第十二章 キロは減らずとも笑顔は増える
春休み。大学生にとっては一年で最も解放感のある時期だ。授業もテストもなく、思う存分遊べる──だからこそ、美咲にとっては「リセットのチャンス」でもあった。ここで痩せなければ、夏までに取り返しがつかなくなる。そんな強迫観念のような使命感に駆られ、美咲は大げさな計画を立てる。「ダイエット合宿」と銘打ち、友達を巻き込み、SNSにも派手に宣言した。だが、その合宿は最初から笑いに包まれ、そして予定調和のように崩壊していくのだった。
「春休み突入!ここで痩せなきゃ一生痩せられない!」
美咲はスマホを握りしめ、鼻息荒くSNSに書き込んだ。
《春休みダイエット合宿スタート! #人生最後のチャンス #合宿実況 #成功する未来しか見えない》
数分もしないうちにコメントが飛んでくる。
「はいはいまたフラグ」
「成功する未来は見えてないぞw」
「合宿=旅行か食い倒れの可能性」
「で、どこの温泉に行くの?」
「温泉じゃない!ちゃんとしたトレーニング合宿!」とスマホに向かって言い返す美咲。もちろん声は誰にも届かない。
実際のところ「合宿」とは、仲良しの陽菜の家に泊まり込み、二人で食事制限と運動をする──ただそれだけの計画だ。なのにSNSに投稿すると、まるでスポーツ選手のように壮大な話に膨れ上がってしまう。
初日。陽菜の家に集合すると、美咲は張り切ってジャージ姿で現れた。
「よーし、走るぞ!」
「え、何キロ走るの?」と陽菜が眉をひそめる。
「とりあえず……2キロくらい?」
「それって、家から駅前のコンビニまでじゃん」
二人は意気揚々とランニングを始めたものの、わずか300メートルで足が重くなる。信号待ちで呼吸を整え、再び走り出すが、公園に着くころには美咲の顔は真っ赤だ。
「無理、心臓爆発する……」
「ねえもう帰らない?てかアイス食べたくない?」
「やめなさい!」
結局、公園のベンチで30分も休憩。スマホを開いた美咲はすかさず投稿する。
《ランニング終了!すごい爽快感! #充実感MAX #これから痩せる》
コメント欄がすぐに荒れる。
「終了って、何分走ったんだよw」
「距離よりハッシュタグの方が長い」
「充実感の水増しやめろ」
夜。陽菜が気合を入れて用意した夕食は「鶏むね肉と豆腐のヘルシーサラダ」。テーブルに並んだ皿を見て、美咲は思わず顔をしかめた。
「……なんか、うさぎのエサみたい」
「失礼だな!体にいいんだから」
「せめて塩とかドレッシングとか……」
「ダメ!それ入れたら意味ない!」
不満顔のまま食べる美咲。結局、深夜に我慢できず、こっそりコンビニへ抜け出す。ポテチとアイスを両手に抱えて帰ろうとした瞬間、玄関前で陽菜に出くわした。
「……なにそれ」
「え?これは……夜食のヨーグルト的な?」
「袋からポテチ丸見えなんだけど!」
SNSには即座に晒される。
《合宿1日目、裏切り者発見。夜食=ポテチ確保 #裏切りの美咲 #ダイエットとは》
フォロワーたちは大盛り上がり。
「やっぱりw」
「裏切りが早すぎる」
「合宿=自滅」
二日目。朝はストレッチから始める予定だったが、美咲は布団の中でゴロゴロ。
「……あと5分……」
「もう10時だよ!」
「え、早くない?」
「遅いんだよ!」
ようやく起きても、ストレッチは3分で終了。筋トレは腹筋10回でダウン。午後は昼寝で潰れる。
「……これって合宿って言える?」
「ただの春休みのだらけ会だよね」
「……でも楽しい」
夕食の時間には、ふたり揃ってピザを注文してしまった。箱を開けると、チーズの香りが部屋いっぱいに広がる。
「美咲、もうダイエット合宿じゃなくて、デブ活合宿だよ」
「違う!明日から本気出す!」
「それ、明日からダイエットの常套句じゃん」
SNSにはまたしても実況が。
《ダイエット合宿2日目、夕食ピザでフィニッシュ。 #成功する気ゼロ #でも幸せ》
コメント欄。
「もう合宿解散しろ」
「むしろ体重増加合宿」
「幸せそうだからまあいいか」
布団に潜り込みながら、美咲はスマホを眺めて微笑んだ。努力は続かず、計画は崩壊した。でも、笑って過ごせる友達がいて、画面の向こうで見守ってくれる人たちがいる。それだけで、十分に幸せだった。
ダイエット合宿は、名前だけが立派で中身はグダグダ。走っては座り込み、サラダを食べてはポテチに走り、筋トレより昼寝の時間の方が長い。だが、美咲にとってはその失敗の連続こそが、かけがえのない思い出になった。SNSに呆れながらも温かく見守る人々、厳しく叱りながらも笑い合える友達。結局痩せることはできなかったが、美咲は「失敗しても楽しくて幸せ」という、彼女らしい答えをまたひとつ見つけたのだった。