1960年代前半:超大国崩壊後の全面戦争
1962年のキューバ危機をきっかけに米ソの核戦争が勃発すると、米国とソ連は中東への
軍事・経済援助を完全に停止しました。これは、米国からの兵器供給と資金援助に大きく
依存していたイスラエルにとって、存亡の危機を意味しました。一方、アラブ諸国は、こ
の機を逃さず、長年の対立に終止符を打つべく、イスラエルへの大規模な全面攻撃を開始
しました。
* イスラエルの孤立: イスラエルは、孤立無援の状態でアラブ連合軍と戦うことになりま
した。彼らの高度な軍事技術と練度の高い軍隊は、初期の防衛戦では優位に立ちました
が、継戦能力(特に弾薬、燃料、予備部品)の不足が深刻な問題となりました。
* アラブの物量: アラブ連合軍は、統一された指揮系統こそ欠けていましたが、兵力と物
量の圧倒的な差でイスラエルを押しつぶしました。
1960年代後半:イスラエルの滅亡とアラブ世界の混乱
1960年代後半、継戦能力を失ったイスラエル軍は、アラブ連合軍の攻勢に耐え切れず、
最終的に敗北しました。イスラエルは占領され、国家としての機能は完全に失われまし
た。
しかし、これはアラブ側の「完全な勝利」ではありませんでした。戦争はアラブ側にも甚
大な被害をもたらし、核の冬によるインフラの破壊と、戦争による資源の枯渇が、各国の
社会と経済を機能不全に陥らせました。
1970年代:革命の時代とJAA(日本・オーストラリア同盟)の石油外交
1970年代に入ると、戦争による疲弊、核の冬による食糧難、そして中央政府の弱体化
が、各アラブ諸国で深刻な社会不安を引き起こしました。腐敗した王政や独裁体制に対す
る国民の不満が爆発し、中東各地で革命やクーデターが相次ぎ、中東は政治的にも不安定
な「内戦・荒廃の地」へと変貌しました。
このような混乱をよそに、JAAは自国の復興と経済成長のため、石油を必要としていまし
た。JAAは、中東全体に介入するというリスクを冒さず、比較的安定した産油国に限定し
て関係を深める**「石油外交」**を展開しました。
* 「保護と引き換えの石油」:JAAは、内戦で疲弊したサウジアラビア、クウェート、アラ
ブ首長国連邦といった主要産油国に軍事・経済的な保護を提供しました。これらの国々
は、JAAの保護なしでは内戦や外部からの侵略に晒される危険があったため、JAAとの協
力関係を積極的に受け入れました。これにより、JAAは石油の安定供給を確保しました。
* 限定的な関与: JAAの関与は、石油供給に直結する油田と港湾の防衛に限定されました。
内陸部の政治的混乱や宗教的な紛争には一切介入せず、自らの利益を最優先する冷徹な現
実主義を貫きました。
この結果、JAAは中東を自国のエネルギー供給システムに組み込み、欧州や米国がエネ
ルギー不足に苦しむ一方で、独自の経済圏を確立しました。




