が浮かぶ。グラングレイス王国の東に隣接するのがドミトリオン帝国。その北にウィクス王国があり、さらに北に大陸最大の森林地帯が海まで続いている。
リドルの民は文明化を嫌い、森と共に生きることを選んだ稀有な人々だ。そして広大な自然の中で暮らすことで今も体内に魔力を有する希少な存在でもある。
地続きのウィクス王国以外との交流はほとんどなく、人口自体が少ないため、御伽噺や伝承で語られる姿のほうが身近だ。ミシェラが優しい声で語り聞かせてくれた、北の森の妖精族として――。
「あなた方が侵略を怖れて我が国へ王家のオメガを差し出していたように、ウィクスからも贈り物が届いていました。知っていましたか? リドルの民のオメガは魔力を帯びた特殊なフェロモンを有し、身体を繋げた相手に魔力を分け与えることができるのです。ドミトリオンの皇帝はウィクスから得たリドルの民から魔力を搾取し、魔獣を意のままに操っていました」
つまり皇帝一族に伝わるとされる魔獣を操る呪術の正体は、リドルの民の魔力を奪って手にした非道な力だったのだ。
父の話に、リドルの民。混乱した思考で点と点を繋ごうと必死に頭を働かせる。
エリュシオはどこの国でミシェラと出会ったと言っていたか。
幼い頃にミシェラと湖を訪れた時、湖面の向こう岸が見渡せないほど立ち込めていた霧を吹き飛ばしたあの風は。
羽を怪我した梟をミシェラが撫でると、すぐに力強く飛び立って――。
ミシェラと過ごした十年という短い時間で、他にもたくさん不思議なことがあった。事故のショックで思い出さないようにしていた過去の記憶が、今になって濁流のように押し寄せる。そしてひとつの結論を導き出した。
「ミシェラ父様が、リドルの民……?」
乾いた声で恐る恐る問えば、ヨルガは満足したようにゆっくりと頷いた。
「貴方の両親が出会った経緯はわかりませんが、かつて魔法使いの国と呼ばれていたグラングレイスにリドルの民が渡ったことを知り、兄は大変な脅威を感じました。玉座を継いだばかりで視野が極端に狭くなっていたんです。そこでミシェラの暗殺を企てた」
組んだ足の上で重ねていた手が伸び、ミオーレの血の気が引いた頬を撫でる。おぞましさに身の毛がよだったが、両側から腕を押さえられていて、顔を背けることもできない。
「だがリドルの民のオメガは貴重だ。私は暗殺ではなく拉致すべきだと進言しましたが、聞き入れてもらえませんでした。ミシェラを片付けて気分が良くなった兄は魔獣を使って次々と他国を蹂躙し、その翌年には我が国にいたリドルの民が魔力の過剰搾取で死にました。わたしの母です。兄は……――ヴォルフは、王の器ではない」
実の母を異母兄に犯され、魔力を奪い尽くされて殺された。ヨルガはもう、ヴォルフへ形ばかりの敬意すら向ける気もないようだ。憎悪が渦巻く仄暗い瞳でミオーレをじっと見つめる。
「ウィクスへ代わりの者を寄越すよう遣いを送ると、もうリドルの民は絶滅したと言われました。ウィクスも彼らを防護結界の維持に利用していましたからね。そして唯一リドルの民の血を引くオメガである貴方は、肝心のフェロモンが出ない欠陥品ときた」
指先が頬から輪郭を伝い、顎、首へと移動する。触れられた箇所から体温を奪われていくような気がして、寒気が込み上げた。
声を発すれば怯えているのが丸わかりになりそうで、ミオーレは固唾を飲んでヨルガを凝視する。
「三年前の国際サミットでランディルに付き添っていた貴方を見て、獣のヴォルフは凌辱することしか頭に浮かばなかった。だがわたしは違う。一目見てわかった。貴方には魔力がある」
「え……」
「魔法でフェロモンを封じて上手く隠したつもりでも、同じリドルの民の血を引くわたしにはわかる」
「フェロモンを、魔法で……? 何を言って――……ぅ、あぐっ……⁉」
すると突然、身体を抑え込んでいた護衛が後ろから口に指を突っ込んできた。瞳を怪しくギラつかせるヨルガの手には、濃い桃色の液体が入ったティーカップが。明らかに紅茶ではない。
それを顔前に近づけられた時、花筐の館で押収した薬瓶に残っていたのと同じ匂いがした。強制発情剤だ。やはりドミトリオン帝国へ流出していたのか。問い詰めようにも、口を無理やり割り開こうとする指に阻まれて言葉にならない。
「これの効果はご存知でしょう? 貴方の封印を解くために、特別に濃度を増してあるんです」
「や、やめっ……!」
「魔力さえあれば、私は魔獣を操ってヴォルフを排除し、玉座を手に入れられる。貴方に番がいようと関係ない」
「うぐっ! ぁ、うぅ……!」
抵抗するも、唇の隙間から無理やり注ぎ込まれた。鼻を塞がれた息苦しさで酸素を求め、ミオーレの意思とは関係なく喉が上下してしまう。
口内が麻痺するような強烈な甘みがどろりと喉を伝った瞬間、心臓が発作を起こしたように飛び跳ねた。視界がカッと赤く染まり、呼吸がままならない。自分の心音とロシュの涙声が頭の中で何重にも膨れ上がり、ミオーレの意識はそこで途絶えた。




