12 だいじな、つがい
離宮から城へ戻ったふたりは、一目散に禁書庫を目指した。
逸る気持ちが抑えきれず、お互いに自然と早足になってしまう。だがミオーレは、周囲から向けられる妙な視線に気づいた。
(なんだ……?)
それまで当たり前に向けられていた蔑みとは違う。すれ違う官吏や兵士、使用人たちから、妙に熱い視線を感じるのだ。高官たちは遠巻きから自分たちを探るように睨んでいるし。城内の誰もが知る犬猿の仲だったのだから、アスカディアと連れ立っているだけで驚かれるのもわかるけれど。
五感が鋭いアスカディアも当然気づいているはずだが、対処しないということは悪意とは違うのだろうか。
すると、若い侍女ふたりがすれ違いざまにこちらを見やり、ぽっと顔を赤らめた。
「本当に番になられたのね」
「ランディル様の御側近同士だなんて、なんだかロマンチック!」
いくら声を潜めようと、浮ついた甲高い声は広い廊下によく響く。
ミオーレはぽかんと呆けた間抜けな顔で思わず彼女たちを振り返ってしまった。そしてすぐにへらっと笑う幼馴染が思い浮かんだ。噂の出所はおそらく、いや間違いなくランディルだろう。彼の手にかかれば、ものの数時間で城中に番の噂を流すことなど造作もない。我が王ながら、仕事が早すぎる。
アスカディアもだいたい事情を察したらしい。片方だけ口角を上げた意地悪そうな笑みを浮かべて、ミオーレの耳元で囁く。
「噂の信憑性を高めるのに、手でも繋いでおくか?」
「あからさますぎて逆に怪しまれるんじゃ……」
「外で手を繋ぐくらい、番なら普通だろ」
「そう、なのか……?」
聡明な頭をこてんと傾げるミオーレに、その辺の知識は皆無である。何せ恋愛とは無縁の人生だった。巷で流行りのロマンス小説も感情移入できなくて、すぐ表紙を閉じてしまう。完全犯罪を追うミステリーとか、鈍器のように分厚い歴史小説のほうが夢中になれる。
そんなミオーレが思い浮かべる最も身近な番は、自分の両親だ。宰相だったアルファの父エリュシオ、産みの父であるオメガのミシェラ。男性同士の番だったが相思相愛で仲睦まじく、ふたりでいる時はいつも身体のどこかが触れ合っていた記憶がある。だからたぶん、アスカディアが言っていることは正しい。
「でも気恥ずかしいから、やっぱりロシュとマダムに色々聞いてからにする」
予習はやりすぎなくらいやるタイプの勉強熱心なミオーレに、アスカディアが「そうか、頑張れ」と笑いを噛み殺しながら言う。しかし「番について記した歴史書も読み漁らないと」と大真面目な顔で追撃するものだから、堪らず吹き出してしまった。
「アスカディア?」
「そんなことしなくても、今のままでいいと思うぞ。恋愛慣れしてない感じがリアルで説得力がある」
「なる、ほど……?」
「それに、初心っぽくて可愛い」
「可愛いは余計じゃないか?」
「大事だろ。俺がそう感じるってことは、周りにもそう見えてるってことだし」
「な、なるほどぉ……!」
眉を寄せたり、目を輝かせたり。いつになく表情をころころ変える怜悧な宰相を甘ったるい表情で見つめる鬼の騎士団長。強烈な絵面に目を焼かれた観衆から、小さな悲鳴が漏れ聞こえた。
だが、ふたりが番になったことを好意的に捉えている者ばかりではない。
「ああ、城に巣食う卑しいオメガの毒牙にかけられてしまうとは……おいたわしや、イヴェール騎士団長」
わざとらしく袖で目元を拭い、さめざめとした声を絞り出して近づいてきたのは、昨日中庭でミオーレをこき下ろしていた参議の一人。
ミオーレはそれまで華やいでいた表情をスンと凍らせ、無礼な物言いの老翁を睨む。
「卑しいオメガというのは私の事でしょうか」
「ああそうだ。今まではフェロモンがないことで大目に見てきたが、やはりオメガはオメガだ。どうせいつもの汚い脅しをかけて、番になるよう迫ったのだろう? 欠陥品の分際で我々アルファを誑かすなど、ふしだらな徒花だ。恥を知れ!」
周囲の目がある中、ミオーレを痛烈に批判するしわがれた声が響いた。彼は長らくライネルの治政を支えていたからか、オメガに対する偏見が凄まじい。時代錯誤も甚だしいほど。
だが打算的な考えで偽りの番になるようアスカディアへ迫ったのは事実だ。ミオーレは淡い唇をきゅっと噤んで、どう言い返すべきか思案する。
すると、背後から回されたアスカディアの腕に力強く抱き寄せられた。驚いて見上げた先にあったのは、今までに見たことがないほどの怒気を放って男を威嚇するアスカディアの姿で。
「恥を知るべきなのはあんただ」
「な、なんですと……!? 私はイヴェール卿の名誉のため、この阿婆擦れを糾弾しようと――」
「大事な番を罵倒されて、俺が泣いて喜んで感謝するとでも? むしろ不愉快極まりないんだが」
だいじな、つがい。
胸中で反芻した言葉がじわりと染み込む。温かい何かが指の先まで流れていくようだった。本物の番であると周囲を欺くための言い回しだとわかってはいても、やはりオメガにとって番は特別な存在だ。一生得られないと思っていたパートナーを一時的にでも、嘘でも得られて、ミオーレを蝕んでいた欠乏感が満たされていく。溢れるほどなみなみと。
もし本当にアスカディアと番になれたら、きっと至高の幸せを手にできただろう。フェロモンさえあれば――そんなことを考えてしまうくらいには、彼の腕の中が心地良い。
「何を寝ぼけたことを……! 騎士団を掌握するためにまんまと篭絡されたのがわからぬとは、愚かな! 見損ないましたぞ、イヴェール卿!」
男は一度振り上げた拳を下ろせずにいた。あくまでミオーレが誑かしたことにしたいらしい。アスカディアの腕の中で、気づかれぬように嘆息する。目障りだからさっさと蹴散らしてやろう。
「そう言えば、貴方には以前にも似たような言いがかりをされましたね。私がまだ新人官吏だった頃、ご自分の執務室に私を呼びつけて……」
「あ、アーデルハイト公! あの件はもう手打ちにしただろう!」
急に慌て出した男に、野次馬から怪訝そうな視線が向けられる。全てを語らずとも、今の話の流れでだいたいのことは察せられた。しかもミオーレが新人だったのは十代の頃の話だ。「オメガだから」という理由で年老いた重役から不埒なことをされて泣き寝入りした過去は、今この瞬間、ミオーレが同情を集めるのに十分な効力を発揮した。駄目押しとばかりに瞳をこれでもかと潤ませ、自分を抱く番の袖を遠慮気味に摘まんでおく。
さあ、周囲からの汚物を見るような視線に耐え兼ねてさっさとどこかへ消えてしまえ。
そう念じていたところへ、背後から心臓が凍りつきそうなほどの威圧が放たれた。
「あ、アスカディア……?」
「ミオーレ……こいつ、殺すか?」
「ひぃッ⁉」
地を這うような低い声が、耳元で物騒なことを囁く。喉を引き攣らせた男は立ち竦んで震え出した。狂暴化した国定魔獣のモーギュストンを仕留めた騎士団長が腰の愛剣へ手を伸ばすのが見え、周囲から息を呑む声が聞こえる。
「アスカディア、そ、そこまでしなくても……」
「未成年淫行罪は通常なら見つかった時点で即斬首だ。このクソジジイは長生きしすぎたくらいだ」
「くそじじい」
一応古株の参議で、貴族の中でもそれなりに高位の家柄の相手なのに、とんでもない暴言である。
呆然と繰り返すミオーレを抱き締める力が強まった。肩が壊れそうなくらい指が食い込んで、痛い。それほどまでにアスカディアは怒っている。
自分よりも格上のフェロモンを放つアルファから怒気を一番鋭くした部分で突き刺され、男は呼吸もままならない様子だった。呂律がおかしい口で「み、身の程知らずめ!」と渾身の捨て台詞を喚き、よたよたとその場を去って行く。
残滓を残して徐々に収められる怒りにひとまずほっと息をつくが、抱擁が解かれない。回された腕を引いてみてもびくともしなかった。
「なぁ、もう禁書庫に行かないと」
「……わかってる」
ようやく抱擁が緩んだと思ったら、アスカディアの指先はミオーレの肩から腕を滑り、手を絡め取った。指を交互に合わせて握られた手を問答無用に引かれ、そのまま歩き出す。
(ロシュとマダムに聞いてからって、言ったのに)
結局手を繋ぐ羽目になり、羞恥が込み上げる。周囲から向けられる生温かい視線もむず痒い。だが……。
(他人の体温って、安心するんだな……)
自分ひとりでは作り出せない温もりが宿った手。きっと両親も、お互いの存在を求めて触れ合っていた。知らないままだったら気にもしなかったのに、今はどうにも離れ難い。握る手にそっと力を込めてみたら、それ以上の力で握り返されるのがどうしようもなく嬉しい。隣を歩く横顔をちらりと盗み見るが、意思が強そうな金の瞳は真っ直ぐ前を見据えている。
いつかこの関係が終わってしまっても、たまに触れるくらいは許されるだろうか。




