4話 未来の王と甘い少女
「ごきげんよう、フェリシアさん。あなた、どうしてここにいらっしゃるの?」
アリスローズは扇子で口元を隠したまま、精いっぱいの笑顔を浮かべて問いかける。
フェリシア・アカシアは可愛らしい小さな口をポカンと開けていたが、ややあってから首を傾げた。
「昼食をとるためですけど?」
フェリシアの小さな顔には戸惑いの色すらなく、自分はここにいて当然だという自信に満ちあふれていた。
「なにか問題あります?」
「問題があるから聞いているのです」
アリスローズはフェリシアたちに近づいた。フェリシアに近づくと、ふわっと蜜のような甘い香水の匂いが漂ってくる。この学園では香水をつけてきてはいけないという暗黙の了解を知らないのかと思いつつ、フェリシアに向かって疑問を投げかけた。
「あなた、ここがどこなのかご存じなくって?」
「獅子の間ですよね。すっごく綺麗だし、料理は美味しいし、この学園に入学してよかったーって思います」
彼女は小鳥がさえずるような愛らしい声で、なんとも頭の痛くなるようなことを口にする。
「……ええ、ここは『獅子の間』。限られた者しか入室を許されない特別な部屋ですわ」
アリスローズはため息をつきたくなる気持ちを抑え、なるべく静かに言葉を続けた。
ここは「獅子の間」。その名の通り、柔らかな光が差し込むステンドグラスから椅子の1つ1つに至るまで、どこかしらに獅子の装飾が施されている。天井から豪奢なシャンデリアが下がり、整えられた家具や食器も一級品のアンティーク。それらは学生の食堂の域を遥かに超えていた。
ああ、この空間は確かに素晴らしい。
しかし――昼時だというのに、がらんとした食堂を利用しているのは、1組の生徒しかいなかった。
「まさかと思いますが、フェリシアさん……あなた、会員に選ばれましたの?」
アリスローズは胸元のバッジに目を落としてから、フェリシアのヘーゼル色の瞳に疑いの視線を向ける。
だが、彼女は揺るがない。むしろ、くすっと楽しそうに笑った。
「会員ではないですけど、チャーリー様に誘われたんです。そうですよね、チャーリー様」
そのまま、甘えるように彼の肩にぴっとりと寄り添う。
チャーリーも慌てることはなく、偉そうに腕を組んだまま大きく頷いた。
「ああ。俺が彼女を誘った。別に問題あるまい」
「チャーリー様、勝手に規則を曲げられては困りますわ」
アリスローズはチャーリーをいさめるように告げるも、チャーリーは不満気に鼻を鳴らす。
「不要な規則は変えて当然だろう」
「不要? では、具体的にどこが不要なのかお聞かせくださいませ」
アリスローズは顔が引きつりそうになるのを感じながらも、必死に笑顔をとりつくろった。
「この場所は、ただ優雅に食事をとる場所ではありません。将来、王国の重要な職務を任される者たちが交友する場でもあり、互いを意識し、常に切磋琢磨するための場所でもあります」
「それならば、なにも問題あるまい。フェリシアは将来的に妃として迎え入れる女性だ」
チャーリーはアリスローズに見せつけるかのように、フェリシアの肩を抱きしめる。
「彼女は未来の王家の一員。ならば、ここを利用しても問題あるまい」
「……ですが、いまは違いますよね。この学園に中途入学したアカシア男爵家の令嬢でしかありません」
「ふんっ、屁理屈をこねるな。なら、お前のバッジはどうなんだ? お前が偉そうにつけてるバッジは、俺の婚約者だからつけることを許されてるんだぞ」
アリスローズからすれば、チャーリーの言い分こそ屁理屈だった。
確かにチャーリーの婚約者であるから「獅子の会」のメンバーに選出されたのは間違いないのだが、婚約者でなくとも、ブルーベル侯爵家の令嬢ということで選出されていただろう。現に父も兄も姉たちも例外なく獅子の会に所属していた。
だが、そこに反論する前に、チャーリーは勝ち誇ったような顔をする。
「理解したか、アリスローズ・ブルーベル。お前が学園で大きな顔をしていられるのは、俺の婚約者だからだ。なのに、俺に対する態度はなんだ? しかも、フェリシアを格下のように扱うとは……正妃としての品格を疑うぞ」
「……正妃としての品格と申されましても……フェリシアさんは男爵家の令嬢で私はブルーベル侯爵家の娘。爵位が違いますし、フェリシアさんはこの場所に入るべき資格を現在持っていません。それを窘めるのは正妃でなくても、獅子の会の一員として――……」
「くどい!」
チャーリーは空いている方の手でテーブルを勢い良く叩く。この空間に似つかわしくない荒々しい音が響き渡り、アリスローズはちょっとだけ目を丸くした。
「いいか!? フェリシアは未来の妃であり、未来の王族だ! すなわち、お前と同格になる! ならば、自分と対等な地位の者として接するべきだ!」
「……正妃と側妃の地位は対等ではありませんわ」
「同じ妃だろう!」
「もういいわ、チャーリー様ぁ」
チャーリーが何か言いかけるが、フェリシアがそれを制する。彼女は頬をバラのように赤らめ、うっとりとした眼差しでチャーリーを見つめた。
「あたし、アリスローズさんのことを怖く思ってませんから! そりゃ……ちょっと目が怖いなって思いましたけど、むしろ、もっともっーと仲良くしたいなーって」
「……は?」
アリスローズの口から小さな言葉が零れ落ちてしまう。
だが、その言葉は幸いにも目の前の2人に届くことはなかった。
「フェリシア!! 君はなんて、優しいんだ! あんなに酷い扱いを受けたのに!」
「や、優しいだなんて……もう、チャーリー様ったら! あたし、本当のことを言っただけですから!」
唇こそ触れあっていなかったが、満面の笑みで抱き合っている。2人きりの世界に入ってしまっている彼らに何を言っても無駄だろう。
「……私、気分が悪くなってきましたので退出させていただきますね」
その声に対する返事はない。いや、ちょうど熱々の抱擁を交わしていたので、アリスローズの声を聞き取ることができなかったのかもしれなかった。
もし、ここで目が覚めてくれたら――と、思っていたが、まったく無駄足だったらしい。
彼は正妃と側妃の違いをまるで認識していなかった。
やはり、婚約破棄の計画を進めることにしよう。
それから数日後。
王都郊外のとある屋敷に、次々と馬車が入っていく。
その数は6台。家紋こそ隠していたが、馬車から降りてくるのはうら若き令嬢ばかり。一見すると、お茶会に集う令嬢たちに見えるが、全員の顔がやけに強張っている。彩り豊かな庭園の中心に設けられた東屋に集められた彼女たちは挨拶も早々に黙り込み、ときどき口を開くも会話がまったく弾まない。
「みなさん、ごきげんよう」
張り詰めたような空気に、ゆったりとした声色が加わった。
アリスローズが悠々と庭に姿を現し、フェリシアを除くチャーリーの浮気相手たちに微笑みかける。
「さあ、楽しくおしゃべりしましょう」
しかし、その青い瞳はまったく笑っていない。
氷のように冷ややかな眼差しで、6人の令嬢たちを一瞥するのだった。