第三次世界大戦後〜1970年代の東南アジア
1. 戦争直後の惨状(1960年代前半)
東南アジア全域は直接の核攻撃こそ限定的だが、主要航路や
都市には局地攻撃が加えられ、経済・行政が壊滅的打撃を受ける。
米軍はアジアからほぼ撤退・壊滅。残存部隊は日本・豪州に吸収される。
植民地時代から続いていた不安定要因(共産ゲリラ・民族紛争)が一気に噴出。
2. 日本・豪州(JAA)の進出
日本と豪州は「戦後唯一の安定大国」となり、シーレーン防衛と資源確保のため東南アジ
アに積極進出。
フィリピン、シンガポール、マレーシア、ブルネイ、インドネシア外島部には 治安維持
部隊を駐留。
「保障占領」というよりも 治安維持と航路確保を目的とした軍事駐留に近い。
この結果、JAAの影響下で東南アジアは大きく「沿岸部=安定化」「内陸部=混乱」に二
分される。
3. 各国の状況
フィリピン
米国の後ろ盾喪失で混乱するが、在比米軍残党を吸収したJAAが治安を確保。
マニラは「南方司令部」として機能し、JAAの拠点に。
シンガポール
核攻撃を免れつつも経済壊滅。
だが地理的重要性から早期にJAA保護下に置かれ、復興が進む。
マレーシア
共産ゲリラが台頭するも、JAA駐留により抑制。
英国の影響力が消えたため、逆に「日本・豪州の庇護国」的立場に。
インドネシア
ジャワ本島政権は弱体化し、地方の分離独立運動が激化。
石油資源のあるスマトラ・カリマンタン・スラウェシ・パプアにはJAAが重点介入し、半
ば「国際管理地域」と化す。
ブルネイ
石油収入をJAAに依存する形で存続。事実上の保護国。
タイ
核攻撃は免れたが、経済崩壊で共産ゲリラが台頭。
ただし地政学的に重要であり、1970年代にJAAの支援を受けて安定化。
ベトナム
ソ連支援が途絶し、米国も消滅状態。
南北戦争は北が優位に立ち統一達成。
しかし「孤立無援」のため、早くも1970年代から 現実外交に転じJAAに接近。
カンボジア
中央権力が崩壊、内戦状態へ。
ポルポト派が台頭し始めるが、まだ全面掌握には至らない。
ラオス
ソ連・中国からの援助が絶たれ、群雄割拠状態。JAAの影響は及ばず。
ミャンマー
軍政が維持されるが経済は停滞。
一応独立を保つが、国際的孤立が深まる。
4. 1970年代の構図
沿岸部(フィリピン・シンガポール・マレーシア・インドネシア外島・ブルネイ)は
JAAの直接管理下または強い影響下で安定化。
大陸部は 内戦・混乱の継続地域。
ベトナムとタイは JAAと協力関係を模索し、インドシナの安定化に向けて歩み出す。
まとめ
第三次世界大戦後の東南アジアは「沿岸=JAAの秩序圏」「内陸=混乱圏」へ二分化。
ベトナムは北主導で統一するが、孤立を避けるため早期にJAAと接近。
• • 1970年代には「フィリピン・シンガポール・マレーシア・ブルネイ+インドネシア外
島」がJAAの安全圏として固まり、タイ・ベトナムが次の協力対象となる。




