20 私が、全部悪い
◇ ◇ ◇
騎士団塔を訪れると、門番がぱっと顔を輝かせて騎士の礼をしてくれる。ここにもすっかり馴染んだものだ。通りすがりに「団長なら裏手の訓練場です」と聞いてもいないのに親切に教えてもらい、慣れた足取りでそこを目指す。
途中、兵舎を通った。まだ訓練の時間だからか人はほんどいないが、建物の陰から話し声が聞こえた。
「――やっぱりあたし、アスカディア団長のこと諦められない!」
溌剌とした声に、思わず足が止まる。声の主から隠れるようにして、建物からそっと顔を出す。そこにいたのは、ミオーレが成立させた新法案で新しく採用したオメガの使用人たちだった。先ほどの声の主は栗色の髪を高い位置でひとつ結びにした若い女性で、歳はミオーレとそう変わらないだろう。洗濯物を取り込んでいるらしく、大きなシーツをてきぱきと抱えてカゴに入れていく。
「でも団長さん、宰相様と番なんだよ?」
もう一人は線の細い男性のオメガで、彼女の発言に辟易としているようだ。機嫌を伺うような視線で同僚を見ている。
「そんなのわかってるわよ。でもあの人、オメガなのにフェロモン出ないんでしょ? だったらあたしにもまだチャンスはあるんじゃない?」
「っ……!」
ストレートな言葉に、胸を突き刺された。アルファから軽んじられることはあっても、同族のオメガからこのような物言いをされたのは初めての経験だ。混乱してますますその場から動けなくなってしまい、ふたりの会話が嫌でも耳に入ってくる。
「あたしね、このまま死ぬんだって諦めてた。でも助けに来てくれた団長を見て、頭の中がビリッって痺れたの! この人しかいないって、本能が叫んだのよ!」
興奮気味に語られるのは、騎士団が例の酒造組合の貯蔵庫へ強制捜査に入った時の話だ。ふたりはそこから救出されたオメガで、宿屋で働いていた経験があったため、そのまま試験的に採用された。
「で、でも、番はどちらかが死ぬまで解けない一生ものの契約だし……」
「あら、アルファはひとりで複数のオメガと番えるのよ? よその国だと偉いアルファが何人もの番をはべらせてるって、前の職場で宿泊客が言ってたの」
「え、そうなの?」
その話はミオーレも知っている。オメガはひとりのアルファとしか番えないが、アルファはうなじさえ噛めば何人だろうと番にできる。だが多重契約は番のオメガの精神をひどく不安定にさせるため、基本的にはタブーとされているのだ。
「あたしも団長の番になれたら、きっと宰相様より愛してもらえるわ。だってアルファの本能を満たせるのはオメガのフェロモンだけだもの。でもあの人にはそれがない。むしろ何がよくて番に選んだのかわからないくらい!」
「フェロモンとか関係なく、普通に好きなんじゃない?」
「アルファなのに? まさか!」
さも当然だといわんばかりに彼女が笑い飛ばす。その軽佻な口調がさらにミオーレの心を抉った。
「それにこれは貴族の騎士様たちが言ってた噂だけど、宰相様ってかなりの策士で、人の弱みを握って脅すのが上手なんですって。そりゃあオメガであの地位になれるわけよ」
「だ、団長さんも脅されてるって言いたいの?」
「そうじゃないと説明がつかないじゃない! あのアスカディア団長が身体やお金目当てで動くはずないし、きっとあの性悪なオメガに無理やり番にさせられたのよ!」
「ねぇ、声が大きいよ。騎士のほとんどは宰相様を慕ってるんだから、こんなこと聞かれたらまずいって」
「そ、そうね……」
ふたりが小声に変わる。一方で、ミオーレは身体中の血がサァッと引いていくのがわかった。太陽の下なのに、寒くて仕方ない。足が凍りついてしまったかのようにピクリとも動けない。視界がぐるぐる回って気持ち悪い。
「ま、噂がどうであれ、あの人は宰相って肩書きと立派な家名、それに使いきれないほどのお金も持ってるわけでしょ? あたしたちみたいな末端のオメガとは何もかも違うのよ」
「でも、僕たちを助けるのに宰相様がすごく頑張ってくれたって聞いたよ。ここで働けるのも、宰相様が作ってくれた新しい制度のおかげだし……」
「それは感謝してるけど、やっぱりずるいって思っちゃうの。望めばなんでも手に入るんだから、番がほしいだけならアスカディア団長じゃなくたっていいじゃない」
アスカディア以外のアルファと――……想像しただけで、身体中に悪寒が走る。ならアスカディアにうなじを噛んでほしいのかと自問したら、答えに詰まった。彼が嫌というわけではない。でも噛んでいいか許しを乞うアスカディアに頷くこともできない。なのに、彼女のうなじに歯を立てる姿を想像して、胸が張り裂けそうになっている。何も与えてあげられないくせに、手放すのも惜しい。自分はなんて惨くて醜いオメガなんだろう。
耳鳴りがする中で浅い呼吸を繰り返した。次第に眩暈がして立っていられなくなり、その場にうずくまる。
もう立ち去ったほうがいい。これ以上何も聞きたくない。逃げ出そうと入り口の門へ視線を向けたミオーレだったが、次に聞こえてきた内容に息を呑んだ。
「あたし、団長にヒートアタックかけてみようかな。事故でも抱いてくれたら責任取って番にしてくれそうじゃない?」
それはアスカディアにとって、堪え難いトラウマの再現だ。頭が真っ白になったミオーレは、ふらつきながら立ち上がって建物の陰から飛び出した。
「っだめだ!」
「えっ!? さ、宰相様!?」
「ちょ、何なの、――きゃあっ!?」
突然現れたミオーレに動揺したふたりから悲鳴じみた声が上がる。だが気が動転しているのはミオーレも同じ。狼狽える彼女の両肩を掴んで、必死に懇願する。
「頼む、それだけはやめてくれ! アスカディアに酷いことをしないでくれ!」
「やめ……い、痛っ……!」
「宰相様、落ち着いてください! 彼女、痛がってますよ!」
オメガと言えど、ミオーレは男性だ。指が食い込むほどの力で女性の肩を掴めば痛いに決まっている。そんな配慮も頭から抜け落ちてしまうほど動揺していた。ただ、アスカディアを守りたい一心で。
だから、訓練場から駆けつける足音にも気づけなかった。
「これはなんの騒ぎだ!」
団員同士のいざこざだと思ったのだろう。厳しい叱責の声を放ち、アスカディアが現れた。だが使用人の肩を掴むミオーレの姿を見た瞬間、彼は大きく目を見張る。
「ミオーレ、何を……」
「っ、ぁ……」
何か言わなければ。そう思ったが、ビリリと肌を刺した彼の怒声に責められているような気がして、弁明の言葉が思い浮かばない。
凍りついた表情で固まるミオーレの手を逃れ、女性は涙ながらにアスカディアへ駆け寄った。彼の腕に擦り寄り、怯えた様子で声を潤ませる。その姿はまさに庇護されるべきオメガそのものだ。自分とは、あまりに違い過ぎる。
「団長、助けてください! 宰相様が急に……!」
「ど、どういうことだ、ミオーレ。何があった……!?」
怯える彼女を振り払えずにいるアスカディアが戸惑いの声で問うが、ミオーレは青ざめた顔で一歩ずつ後退ることしかできない。力なく首を横に振りながら、震える声を絞り出す。
「す、すまない……彼女は、何も悪くないんだ……本当に、何も……」
「ミオーレ……?」
「私が……わ、私が、全部悪い。何もかも、全部――!」
今回のことも、これまでのことも。
胸の奥で爆発した罪悪感と後悔に呑まれ、その場から逃げるように駆け出した。アスカディアが反射的に後を追おうとするが、怯えて縋りつく女性を無理に引き剥がすことはできない。彼は騎士団長で、彼女は騎士団の使用人。彼女の就労中の安全を守る義務がある。
泣きじゃくる背中をなだめながら、アスカディアはミオーレが消え去った門の先を物憂げに見つめた。




