18 俺とのキス、気持ちよくなってきたんだな(※)
ミオーレの恋愛遍歴を書き出すなら、一番最初はランディルとの破談が記されるだろうか。しかしこれは親同士が内々で決めていたことであり、本人たちに恋愛感情はなかったためグレーゾーンである。ただ「アーデルハイト家の一人息子には重大な欠陥があるらしい」という話が広まって、それまでひっきりなしに届いていた良家からの縁談はぱたりと止んだ。
代わりに増えたのは、アーデルハイトの家名と資産を狙う下心丸出しの求婚。特に両親が事故で他界した直後は酷いものだった。
「フェロモンがなくても構わない」
「貴方に運命を感じた」
こんな具合に、上っ面だけの言葉を書き連ねた手紙がいくつも届いた。両親を一度に亡くしたばかりの十歳の子どもにだ。
「主人を侮辱された」と怒った執事が送り主を調べると、財政状況が悪かったり、良くない団体と付き合いが合ったりと、案の定わけありな者たちばかり。当然手紙に返信することはなく、全て暖炉の火にくべてやった。
そんな中、両親の死で塞ぎ込んでいたミオーレが唯一心を開いた人物がいた。その人は事故で重傷を負ったミオーレの主治医で、男性のアルファだった。だが貴族のように威圧的ではなく、支配欲も感じられない穏やかな人で、外傷だけでなく内面の傷にも根気強く寄り添ってくれた。他人を信用できなくなってしまっていたミオーレだったが、彼にだけはなんでも打ち明けられた。父と年齢がほど近いこともあって、無意識に面影を重ねていたのかもしれない。
信頼が憧憬に変わり、やがて別の特別な気持ちが芽生え。「成人したら一緒になろう」と、内緒の約束まで交わして。
そんな秘めやかな時間は、ある日唐突に終わりを迎える。男に傾倒していたミオーレを案じたマダムから、残酷な真実を告げられたのだ。
「彼には番がいるのよ、ミオーレ。貴方は騙されてる」
花街の一番街からなんでもお見通しの彼女は、相手の名前や家柄、ふたりがいつどこで出会いどのような経緯で番うことになったのかまで、詳細に語った。約束通りミオーレと結婚したあとに毒殺を企てていたことまで、全てを。
マダムの前で彼を問い質せば、逃げ場がないことを察し、すぐに口を割った。
「彼女の実家が事業で失敗して、莫大な借金を……だから、仕方なかったんだ!」
跪いて涙ながらに弁明する男を見ても、ミオーレはもう、何の感情も動かなかった。
アーデルハイト家の若当主が男に騙されたと世間に知れたら、格好のスキャンダルになる。ちょうどオメガとして初めて官職に就いたばかりで、経歴に傷を作るのも嫌だった。
だから口止め料としてお望みの大金を渡し、二度と自分に近づかないようにと念書を書かせた。清らかな関係だったのは幸いだったが、再び男が顔を見せることがあれば、彼を未成年淫行罪で告発するとミオーレは決めている。そうなると以前アスカディアが言っていたように、男は即斬首刑になるだろう。それでも構わないと思うほど、ミオーレの恋心はこの一件で凍りついてしまったのだ。
アルファとオメガは本能で恋をする。愛する人を選ぶ権利と自由があっても、本能には抗えない。そんな世界で欠陥品の自分が求められることはあり得ないのだと思い知らされた。
たとえ愛されることがあってもそれは一時的なもので、本能が選ぶ相手にはどう足掻いても敵わない。たった一人の約束された運命の番の話だって、差別に苛まれ続けたオメガたちが絶望しないために描いた夢物語だと皆知っている。もし本当に自分にも運命の相手がいるのなら、その人を気の毒にさえ思う。出会わない方がずっといい。
こんな救いようのない自己嫌悪に苛まれていたくせに、打算的な考えでアスカディアを巻き込んでしまったから、きっと罰が当たったのだ。
◇ ◇ ◇
臣下の刷新が終わり、新体制でランディルの治政が動き始めて二カ月弱。
一年で最も厳しい暑さが終わりかけた時期とは言え、まだ昼間の外は肌がじりりと焼けつくような日差しが降り注いでいる。
そんな城内の、とある一室――。
「ふっ、んぅ……! ぁ、アスカ、ディア……んっ、会議、始まる、から……!」
定例評議会に参加するため城内を歩いていたら、同じく会場に向かっていたアスカディアに空き部屋へ連れ込まれ、衝動的に唇を貪られた。ミオーレの抵抗などあってないようなものとでも言うように、簡単に抑え込まれてしまう。性急に背中を押し付けられた扉が軋んだ音を立てた。
「新しい外務大臣、最近お前と距離が近すぎないか?」
「は、はぁ? 彼は目の前の大仕事を成功させるために、私に助力を求めてるだけで……――っん、んん……!」
至近距離で輝く金の瞳に渦巻いた嫉妬の感情を見ていられなくて、逃げるようにきつく目を閉じた。するとより深く唇が重ねられる。呼吸すらままならないほど激しい口付けに、騎士団長のペリースをぎゅっと握り締めてしまう。
執務室で告白されて以来、アスカディアはこうして恋情を包み隠さずぶつけてくるようになった。汗ばんだ首へ入念に巻いたスカーフの下には、無数の赤い花が千々に散っている。残暑の中でもジャケットを脱がないのも、そういう理由だ。
鬱血痕が消える前にまた新たなものを残されるほど、最近では頻繁にアスカディアと身体を重ねてしまっている。ラットでもないのに、ほとんどなし崩しのようなセックスだ。自分で作った契約書に首を絞められて、断ることができないでいる。
「怖くなくなるまで愛しまくる」と宣言された通り、毎回精神がぐずぐずになるまで抱き潰され、蕩けた意識に甘い睦言を擦り込まれるものだから、ミオーレはますます参ってしまった。
「なぁ、気づいてるか?」
「ふ、ぁ……?」
「ミオーレから俺の舌に吸いついてきてる」
「~~ッ!? それ、はっ……」
言われて初めて、彼の舌を求めてつま先立ちになっている浅ましい自分に気がついた。キスに夢中になっていたのがばれて、羞恥がどっと込み上げる。
一気に赤面した顔を覗き込んだアスカディアは、情欲でギラリと鈍く光る瞳でミオーレを射抜く。
「俺とのキス、気持ちよくなってきたんだな」
「っ、しら、な……」
「あー……可愛い、ミオーレ。好きだ」
「んむっ、んぅ、ふぁ……ッ! やっ……そ、こ……さわ、るなぁ……!」
再び激しく口内を舐られながら、スカーフの下から侵入した指先がうなじをなぞる。ゾクゾクッと体内を駆け抜けた甘い痺れに脳を焼かれ、腹の奥がきゅぅっと切なく収縮したのがわかった。
「ミオーレ、噛みたい。噛んでいいか?」
「ひぁっ……!?」
耳元に押し付けられた唇から、熱い吐息ごと甘やかな問いが囁かれる。ぐずぐずに溶けた思考をさらにぐちゃぐちゃにかき混ぜるような甘言だ。もう全てを手放して頷いてしまいたくなるのを小指の爪の先ほどの理性で堪え、小刻みに首を振る。
「だめ、だ……本当に、だめ……!」
「ん……、わかった」
最後に火照った頬へ名残惜しそうに唇を落とし、アスカディアが素直にミオーレを解放する。
いつもこうだ。無理やり噛もうと思えばいくらでもできるだろうに、ミオーレが少しでも拒絶を口にすると、アスカディアは大人しく引き下がる。あくまで許しを得ることにこだわっているらしい。観念して頷くまでこの甘い仕打ちが続くのだと思っただけで、頭がどうにかなりそうだ。
腰が砕けかけたミオーレの衣服を手早く直したアスカディアは、それまでの情欲を押し込めた凛々しい騎士団長の顔で手を差し出す。
「行こう。ふたり揃って評議会に遅刻するのはさすがにまずい」
「私は最初からそう言ってる……!」
「お前が可愛すぎるせいだな」
「騎士団長のくせに、人のせいにするんじゃないっ! あと可愛いって言うな!」
「ふふ、わかったわかった。ほら、さっさと行くぞ」
いつもの調子を取り戻したふたりは、手を取り合って廊下へ出た。今ではすっかりおしどりの番と思われているため、その方が自然なのだ。
番の偽装は当初の目的通りではあるのだが、上手い具合に外堀を埋められているような、もしくは自分で墓穴を掘っているような現状に、ミオーレはどうにも身動きが取れなくなっているのであった。




