第三次世界大戦後から1970年代にかけてのインド・パキスタン
1960年代前半:超大国の崩壊と全面戦争
1962年のキューバ危機をきっかけに米ソの核戦争が勃発すると、インドとパキスタンは
主要な支援国を失い、長年の緊張関係が頂点に達しました。米ソという外部からの抑制が
なくなったことで、両国はカシミールを巡る全面戦争に突入します。
この戦争は核兵器こそ使用されませんでしたが、両国の全軍事力を動員する大規模なもの
でした。特に悲惨だったのは、大規模な生物化学兵器の使用です。両国は相手の戦力や社
会を無力化するため、主要な都市、水源、食料生産地を標的とした毒ガスや病原菌を散布
しました。これにより、戦闘による死者だけでなく、病気や飢餓で多くの命が失われまし
た。
1960年代後半:戦争の泥沼化と社会の崩壊
両国は互いに壊滅的な打撃を与え合い、戦争は泥沼化しました。核の冬による食糧生産の
激減と、生物化学兵器の散布による汚染は、両国の経済と社会を完全に機能不全に陥らせ
ました。
* インドの「勝利」と分裂: 国土の広さと人口の多さから、インドは軍事的にはパキスタ
ンを圧倒しましたが、それは「勝者のない戦争」でした。戦争終結後も中央政府は機能不
全に陥り、各地の州政府が独自の権限を拡大するようになります。この結果、インドは統
一国家としての機能はかろうじて保ちつつも、事実上は強い地方政府が主導する国家へと
変貌しました。
* パキスタンの壊滅: パキスタンは、インドとの戦争と生物化学兵器の使用によって国土
が壊滅的な被害を受け、国家としての機能は完全に失われました。各地で軍閥が割拠し、
混沌とした状態に陥りました。
1970年代:イスラム勢力の介入と混沌の拡大
1970年代に入ると、パキスタンが国家存亡の危機に瀕したことで、イスラム世界は「異
教徒の侵略から同胞を守る」という大義名分で**ジハード(聖戦)**を呼びかけました。
中東や中央アジアから集まったイスラム義勇兵は、パキスタンへ流れ込み、ゲリラ戦やテ
ロリズムを駆使してインド軍を攻撃しました。
この介入は、パキスタンを救うほどの力は持ちませんでしたが、インド・パキスタン間の
内戦をさらに長期化・泥沼化させる要因となりました。また、これによりインド国内では
ヒンドゥー教徒のナショナリズムが強化され、宗教的な対立がより根深いものとなりまし
た。
両国は、JAA(日本・オーストラリア同盟)を中心とする世界から完全に孤立し、大規模
な支援を受けることもなく、ひたすら生存競争と宗教的・民族的な対立に苦しむことに
なります。




