第三次世界大戦と半島への核攻撃(1962年)
1962年のキューバ危機をきっかけとした米ソ間の核戦争では、朝鮮半島も主要な標的と
なりました。米軍の司令部、基地、そして北朝鮮の軍事・産業施設が双方から核攻撃を受
け、壊滅的な被害を被りました。これにより、半島全土のインフラは破壊され、統一され
た指揮系統は失われました。核攻撃により、ソウル、平壌といった主要都市は壊滅し、国
土は放射能汚染にさらされました。
この混乱に乗じて、北朝鮮は残存戦力をかき集め、韓国への侵攻を再開しました。しか
し、核攻撃の被害は北朝鮮側も甚大であり、補給線は寸断され、食糧や弾薬が不足しまし
た。一方、韓国軍は在韓米軍の司令部が核攻撃で壊滅したことで、米軍の支援を完全に失
い、北朝鮮軍の攻勢に押され、国土の南端へと追い詰められました。
日本の冷徹な対応(1960年代中盤)
核攻撃で徹底的に荒廃した朝鮮半島は、国際社会からの援助が途絶え、完全な孤立状態に
陥りました。日本は、自国の復興とJAA(日本・オーストラリア同盟)の形成を最優先と
判断し、朝鮮半島の内戦に介入せず、国内の安定を維持する政策を徹底しました。
日本は、朝鮮半島からの難民流入を防ぐため、海上自衛隊による厳重な海上封鎖を実施し
ました。国内に存在する不安定要素である在日韓国・朝鮮人に対しても、以下の通り冷徹
な対応を講じました。
在日韓国人には、祖国を守るための義勇軍への参加を呼びかけ、事実上強制的に戦地へ送
り出しました。
在日朝鮮人(主に北朝鮮系)は、日本の安全保障上の脅威とみなし、反乱分子として一斉
に拘束しました。
半島全体の最貧国化と停滞(1960年代後半~1970年代)
核の冬と、外部からの支援の不在は、南北両国の経済を完全に破壊しました。北朝鮮軍
は、補給が続かないため侵攻が停滞し、韓国軍も南端の国土を維持するのが精一杯で、こ
の地域は国内の避難民と敗走兵で溢れかえり、事実上の巨大な難民キャンプと化しまし
た。
この後、核攻撃で失われた産業基盤やインフラは再建されることなく、南北両国とも最
貧国状態が継続しました。復興の見込みは立たず、食糧難と貧困が慢性化しました。日
本が国内の安定を確保する一方で、朝鮮半島は核の爪痕と内戦の傷跡から立ち直ること
ができず、国際社会から見放されたまま、厳しい時代が続くことになりました。
…
混乱の背景:日本政府の冷徹な選択
第三次世界大戦後、日本政府は国内の安定を最優先に据え、朝鮮半島からの難民流入を海
上封鎖で阻止し、国内の在日韓国・朝鮮人を強制的に排除しました。この政策は、日本国
内に深刻な憎悪と復讐心を植え付けることになりました。
一方、核戦争後の社会不安と混乱の中で、日本の既存の過激派グループ、特に連合赤軍や
革マル派は、国家権力に対するテロを通じて社会変革を目指していました。日本政府の朝
鮮半島への冷徹な対応は、これらの過激派にとって「国家の欺瞞」を象徴するものであ
り、追放された朝鮮系の人々と彼らを結びつける思想的・政治的な土壌となりました。




