9話 にぎやかな舞踏会
仮面舞踏会は、とても賑やかな雰囲気に包まれていた。
フェリシアが一騒動を起こしていたが、舞踏会を楽しむ紳士淑女の耳には入らない。
ピエロの扮装をした男性がワインの空き瓶でジャグリングを披露したり、妖精のドレスを身にまとった令嬢たちが優雅なダンスを披露したり、占い師の姿をした怪しげな令嬢が手相を見たりと、それぞれ仮装に応じた特技で楽しませることもあれば、歓談に花を咲かせながら余興を享受する招待客も少なくなかった。
レッチーノ伯爵夫妻と本日の主役である侍女たちの笑みも絶えることなく、誰もがこの仮面舞踏会を満喫している――はずである。
「……おかしい。なぜ、フェリシアが来ていないんだ?」
チャーリー王太子を除いて。
フェリシアと一緒に過ごそうと思っていたのに、まったく見つけられない。わざわざ見つけやすいように、美しい青色のドレスをプレゼントした。それも、さりげなく金の糸で縁取りされ、王の薔薇を刺繍した逸品だ。決して被ることはないだろうと思っていたのだが、どこにも姿が見えないのだ。
彼女も招待されていたはずなのに、と探していたのだが、ここまで来て見つからないとなると、なにか理由をつけてこれなくなってしまったのだろうかと思うしかなかった。
かといって、他の女性と遊ぼうと考えるも、これもなかなかうまくいかない。
深くベールを被った令嬢たちは誰が誰なのか分からず、適当に声をかけようとするも理由をつけてかわされてしまう。では、例の婚姻間近の侍女に歩み寄ろうかと企むも、これもなかなかガードが固く、傍に近寄ることさえできなかった。
「まったく、なんなんだこの仮面舞踏会は」
自分がかつてないほど不快な思いをしているというのに、他の招待客が楽しそうにしているのが気に食わない。誰も自分を気にかけることもないのが不愉快極まり、仮面をこっそり外してしまおうかとさえ思えてくる。
そんなときだった。
大扉が小さく開き、こそこそと入って来るベールの少女に気づく。
薄緑色の目を惹くドレスをまとった少女だった。他の令嬢と同じくベールと仮面で顔を隠しているので誰なのか判別がつかないが、遅れてきたことを恥じているのか、こそこそと小さくなりながら入室してきた。
「ふんっ、遅れて来るとは……」
一瞬、フェリシアが来たのかと心を弾ませただけに、チャーリーは落胆する。少しでも嫌な気持ちを払拭するべく、手近な給仕からワインでも貰おうかとするも、遅れてきた令嬢とすれ違った瞬間、その手がはたっと止まった。
「この香り……」
彼女とすれ違ったとき、ふわりと蜜のように甘い香りが鼻をくすぐったのだ。
「フェリシア!」
チャーリーはすぐさま令嬢の腕をつかんだ。
「っ!?」
チャーリーに唐突に手をつかまれ、彼女の表情は仮面で見えなかったが驚く様子が伝わってくる。
チャーリーは彼女の耳元に口を近づけると、弁明するかのように囁きかけた。
「俺だ、チャーリーだ」
「チャーリー様……! 会いたかったです!」
仮面のせいで曇った声は聴きづらかったが、その口調はフェリシアのものだ。
「ごめんなさい。その、いただいたドレスは汚れてしまって……」
「いいんだ、君に会えたことが俺の喜びだ。さあ、一緒に楽しもう」
チャーリーは目を輝かせる。
今日のフェリシアはドレスのこともあってか、どうも落ち込んでいるようだった。遅れてきたことや汚れたドレスを思って消沈するとは、なんと慎ましいのだろうか。ならば、未来の伴侶として、彼女の落ち込む気持ちを晴れさせてやろう。チャーリーは彼女を傍に連れ歩き、さまざまな出し物を一緒に観覧する。最初こそ、フェリシアも大人しかったが、徐々に明るく笑うことができるようになってきた。
特に驚いたのは、後半のワルツだ。
お世辞にも、フェリシアはダンスが上手ではない。社交の場で彼女を連れて参加するときは極力ダンスを避けてきたが、今日の彼女は今までになく最高のパートナーだった。一度も足を踏むことがないばかりか、それに戸惑うチャーリーをさりげなくエスコートするほどの腕前に、唖然としてしまう。
「いつの間に練習したんだ?」
チャーリーが目を丸くしていると、仮面の向こうの彼女は少し喉を詰まらせたあと、貞淑に告げるのだった。
「日頃から。チャーリー様と踊るために」
愛する貴方のために。
その言葉が途方もなく嬉しくて、チャーリーは舞い上がった。顔の熱さを誤魔化すように、何曲も何曲もくるくると踊りつくす。さすがに足が痛くなってきた頃、フェリシアが囁きかけてきた。
「チャーリー様、暑くなってきましたわ」
外に出ません?
チャーリーは二つ返事で了承すると、連れ添ってバルコニーに出る。冷たい夜風が肌を冷まし、ふうっと息をつけば、それまでの喧騒が嘘のように思えるのが不思議だった。
「チャーリー様……婚約のことですけれども……」
フェリシアは小さな声で尋ねてくる。
「その、本当に問題がないの? あたし、側妃になるのも身の丈に合っているとは思えなくて」
「なにバカなことを」
チャーリーはバルコニーの桟に身を寄りかからせながら、大きくため息をついた。
「俺にはフェリシアが必要なんだ。正妃として、共に歩んでもらいたい」
「ですが……アリスローズ・ブルーベルにはどう説明すれば……いいえ、そもそも、ブルーベル侯爵家が了承してくれますでしょうか? だって、侯爵家の顔に泥を塗るような行為でしょ?」
「君は心配性だな、フェリシア」
チャーリーは不安そうな彼女の小さな身体を抱き寄せ、落ちつかせるようにとんとんっと背中を叩く。
「アリスローズの行動に不備があればいいのさ。婚約破棄されて当然だっていう証拠があればいい」
「無理よ」
「問題ない。証拠なんて作ればいいのさ。母上もそうおっしゃっていた」
チャーリーは得意げな顔で、今回の件を母に相談したときにされた助言を続けた。
「アリスローズが親密にしている学生がいてな、その学生とふしだらな関係をもっているという話を作り上げればいい。母上も過去に試して上手くいったことだとおっしゃっていたからな」
「王妃様も……?」
「だいたい、ブルーベル侯爵家なんて古いだけの家系だ。アリスローズにも愛嬌がない。そんな女が国の顔となる正妃になるなんて、考えただけでも末恐ろしい。君みたいに、荒くれものでも怯えずに立ち向かえる強い心と俺を思う優しさととびっきりの愛嬌がある娘の方が正妃にピッタリだ」
過去に何度も繰り返し告げてきた言葉を囁くも、今日のフェリシアはどうも様子がおかしい。いつもなら「ありがとうございます、チャーリー様! あたしのことを、それほどまでに思ってくれるだなんて!」と猫なで声でごろごろと甘えて来るのに、静々と黙り込んでいる。
「……つまり、チャーリー様」
フェリシアは震える声で呟く。
「アリスローズ・ブルーベルが浮気をする証拠を偽造し、婚約破棄をするつもりなのですね。それで、自分は悪くないと言い張り、フェリシアを正妃に迎え入れると」
「ん? あ、ああ。何度も言ってるだろ。どうした、フェリシア?」
チャーリーがフェリシアを気遣うように肩に手を置こうとするも、彼女が一歩後ろに下がり、距離を置かれてしまう。
「その言葉、真実なのですね」
「嘘偽りはない! フェリシア、なんだかおかしいぞ? 君も正妃になれることを喜んでいたろう?」
「……私、フェリシアさんではありませんよ」
令嬢はベールを外すと、麗しい金髪が夜風になびいた。
「改めまして、ごきげんよう。チャーリー様」
ゆっくりと、仮面を外す。
そこに現れたのは、白く整った顔立ちの御令嬢。その名も、アリスローズ・ブルーベル。
氷のような青い瞳で、婚約者を冷たく睨みつけていたのだった。