第三次世界大戦勃発と中国の混乱(1962年秋~)
1962年秋、キューバ危機をきっかけとした米ソ間の核戦争が勃発すると、中国もまた米ソ双方か
らの限定的な核攻撃を受けました。主要な軍事・工業拠点や政治中枢が狙われ、中央政府は機能
不全に陥ります。通信網は寸断され、各地の地方政府や軍区は中央からの指示を受けられなくな
り、それぞれが自力での生き残りを模索するようになりました。これにより、中国全土で軍閥が
割拠する状態が始まりました。
各軍閥は、生き残った人民解放軍の部隊や民兵組織を基盤とし、食料、資源、そして秩序の維持
を名目に地域の支配権を確立しました。この初期の混乱期には、略奪、飢餓、疫病が蔓延し、多
くの住民が犠牲となりました。
毛沢東による「国家統一運動」としての文化大革命(1960年代半ば)
中央政府が事実上崩壊し、全国が軍閥による分裂状態に陥る中、毛沢東は残存勢力を掌握し、混
乱を収拾し「国家を統一する」という名目を掲げ、文化大革命を推し進めました。しかし、その
実態は、核戦争後の混乱に乗じて自身の絶対的な権力を確立し、潜在的な反対勢力を排除するた
めの政治運動でした。
彼は、残存する共産党組織や人民解放軍の部隊、そして熱狂的な紅衛兵を動員し、「反革命分
子」や「資本主義の道を歩む実権派」を攻撃させました。しかし、各軍閥はすでに自立性を高め
ており、毛沢東の指示はしばしば無視されたり、自分たちの勢力拡大に利用されたりしました。
文化大革命は、各地の軍閥間の対立を激化させ、さらに新たな派閥闘争を生み出し、結果として
中国全土の混乱を助長する内乱状態へと発展しました。
内乱の激化と地域の特性化(1960年代後半~1970年代中盤)
文化大革命による内乱が激化するにつれて、中国の分裂は固定化され始めました。地域ごとに異
なるイデオロギー的、経済的、軍事的な特徴を持つ勢力が台頭します。
内陸部の先鋭化: 核攻撃の被害が大きかったり、交通の便が悪かったりする内陸部は、より孤立
を深めました。文化大革命の過激な思想が深く根付き、極端な国家主義や毛沢東思想を標榜する
先鋭化した軍閥が割拠しました。彼らは外部勢力を厳しく警戒し、自給自足の経済体制を敷き、
自らのイデオロギーに基づいた社会を築こうとしました。地域によっては、飢餓や貧困が慢性化
し、極めて厳しい生活状況が続きました。
沿岸部の孤立: 一方、比較的核攻撃の被害が小さく、インフラが残っていた上海、広州などの沿
岸部は、内陸部からの補給が途絶え、孤立した状態となりました。内陸部の軍閥からの攻撃に備
える一方、海外との接触を模索しますが、国際的な貿易システムが崩壊しているため、大規模な
交易は困難でした。
この時期、中国は事実上、四分五裂の状態にあり、統一された国家としての機能
は完全に失われていました。各地の軍閥は互いに牽制し合い、限定的な武力衝突を繰り返しなが
ら、それぞれの地域の支配を固めていきました。




