第三次世界大戦後〜トラック宇宙基地建設決定までの歩み
1. 戦後の荒廃とトラックの位置付け(1960年代前半)
• 第三次世界大戦(1962)
• 太平洋一帯は、米軍基地と補給路が集中していたために激しい攻撃を受ける。
• グアムやハワイは壊滅、マーシャル・サイパンも甚大な被害。
• トラック環礁は「日本占領期の要塞」として再び標的となり、一部爆撃を
受けるが、核攻撃は回避され環礁の自然環境は比較的残存。
• 戦後処理
• 米国は事実上崩壊し、残存勢力は撤退。
• 豪州・日本(日豪同盟=JAA)の勢力圏に組み込まれ、信託統治下に。
• 住民の多くは戦火と飢餓で疲弊しており、復興はJAAの援助に依存。
…
2. 地域復興と軍事利用(1960年代後半)
• 1960年代後半
• JAAは太平洋の「航路の要石」としてトラックを位置付ける。
• 南洋航路の中継点・補給港・漁業基地として再整備開始。
• 同時に軍事拠点としても利用され、旧日本軍施設を一部改修。
• 宇宙開発との関わりの芽
• 嘉手納宇宙基地計画が進行する中、「沖縄は核攻撃跡地であり、将来の拡張余地に制限
がある」との議論が起きる。
• 「民間人が少なく広大で安全な地域」として、トラックが次期候補地として研究対象
に。
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3. 宇宙利用調査の開始(1970年代)
• 1970年代前半
• 嘉手納で宇宙ロケットの打ち上げ実験が始まる。
• 並行してJAA調査団がトラックを訪問、気象条件・海洋条件・地盤調査を実施。
• 環礁内の海は外洋に比べ波が静穏で、大規模フロート構造物の建設に理想的と判定。
• 1970年代後半
• 「嘉手納は軍事・研究」「トラックは大量輸送・長期開発」という構想が浮上。
• 一部では、戦前の「日本海軍の南洋要塞」が「日豪の宇宙要塞」へと変貌する象徴と評
された。
• まだ公式には「漁業・海運基地強化」として予算を獲得しており、宇宙利用は伏せられ
ていた。
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4. 建設決定(1980年代初頭)
• 国際環境の変化
• ソ連が無理を重ねて宇宙開発(1975年有人月面着陸、1980年代には火星計画を推進)を
続ける。
• 一方、日本は「確実な宇宙開発」を志向し、太平洋における長期的な拠点を模索。
• 嘉手納だけでは安全保障的にも容量的にも限界が見えてくる。
• 1980年代初頭、正式決定
• JAAが「第二の宇宙港」としてトラック環礁の建設を決定。
• 名目は「平和利用のための国際宇宙港」、実質は軍事・エネルギー複合拠点。
• 基本設計として「環礁内にメガフロート方式で巨大な人工島を建設する」方式が採用さ
れる。
…
意義
1. 沖縄南部(嘉手納)の被害と人口減少が、逆説的に「再建自由度」を生み、最初の宇
宙拠点に。
2. トラック環礁の地理的優位(静穏な環礁、広大な海面、民間人少数)が、第二の宇宙
拠点候補として浮上。
3. ソ連の無理な宇宙開発との対比として、「地に足のついた長期開発」の象徴に。




