核戦争後のアフリカ
1960年代前半:白人支配層の孤立と滅亡
核戦争が勃発すると、旧宗主国(イギリス、フランス、ポルトガルなど)が壊滅的な被害
を受け、アフリカの白人支配層は外部からの支援を完全に失いました。彼らは、黒人住民
の暴動や内乱から身を守るために、武器を携え、自給自足の可能なゲーテッドコミュニ
ティや要塞化された農場に立てこもったでしょう。しかし、核の冬による食糧難と外部か
らの物資供給の途絶は、彼らを徐々に追い詰めます。最終的に、食料や水、武器を求める
黒人住民の圧倒的な物量による襲撃に耐え切れず、これらのコミュニティは滅びることに
なります。
1960年代後半:JAAの介入と安定の萌芽
1960年代後半、白人支配層の権威が弱まり、アフリカに**「空白域」が生まれたのを見
て、JAA(日本・オーストラリア同盟)は迅速に行動しました。JAAは、自らの戦略的利
益に直結する東アフリカ沿岸部と南アフリカ**に限定して介入しました。
* 人道支援と協力関係の構築: JAAの海上自衛隊は、これらの沿岸部に食料や医薬品といっ
た人道支援を迅速に行うことで、現地の政府や有力者との関係を構築しました。
* 「保護と引き換えの資源・航路」: JAAは、沿岸部の政権を内陸部の混乱や海賊行為から
守ることを約束しました。見返りに、JAAは港湾の利用権や、石油、ウラン、プラチナな
どの資源の安定供給を確保しました。
1970年代:二極化の固定化と混沌の継続
JAAの介入は、アフリカを明確に二極化させました。
* JAAの影響圏: ジブチ、東アフリカ沿岸部、マダガスカル、南アフリカは、JAAの保護下
で、比較的安定した地位を確立しました。これらの地域は、JAAのサプライチェーンに組
み込まれ、限定的ながらも経済的な発展を遂げました。
* 放置された内陸部: 一方、JAAの関与がない内陸部は、依然として混沌とした状態に置か
れました。飢餓、水不足、そして限られた資源を巡って、部族同士の血で血を洗う内戦が
激化し、多くの犠牲者を生みました。JAAは、これらの内陸部を**「緩衝地帯」**とみな
し、沿岸部の安全が脅かされない限り、その混乱を傍観する道を選びました。
このように、核戦争後のアフリカは、JAAの冷徹な現実主義によって、沿岸部の「安
定」と内陸部の「混沌」に分断された時代となりました。




