テロとゲリラの時代(1960年代後半〜1980年代)
1960年代後半:胎動
核戦争後の日本の復興が始まったこの時期、テロ活動はまだ小規模で散発的でした。日本
の過激派は、朝鮮系テロリストに爆弾製造やゲリラ活動のノウハウを供与し、互いに協力
関係を築きました。標的は主に、日本の警察署や自衛隊の施設であり、これは日本の治安
当局に新たな脅威の存在を認識させました。
1970年代:都市ゲリラ戦争
日本がJAA(日本・オーストラリア同盟)を軸に経済復興を遂げ、繁栄を享受するように
なると、テロ活動は組織化され、より大規模なものへと発展しました。朝鮮系テロリスト
と日本の過激派は、都市部で潜伏しながら、日本の経済中枢や交通インフラを狙った破壊
工作を頻繁に行いました。
標的: 新幹線や空港、主要な電力施設などが爆破され、社会に深刻な不安をもたらしまし
た。
目的: これらのテロは、日本の繁栄が他者(特に朝鮮半島の人々)の犠牲の上に成り立っ
ていることを示す象徴的な行為であり、日本社会を内部から揺るがすことを狙っていまし
た。
市街戦: 一部の地域では、テロリストが武装して警察や自衛隊と衝突し、市街地でゲリラ
戦のような状況も発生しました。これは日本の治安維持体制にとって、前例のない挑戦と
なりました。
1980年代:徹底した弾圧と「負の連鎖」
テロの頻発は、日本政府に強硬な対応を正当化する口実を与えました。政府は、これらの
テロリストを「国際テロ組織と結託した反国家勢力」と認定し、国民の支持を得て、徹底
的な弾圧作戦に乗り出しました。
治安体制の強化: 自衛隊の国内出動が認められ、治安維持法のような強力な法律が制定さ
れました。
掃討作戦: 警察と自衛隊が連携し、テロリストの拠点を特定し、大規模な掃討作戦を実行
しました。多くのテロリストが逮捕・殺害され、彼らの組織は弱体化しましたが、完全に
根絶されることはありませんでした。
結果:憎悪の固定化
この一連のテロと騒乱は、日本社会に大きな傷跡を残しました。テロの犠牲者が増えるに
つれて、日本国民の朝鮮系住民に対する憎悪と不信感は決定的なものとなり、政府の海上
封鎖や追放政策は**「日本の安全を守るために必要不可欠な措置であった」**と広く正当
化されました。
これにより、日本と朝鮮半島は、経済的・政治的交流が完全に断絶しただけでなく、憎
悪と不信に基づく関係が恒常化しました。この時代の騒乱は、核戦争後の世界におい
て、国家の自己保身が新たな民族間の対立と暴力を生み出すという「負の連鎖」を鮮明
に描き出しています。




