第三次世界大戦後から1970年代にかけてのスリランカ
1960年代後半:日本の初期進出と戦略拠点化
核戦争後の混乱が続く1960年代後半、日本はJAA(日本・オーストラリア同盟)を基盤と
したシーパワー国家としての戦略を策定しました。この戦略において、インド洋のシー
レーン確保は最重要課題の一つであり、その要衝に位置するスリランカは、最優先で確保
すべき拠点とされました。
* 迅速な援助と関係構築: 核戦争により、旧宗主国であるイギリスが壊滅的な被害を受
け、インドもパキスタンとの戦争で疲弊していました。この地域のパワーバランスが崩壊
したことで、日本は軍事的・政治的な抵抗を受けることなくスリランカへ進出する絶好の
機会を得ました。日本の海上自衛隊は、食料や医薬品といった人道支援を迅速に行うこと
で、スリランカ政府(あるいは残存勢力)との関係を構築しました。
* 軍事・経済拠点の確保: スリランカの港湾施設は、核攻撃や戦争の被害を比較的免れて
いたため、日本はここを海上自衛隊の補給拠点として利用しました。これにより、日本は
インド洋を通過する船舶を監視し、シーレーンを実質的に管理する足がかりを築きまし
た。
1970年代:JAAの戦略拠点としての役割
1970年代になると、スリランカの重要性はさらに高まりました。スリランカはJAAの**
「インド洋における不沈空母」**となり、南アジアや中東、アフリカへの影響力行使の拠
点となりました。
* インド内陸部への関与回避: JAAは、スリランカを拠点としてインドの沿岸部との交易を
始めましたが、内陸部の混乱には一切関与しませんでした。これにより、最小限のリスク
でインドの資源や市場にアクセスすることが可能になりました。
*JAAの象徴: スリランカの早期確保は、JAAの冷徹な現実主義とシーパワー重視戦略を象
徴する成功例となりました。世界が核の爪痕と混乱にあえぐ中で、日本が自国の利益を最
優先に行動し、戦略的に重要な拠点を確保したことは、JAAの支配体制を強固なものにし
ました。
* 繁栄と不均衡:JAAの保護下にあったスリランカは、インドやパキスタン、そして欧州と
は異なり、比較的安定した復興を遂げました。しかし、その繁栄はJAAの戦略に完全に依
存するものであり、国内の産業はJAAのシーレーン維持と食糧確保のための補給・中継拠
点としての役割に特化していました。




