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毛沢東の死と分裂の固定化、そしてJAAへの接近(1976年以降)
1976年の毛沢東の死は、中国の歴史の大きな転換点となりました。彼のカリスマ性に依存してい
た文化大革命は急速に終息に向かい、各地の軍閥はイデオロギー的な対立から、自らの生存と利
益を優先する現実主義的な路線へと転換し始めました。
この時期、世界経済の再編が進み、核戦争の被害からいち早く立ち直った**日本・オーストラリ
ア同盟(JAA)**が、太平洋圏の新たな中心勢力として台頭し始めました。これを見た中国の沿
岸部軍閥は、生き残るためにJAAとの接触を本格化させます。
沿岸部軍閥は、JAAとの交易を通じて物資や技術の獲得を目指し、次第にJAAの影響圏に接近し
ていきました。彼らは輸出用の軽工業品や農産物を供給し、代わりにJAAから食料、医薬品、そ
して復興に必要な資材を受け取りました。この動きは、沿岸部の経済を徐々に回復させ、内陸部
との間に明確な経済格差を生み出しました。
結果的に、中国の分裂は、毛沢東の死後にほぼ固定化されました。沿岸部はJAAとの経済関係を
通じて緩やかな復興を遂げ、内陸部は依然として貧困とイデオロギー的な対立が続くという、**
「二つの中国」**とも呼べる状況が続くことになりました。




