第三次世界大戦後の1990年代のインド・パキスタン
1990年代のインド:事実上の連邦制の固定化とTPTOの影響
1990年代のインドは、パキスタンとの戦争と生物化学兵器による被害の爪痕から未だに
立ち直れず、中央政府の無力化が固定化していました。
* 政治的現実: インドは名目上は統一国家を保ちつつも、事実上は強い地方政府が主導す
る連邦国家へと変貌しました。各州は独自の治安維持部隊を持ち、経済や社会政策を独自
に運営しました。中央政府は、限られた権限しか持たず、国家を統制する力はありません
でした。
* TPTOとの関係: TPTO(環太平洋条約機構)は、インド全体を支援するのではなく、比
較的安定している南インドの沿岸部と協力関係を築き続けました。TPTOは、南インドの
港湾を通じて貿易を行い、資源や市場へのアクセスを確保しましたが、内陸部の混乱には
一切介入しませんでした。
* 混沌の継続: イスラム勢力によるジハードは継続し、インド国内のヒンドゥー教徒との
間の宗教的・民族的な対立はさらに激化しました。特に、北インドの内陸部では、軍閥や
宗教勢力による小規模な戦闘が絶えず、混沌とした状態が続いていました。
1990年代のパキスタン:混沌の終焉と新たな支配
1990年代は、パキスタンの混沌とした状態に、わずかながらも変化が見られた時代でし
た。
* 軍閥の再編: 統一された政府が存在しない中、各地で割拠していた軍閥やイスラム勢力
は、資源の枯渇や戦闘の長期化によって疲弊していました。この時期、一部の有力なイス
ラム勢力が他の軍閥を吸収・併合し、地域的な支配を強めました。
* ジハードの拠点化: パキスタンは、依然としてイスラム世界から流れてくる義勇兵の主
要な拠点であり続けました。彼らは、イスラム法を厳格に適用した独自の統治体制を確立
し、地域によっては厳しい支配を敷きました。
* TPTOの不介入: TPTOは、パキスタンの混沌を「緩衝地帯」として認識しており、引き
続き介入しませんでした。
まとめ
1990年代のインド・パキスタンは、核戦争と生物化学兵器、そして内戦の「負の連鎖」
がもたらした停滞と分裂の時代が固定化されました。両国は世界の歴史の表舞台から姿を
消し、ひたすら生存競争と宗教的・民族的な対立に苦しみ続けることになります。




