19 僕も、貴方のように強くなりたかった
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定例評議会の時間のほとんどは、近々来国するドミトリオン帝国皇帝、ヴォルフ・アレク・ジャンへの対応の件に費やされた。
つい一ヶ月前、ドミトリオン帝国から緊急の書簡が届いたのだ。なんと皇帝自ら同盟国の視察に赴きたいという内容で、刷新されたばかりの評議会のメンバーは、その場で泡を吹いて倒れそうなほどどよめいた。
ヴォルフの代になってから十五年。各国への対応に変化が出ているのは周知の事実である。具体的には、より攻撃性が増していた。国境付近の軍備を増強したり、各国への諜報活動も盛んだ。そろそろどこかに大きな戦を仕掛ける気だという噂まである。
仮に呼びつけられたとしたらあれこれ理由を作って断れるが、来ると言う者を拒むのは難しい。それが皇帝自身であればなおのこと。しかもグラングレイス王国は盟約の花嫁を用意できておらず、代わりに提示されたミオーレへの求婚も、番を理由に先日断ったばかりだ。それが引き金であることは容易に察せられる。
「だからと言って、普通自分から視察に来るか……?」
議会を終えて執務室に戻ったミオーレは、書類の山と睨み合いながらそんなことをぼやいた。
今見ているのは、ヴォルフを迎えるために急遽捻出した国費の予算配分案だ。何度調整して計算し直しても予算をはみ出るものだから、いっそ来訪が白紙にならないものかと現実逃避したくなる。そもそも視察なんて、使者を送れば済む話なのだから。
しかも国のトップが赴く場合、通常であれば最低でも半年前から両国で協議が重ねられるのだが、ヴォルフは「二ケ月後にそちらへ出向く」とだけ一方的に通達してきた。こちらの事情など一切鑑みることなく。嫌がらせにもほどがある。
目頭を押さえて唸るミオーレの隣の机で、同じように書類に埋もれていたロシュが不安そうな顔を見せた。
「表向きは同盟国の視察ですが、やはり求婚を拒んだことを糾弾しにいらっしゃるのでしょうか……?」
「それもあるだろうが、もっと別の目的があるように思えてならない」
「と、いいますと?」
ミオーレの脳裏には、未だ実行犯が野放しになっているモーギュストンの件が過っていた。
「モーギュストンが暴れたと聞いて国内のことばかりに気を取られていたが、今になって思うと視野狭窄だったかもしれない」
「ドミトリオン帝国が関与しているかもしれないとお考えなのですか?」
驚きで声を震わせるロシュに、ミオーレは唇に人差し指を当てて息を細く吐いた。
ヴォルフは各国へ多くの密偵を放っている。おそらくこの国にも。どこで誰が聞いているかわからない以上、用心するに越したことはない。
ミオーレは声を潜めて続ける。
「ドミトリオン帝国が大陸最強と畏れられる一番の理由はなんだと思う?」
「皇帝が古来の呪術で使役するという、魔獣部隊の存在でしょうか」
ロシュの言うように、ドミトリオン帝国の皇帝は代々魔獣を使役し、他国を蹂躙してきた。それは皇帝の一族にのみ伝わる門外不出の秘伝の呪術が成せる業。戦を仕掛けて魔獣で多くの命を奪い大地を穢し、また魔獣を生み出して戦火を広げる。そうして帝国は領土を広げてきた。
「だがヴォルフが魔獣を率いて戦に出たのは、十五年前に玉座に就いた初期の頃だけだ。直近の戦場で魔獣を見たという話は聞かない。妙だと思わないか?」
もし、何かしらの理由でヴォルフが魔獣を操れなくなっていたとしたら。そしてそれを補う手段を講じていて、あの強制発情剤が帝国へ流出していたとしたら。
「グラングレイス東部はドミトリオンと川一つを隔てて隣接している。モーギュストンの狩場も目と鼻の先だ。考えすぎかもしれないが、どうにも胸騒ぎがして……」
「陛下とイヴェール閣下はどうお考えなのですか?」
「まだ話していない。証拠もないのに同盟国を敵国と見なすのはまずいだろ」
「それでも、おひとりで抱え込むのは不安でしょう?」
「だからこうしてロシュに話してる」
「……ミオーレ様」
眉を八の字にしたロシュの憂い顔に見つめられ、ミオーレは苦笑を浮かべた。
「すまない、最後の最後まで君に頼りすぎてしまっているな」
ヴォルフの来訪が済めば、ロシュは当初の予定通りここを去る。そもそもミオーレはロシュの誕生日を待たずに番の待つ東部へ送り出すつもりでいた。ロシュも早く彼に会いたいだろうから、と。
だが参議の椅子を長らく牛耳っていた重鎮たちの多くが断罪されて城を去ったことで、状況が変わった。新しく採用されたのは将来有望だが経験の浅い若手がほとんど。何をしようにも躓くことばかりで、ミオーレはそのフォローに奔走しながら自分の仕事もこなしている。とにかく時間に追われ、今では執務室に住んでいると言っても過言ではない。
そこへ突如舞い込んだヴォルフの来訪でとうとう首が回らなくなり、こうして嫁入りのギリギリまでロシュに頼りきってしまっているというわけだ。
「気にしないでください。僕にとっても最後の大仕事ですから。精一杯お助けしますよ」
「本当に助かる。あとで君のパートナーにも改めて謝罪と礼をさせてくれ」
「…………」
「……ロシュ?」
パートナーの話をした途端、ロシュが言葉を詰まらせた。訝しむミオーレに、丸眼鏡の奥の瞳をはっとさせ、すぐ首を振る。
「すみません、ぼーっとしてしまいました!」
「……なぁロシュ、君を引き止めたことでもし彼と不和が生じているのなら、私はすぐに謝らないといけない」
「違うんです。全然、そんなことはなくて……」
「何か不安なことが?」
ミオーレに詰められたら逃げ場はないと、ロシュは誰よりもわかっている。持っていたペンを置いて手をさすり、少し言いにくそうにしたあと、重い口を開いた。
「マリッジブルーと言うのでしょうか……色々と心配事が重なって、少し、疲れてしまって……」
「そうか……。彼には相談したのか?」
「いいえ。最近はお互い忙しくしていて、あまり話す時間がなかったんです」
「それは不安だったろう。気づいてやれなくてすまなかった。今日はもう切り上げて早めに帰ろう。少し休んだほうがいい」
「い、いえ、大丈夫です! 仕事をしていたほうが気が紛れますし」
気丈に微笑むロシュに、ミオーレは「そういうことなら……」と頷いた。だがどうにも疲労感が拭えない横顔が気がかりで、目を通していた書類の束とペンを机に置く。
「ロシュにこんな顔をさせるなんて、嫁に行かせるのが心配になってきたな」
「ふふっ、まるで母親みたいなことを言うんですね」
「せめて兄と言ってくれないか」
穏やかな会話で緊張の糸が解けたのか、ロシュはすんと鼻を鳴らし、静かにすすり泣いた。執務机から場所を移動してロシュのそばに立ち、震える背中を撫でてやる。
「ロシュ、何がそんなに不安なんだ? 彼は君の番だろう? 彼が君を本能で選んだ。君は愛されてる」
「……本当にそうでしょうか」
「どういうことだ?」
赤く潤んだ瞳でこちらを見上げるロシュは、とても不安定に見えた。間もなく震える唇からか細い声を紡ぐ。
「すみません、変なことを言ってしまって……。やっぱり疲れが溜まってるのかも。お言葉に甘えて今日はもう帰ってもよろしいですか?」
「あ、ああ、それは構わないが……」
「ありがとうございます。持ち帰れる仕事は家でやりますね。それじゃあ、また明日――」
「ロシュ」
机を片付け、足早に去ろうとする背中へ呼びかける。ロシュはぎこちない笑顔でこちらを振り返った。その姿が痛々しく見えて、ミオーレは胸が苦しくなる。
「私に何かできることはないか?」
「……そのお気持ちだけで救われます。ミオーレ様は僕の憧れの人ですから。……僕も、貴方のように強くなりたかった」
そう言うとロシュは扉の先でお辞儀をし、パタパタと足音を立てて去って行った。執務室にひとり残されたミオーレは、机に置かれたロシュのネームプレートを指でなぞり、息をつく。何かを諦めたような去り際の微笑みが脳裏に焼きついて離れない。
「なりたかったって……どうして過去形なんだ、ロシュ」
根拠はないが、どうにも胸騒ぎがする。思い過ごしならそれでいい。だがどうしても不安で、ひとりでは落ち着かない。
「……アスカディアに話を聞いてもらおうか」
ふと彼の顔を思い浮かべたら、さざ波立っていた心が穏やかさを取り戻していくような気がした。
求愛を拒んでいるくせに、こういう時ばかり頼るのはずるいだろうか。ならせめて顔を見るだけでいい。遠くから声を聞くだけでも。今はただ、彼の存在を感じていたい。なぜかはわからないが、無性にそう思ったのだ。




