第一章 崩壊の春
春は新しいスタートの季節。
けれど、スタートラインに立ったからといって、誰もが理想通りに走り出せるわけではありません。
この物語の主人公・美咲は、大学入学式という「新生活の晴れ舞台」で、早くも大失敗をやらかします。
しかしその失敗は、彼女をただの恥に沈めるのではなく、むしろ「笑い」と「新しいつながり」のきっかけとなってしまいました。
第一章では、そんな“伝説のはじまり”を描きます。
四月。桜は満開で、春風に乗って花びらが舞い散っていた。
新しい季節の匂いに包まれた大学のキャンパスには、緊張と期待を抱いた新入生たちが集まっている。
美咲はそのざわめきに混ざる前に、部屋で念入りに身支度をしていた。
鏡の前で髪を整え、白いブラウスの襟を指で直す。手にしたのは高校時代からお気に入りだった、少しタイトめのスカート。
「今日こそは、ちゃんと大人っぽく見えるはず」
そう自分に言い聞かせ、緊張で震える指でボタンを留めようとする。
しかし、思ったよりも腰回りがきつい。昨夜の夜食のラーメンが脳裏をかすめる。
「……入って、お願い!」
無理やり押し込んだ、その瞬間――。
「ピンッ!」
乾いた金属音が、朝の部屋に響きわたった。
飛んだボタンは壁に当たり、床を転がって机の下へ消える。
「……え?」
美咲は呆然と鏡を見つめる。
ブラウスの下から主張する腹回り。きつい生地が苦しげに伸びている。
顔から血の気が引き、胃がきゅっと縮んだ。
その時。
「美咲〜!迎えに来たよ……って、なにしてんの?」
ドアを開けて現れたのは、同じ学部に入学する幼なじみの沙耶だった。
目に飛び込んだのは、赤面して固まる美咲と、机の下に転がったボタン。
沙耶の表情が一瞬で変わる。
「ちょっ……やば!待って、これはネタ!」
カメラのシャッター音が響いた。
「やめて!撮らないで!」
「いや、これは撮るでしょ、絶対!歴史的瞬間!」
沙耶は腹を抱えて笑い転げる。美咲は顔を真っ赤にし、必死にスマホを奪おうとしたが、すでに手遅れだった。
数分後。沙耶のSNSには一枚の写真がアップされていた。
そこには、スカートのボタンが飛び、半泣きでお腹を押さえる美咲の姿。
> 『#スカート崩壊 新入生、初日から伝説を残す。』
投稿は瞬く間に拡散していった。
通知が次々と画面に流れ込み、コメント欄は爆笑で埋め尽くされる。
【コメント欄】
「開始5秒で伝説は草」
「ボタンの犠牲がデカすぎるw」
「初日で学部の顔になったな」
「てか普通に可愛いじゃん、推せる」
「(笑)ごめんけど声出して笑った」
美咲のスマホにも、友人経由でリプライが飛んできた。
「これ美咲じゃね?」「学部に入学した子でしょ?」
「……やだぁぁぁぁ!」
布団に突っ伏しながら叫ぶ美咲。
沙耶はその横で腹を抱え、涙を流しながら笑い続けている。
「やめてよぉ……入学早々、笑い者じゃん……」
「逆に人気者になってるし!ほら、もういいね千超えてるよ!」
沙耶にスマホを突き出され、美咲は恐る恐る画面を覗いた。
そこには数千人の「見知らぬ誰か」から寄せられる反応。
嘲笑や冷やかしもあるけれど、不思議なことに「可愛い」「推せる」といった言葉も多い。
胸がズキリと痛んだ。
恥ずかしい。でも――少しだけ、くすぐったい。
知らない人たちが自分を見て、話題にしている。
それは怖いけれど、同時に心の奥に火を灯すような感覚だった。
「……痩せる」
小さく呟く。
笑われっぱなしで終わるわけにはいかない。
見返してやるんだ。今度は「本当に可愛い」って言わせてやる。
美咲は自分のスマホを手に取り、震える指で新しい投稿を打ち込んだ。
> 『夏までにマイナス5キロ痩せます!!! #ダイエット垢始めました』
投稿ボタンを押すと、すぐに通知が押し寄せた。
【コメント欄】
「おお、決意表明きた!」
「応援するよ!がんばろ!」
「一緒にやりたい!#ダイエット仲間」
「またボタン飛ばすなよw」
「次は成功してくれよ……いや、失敗してもネタだからオッケーw」
賛否入り混じるコメントがどんどん流れ、フォロワー数はみるみる増えていく。
通知音が絶えず鳴り響き、画面が光り続ける。
まるで、自分が“何者か”になったような気がした。
胸の奥が熱くなる。顔は恥ずかしさで赤いのに、どこか誇らしい。
「……見てなさいよ。私、絶対に痩せてやるんだから!」
拳を握り、鏡の前で気合を入れる美咲。
だが、この時の彼女はまだ知らない。
この宣言が「栄光への第一歩」ではなく、数々のドタバタ劇の幕開けであることを。
そして「痩せる」よりもずっと大切な何かを手に入れてしまうことを――。
第一章は、美咲が「笑われる存在」から「笑いを生み出す存在」へと踏み出すきっかけのエピソードです。
たった一つのボタンが弾けたことで、彼女の人生は思わぬ方向へと転がり出しました。
もちろん本人は必死に痩せようとしますが、同時に「失敗しても人に笑顔を与えられる」という可能性を抱え始めています。
この小さな転機が、後に大きな物語へとつながっていくのです。