第三次世界大戦終結直後の交渉
状況
1962年10月末、米ソの核戦争はわずか数日で事実上終結し、世界は放射能の冬と無政府
状態に陥ります。米本土は壊滅し、政府の指揮系統は途絶。海外に残された在日・在豪米
軍は孤立無援となります。一方、核の直接的な被害が軽微だった日本は、国家としての機
能を保ち、自衛隊と国民が復旧作業を開始していました。
交渉開始
この極限状況下で、在日米軍司令官(仮にトーマス・ブラウン大将とします)は、生存と
部隊の維持が最優先課題であると判断します。彼は、本国からの命令を待つのではなく、
自らの権限で行動を開始。日本政府に対し、以下の内容を骨子とする緊急交渉を申し入れ
ます。
部隊の受け入れと補給: 日本政府が、在日・在豪米軍の残存部隊(特に海・空の長距離移
動可能な部隊)を日本国内に集結させ、補給と整備を支援すること。
技術供与・交流: 見返りとして、米国は最新の軍事技術(原子力艦艇の運用技術、航空機
整備技術、核兵器に代わる非核ミサイル技術など)を日本に供与し、軍事的な協力を約束
すること。
共同治安維持: 両国は、周辺地域(東南アジア)の安定化と、崩壊したサプライチェーン
からの資源確保のために、共同で「治安出動」を実施すること。
…
交渉成立
日本政府は、この申し入れを国家的危機を乗り越えるための千載一遇の機会と捉えます。
当初、憲法上の問題や世論の反発が懸念されましたが、以下の理由から交渉は速やかに進
みました。
国家存続の危機: 日本は食料やエネルギーの海外依存度が高く、グローバルサプライ
チェーンの崩壊は、餓死者や凍死者を大量に出す事態に直結します。
国防上の必要性: 隣国ソ連(崩壊しつつあるものの、依然として脅威)の行動を警戒する
ためにも、米軍の強力な戦力を自国に取り込むことは不可欠でした。
国際社会へのアピール: 核戦争後の世界で、いち早く国際秩序の安定化に貢献する姿勢を
示すことで、新たな国際社会での日本の地位を確立する狙いがありました。
1962年末までに両者の間で「日米安保緊急協定」が非公式に結ばれ、1963年初頭から順
次、残存米軍部隊の日本への集結が開始されます。




