9月6日、越境と金魚と廃校キャンプ
公民館の休憩コーナーは、いつもより混雑していた。午後3時15分、私はコーヒーマシンの前で、紙コップを2個重ねて「あつあつ~」と手をひらひらさせながら、智子の姿を探した。
「あ、こっちこっち!」
窓際の丸テーブルに、智子がスマホをパタパタやりながら手を振っている。向かいには美咲がいて、クッキーの袋をガサガサ開けていた。
私が座ると、智子はいきなりスマホ画面を突き出してきた。
智子「ねえねえ、これ見た? 青森で“越境する旅”っていうのがあるのよ」
私「越境? パスポートいるの?」
智子「違う違う。国境じゃなくて、心の境界よ。心の準備から始まるっていうか、旅に行く前にオンラインヨガとかやって、りんご収穫とかするらしいよ」
美咲「りんご! あ、このクッキー、りんごジャム入ってる!」
佳代「それ、旅行じゃなくて自己啓発セミナーでしょ。お値段もセミナー並み?」
智子「10日間で28万8千円~」
一同「高っ!」
コーヒーの湯気が窓ガラスにくもる。外では、保育室から「ママー! リュウセイくんが blocks 食べたー!」という声が響いた。私は「食べてないもん!」という我が息子の声を聞き分けて、ひそかに額を冷やした。
佳代「でも、‘心の準備’って何? スーツケースに‘やる気’入れて、‘自己肯定感’も忘れずに?」
美咲「‘余計なストレス’は預け入れ不可?」
私「機内持ち込み100ml以下って、涙の量も含まれる?」
智子「それは水筒で持ち込めないやつね」
テーブルの上、クッキーはあっという間に山が崩れ、美咲が「あ、これ、キャラメル味もある」と別袋を取り出した拍子に、佳代のスマホが「ピロロロン」とニュース速報を鳴らした。
佳代「うわ、岐阜のスーパーが‘テーマパーク化’してるって。‘金魚すくい付き買い物’とか、‘レトロDVD観賞コーナー’とかあるらしいよ」
私「へえ~、じゃあ買い物カゴの代わりに‘金魚柄’で、‘買いすくい’?」
美咲「レトロDVDって、‘アベック経済’とか?」
智子「‘アベック’って言うと、もう四十…」
佳代「私、四十ですけど?」
智子「……すみません、リトライします」
私(心の中)リトライじゃなくて、リトリートでしょ…。
すると、美咲がぽん、と手を打った。
美咲「あ、でもさ、金魚すくいで‘赤いやつだけ’って選ぶの、子どもの‘好き嫌い’トレーニングになる?」
佳代「‘ピンキー’はダメ、‘ミドリ’はおうちにおいで、みたいな?」
私「‘食べ残し’を‘ポイ’って捨てるコーナーもあれば完璧」
智子「‘ポイ捨て’禁止でしょ」
一同「あはははは」
コーヒーが底まで減ったところで、私は「おかわりいく?」と立ち上がりかけた。すると、後ろのソファで昼寝していたおじいちゃんが「う~む、越境か…戦時中は‘疎開’だったのう…」と寝言をこぼし、私たちは顔を見合わせて小さくなった。
席に戻ると、美咲が新しい話題を振ってきた。
美咲「そういえば、和歌山の‘元中学校’がキャンプ村になるって記事、見た?」
智子「‘ソウガワ・キャンプ村’ね。9月オープンだって」
佳代「‘グラウンド’が‘グランピング’? 懐かしいのに、高そう」
私「‘校庭’で‘焚き火’して、‘星’見て、‘先生’が‘添い寝’とか?」
智子「‘先生’はいないって。‘廃校’だもん」
美咲「‘トイレ’、‘和式’のまま?」
私「‘個室’は‘職員室’?」
佳代「‘校長室’は‘プレミアムサイト’で、‘賄い’跡地に‘バーベキュー’?」
智子「‘朝礼’のチャイムで‘起床’とか、‘校歌’流して‘焚き火’で‘合唱’?」
私「‘校歌’の替え歌で‘~燃えよキャンプ火~’」
一同「あはははは」
保育室のドアがパタンと開き、子どもたちの集団が「ママ~!」と雪崩れ込んできた。私の息子は、両手に紙皿を持ち、「今日のおやつ、プリンなの!」と自慢げに見せびらかした。美咲の子は、佳代の子は、智子の子は、それぞれ“金魚すくいごっこ”を始め、紙皿を“ポイ”と落とすたびに「あ~れし~!」と叫んだ。
私たちは、てんてこ舞いの子どもを見ながら、クッキーのくずを集めた。
智子「まあ、どのニュースも‘結局、行かないけど’って感じだけど」
佳代「‘行かない’くせに‘井戸端’で‘国境越え’してるし」
美咲「‘買い物ついで’に‘世界旅行’してるし」
私「‘廃校’で‘思い出’キャンプしてるし」
智子「また来週も、こんな話しようね~」
一同「「「「おー!」」」」
子どもたちが「バイバイ~!」と手を振りながら保育室へ戻る。私たちは、空になった紙コップを重ね、クッキーの袋を折りたたんだ。
佳代「さて、‘現実’に‘越境’するか。‘夕飯’の‘準備’よ」
美咲「‘心の準備’から?」
私「‘冷蔵庫’の‘境界線’、‘越えて’‘食材’確認?」
智子「‘オンラインヨガ’より‘買い物リスト’、先よ」
窓の外、西日がグラウンドを照らす。子どもたちの笑い声が遠くなり、また近くなり。
私たちは、バッグを肩にかけ、‘次回の井戸端’を約束して、公民館を後にした。
“結論”なんて、どこにも出ない。
だけど、‘くだらなかったけど楽しかった’の余韻が、コーヒーの香りと一緒に、土曜日の午後にふわりと残った。




