定員1名
どこにでもいる会社員、女。
やりがいはないが、特に辛いわけでもない、ただ繰り返す日々。
工場に勤める彼女は、繊細な部品の検査業務を担当していた。
検査結果に影響が出ないよう、他の作業場とは遮られた小部屋が与えられ、そこで一日を過ごす。
半月ほど前、隣のラインで小さな事故が起きた。
機械の故障で複数の部品が破損し、生産は一時的に止まった。
圧力に耐えきれなかった機械は、大きな音を立てて壊れた。
ようやく再開され、遅れを取り戻すため、現場は慌ただしくなっている。
彼女の検査作業も例外ではなかった。
普段の倍近い量の部品が届くようになった。
だが不満はなかった。
部屋にこもり、黙々と作業をこなす時間は、彼女にとってなによりも都合がよかった。
作業に没頭している間は、なにも考えずにいられるから。
――異変が起きたのは、ある夕方のことだった。
検査を終えた部品を戻そうと扉を開けた。
だが、次の部品はどこにもなかった。
「あれ?」
小さな違和感。
担当が遅れているだけかもしれない。
彼女は気にも留めず、検査済みの部品を棚に置いて扉を閉めた。
すると――
コン、と、何かが触れるような音がした。
誰かが部品を置いたのかと思い立ち上がった。
扉を開けるが、外には誰もいない。
静まり返った廊下だけが、続いている。
「……気のせいか?」
そう呟き、椅子に戻ろうとしたとき、机の上に部品が一つ置かれていることに気づいた。
そこには、さっきまでなかったはずのものが。
“検査済”の札がついている。
だが、文字は彼女の筆跡とは決定的に違った。
まるで、慌てふためき、震える手で書きなぐったように、線は細く、歪み、跳ねている。
見ているだけで胸の奥に冷たいざわめきが広がった。
「……え?」
じっと札を見つめているうちに、視界の片隅で作業台の明かりが揺れた気がした。
振り返るが、そこにいるのは自分だけだった。
不安に駆られ、扉を開けて廊下を見やる。
赤い警告ランプがぼんやりと光っている。
あの日、事故が起きたあの場所の灯りだった。
(あの日、私はどこにいたんだっけ?)
記憶が揺らぎ、何かがすり抜けていくようだった。
自分の行動がいつの間にか曖昧になる。
そんななか、机の上に部品が増えていた。
それは、彼女の検査したものとは異なる“誰か”の字で、検査済みとされている。
複数の札はどれも筆跡が微妙に違い、焦燥や疲弊がにじみ出ていた。
彼女が見ているのは、確かな自分の“仕事”ではなかった。
別の誰かの痕跡が、目の前で重なり合い、入れ替わっているのだ。
検査装置の使用と入退室を記録する帳簿が静かに揺れている。
揺れるたびに、湿り気を帯びた時間が流れ、文字が波打つように歪んで見えた。
『検査室 定員1名』
そこには、あの日から彼女の名前は記されていなかった。
時折、誰かが帳簿をめくる音がする。
しかし、存在しているはずの「彼女」の姿はどこにもない。
ただ、静寂だけが、いつまでもそこに残されている。