番外編 特別な一日
書籍化記念の番外編です。
時系列的には、アリスローズとベンジャミンが結婚してからの話となっております。
楽しんていただけると嬉しいです!
(あとがきに、おしらせがあります)
エーデルワイス王国の都には、ひと際高い寂れた塔が建っている。
一年中、四季折々の花が咲き誇る華やかな都にふさわしくない灰色の塔の周りには、常に俗世とは切り離された陰鬱な空気が漂っていた。
それもそのはず、そこは牢獄――特に中央のひと際高い塔は貴人を収容するために造られたものだった。
そして、いまも一人の青年が最上階に収監されている。
彼の名前は、チャーリー・カサブランカ。
隣国の王子で、元アリスローズの婚約者だったが、彼女の結婚式で狼藉を働いたことをきっかけに投獄されたのであった。アリスローズの誘拐未遂事件、彼女と第四王子の結婚式で血生臭い狼藉を働いた罪により、無期懲役が下されていたが、それはある意味で彼にとって良いことなのかもしれない。
なぜなら、彼の帰る場所がなくなったのだから。
「嘘だろ……?」
チャーリーは新聞の一面に記された文字から目が離せなくなっていた。
そこに踊っていたのは「カサブランカ王崩御」の文字――小見出しにはご丁寧に「数日前に命を落とした王妃のあとに続く」と刻まれている。
「父上も、母上も……?」
チャーリーは目の前が真っ暗になった気がした。自分の足元に底の見えない穴が開き、真っ逆さまに落ちていくような感覚に陥る。
王妃である母は病気とは縁の遠い生活をしていたし、父である国王も右に同じだ。風邪などひいたことがなく、100歳まで長生きすると豪語していたものだ。それなのに、こんなあっけなく亡くなってしまうなんて思わなかった。
「葬儀は……葬儀はいつなんだ!?」
いつのまにか、そんな言葉が口から零れていた。
葬儀なんて参列できるはずもない。外出許可など申請したところで、許可が降りるはずもなかった。
「……そうだな。もう、無理なんだ」
チャーリーは改めて部屋を見渡した。
貴人用の牢なだけあり、ベッドと簡易的な椅子と机が用意されていた。トイレはおまるだったが、周りに囲みがついており、人の眼から隠れることができるように配慮されている。周囲は石造りの壁に囲まれていたが、小さい窓がついており、四季の移り変わりが感じられるようにはなっていた。
地下の一般的な囚人が使う牢獄に比べては快適なのだろうが、チャーリーにとっては不満なところだらけである。
ベッドは硬いし、寝返りを打つスペースもない。おまるにするのも屈辱だったし、係の者が汚物を捨てるのは一日一度。係の者が来るまで、部屋中に悪臭が漂うのを我慢しないといけないのは苦痛でしかなかった。窓はついていたが、自分の顔程度のサイズしかなく、おまけに格子が嵌められていた。部屋のどこにいても、鉄のドアが目につくのも耐えられない。重たい鉄のドアは「お前は一生ここから出られない」という現実を突きつけてくるのだ。
他にも不満をあげ始めたら、きりがない。
今回そこに新たな不満――親の葬儀に参列できないが加わった。
しかしながら、不満を口に出して抗議することはできない。なぜなら、自分は取り返しのつかないことをやってしまったのだから……。
「せめて、弔文だけでも送れたら……いや、それも不可能か」
外と連絡を取ることは禁止されている。
外から差し入れて貰えるのは、食事と新聞だけ。新聞だけが唯一の慰みだったが、まさかそのせいで落ち込むことになるとは思いもしなかった。せめて、気持ちを変えようとページをめくり、再び言葉を失ってしまう。
「……え?」
それは、花屋に関する特集だった。
王都でも指折りの花屋を営む主人のインタビュー記事だったが、そこに見知った名前が出てきていたのである。
『月に数度、ベンジャミン王子がいらっしゃいまして、奥様のための花を購入していかれるんですよ』
ベンジャミンはアリスローズの旦那。
つまり、ここに綴られた奥様とはアリスローズ――自分の元婚約者だ。
『王子はどのような花を買われるのでしょう? やはり、薔薇でしょうか?』
『薔薇は少ないですね。奥様は薔薇にトラウマがあるらしくて……ですが、こちらの薄いピンク色が特徴的な品種だけは買われていきますよ。二人の思い出の薔薇だとか』
その一文を読んだとき、がつんと頭を殴られた感覚に陥った。
「薔薇が……嫌いだったのか?」
それなのに、自分は赤い薔薇を大量に持参した。
プロポーズには赤い薔薇、アリスローズも好きに決まっていると思い込んで。
「……そもそも、彼女がなにを好むのか……知らなかったな」
尋ねる機会は、何度もあった。
幼い頃から、婚約者として会う機会はあったのだから、好きなものを尋ねるタイミングはたくさんあったはずなのだ。フェリシアを筆頭に他に付き合っていた浮気相手たちの好きなものは、いまでもハッキリ思い出せるのに、一番大事にしないといけなかった人のことを何も知らない。
「……ああ、そうか」
自分は最初から間違っていたのだ。
「最初からやり直すことができれば、こんな結末を迎えずにすんだのに」
しかし、すべては独り言。
それに対する返答はなく、冷たい牢獄のなかに消えていく。チャーリーは今日も牢のなかで後悔にさいなまれるのだった……。
※
チャーリーが自分の過ちを嘆いていた頃。
同じ王都の外れにある屋敷では、アリスローズが幸せそうに微笑んでいた。
「っふふ。そちらの花束は誰への贈り物ですの?」
愛しの旦那は、薔薇の花束を携えていた。やや小さい薄いピンク色の薔薇で統一されており、花弁が実に柔らかそうだ。そんな花束を日焼けと傷痕の目立つ武骨な手が握っているのは、ちょっと不釣り合いな反面、そのギャップが大変可愛らしく思えた。
だから、つい――アリスローズは意地悪な問いかけをしてしまう。
「もしくは、職場でプレゼントされました?」
「アリスに買うために。それ以外、誰に渡すと?」
すると、ベンジャミンは少しばかりムッとしたように眉間の皺を寄せた。
「今日は君の誕生日だろ?」
「誕生日のプレゼントでしたら、すでにいただきましたわ」
アリスローズはそう言うと、スカートの裾を軽く持ち上げてみせた。
いま着ている青色のドレスは、ベンジャミンから誕生日プレゼントとして贈られた物だった。しかも、日付が変わるのと同時に「ハッピーバースデー」の言葉と一緒にプレゼントを貰ったものだ。詳細まで思い出すと顔が火照ってしまうが、そのときに貰ったドレスは朝から袖を通し、今日はずっと身に着けていた。
「だが、プレゼントはいくらあってもいいだろ」
ベンジャミンはわずかに首を傾げた。
「それに少しずつ、好きなものを増やして欲しい――俺と一緒に」
そう言いながら、彼は薔薇の花束を差し出してくる。
アリスローズはわずかに言葉を詰まらせた。
当然のことだが、ベンジャミンはアリスローズが薔薇を苦手としていることを知っている。だけど、薔薇の香りが好きなことも理解してくれていた。
「この薔薇は……君が一番好きな香りだろう?」
「……ええ」
アリスローズは目を瞑り、ゆっくりと息を吸い込んだ。胸元から濃厚で温かみのある香りが漂ってくる。そのなかに、ほんのわずかながら百合のような芳しい匂いもする気がする。
「好きです。大好き」
胸いっぱいに広がるオールドローズの香りを堪能し、ほうっと感嘆の息を吐いた。
「ベン」
私が唯一好きな薔薇をくれたことは嬉しい。
素敵なドレスを贈ってくれたことも嬉しい。
だけど、それ以上に1番嬉しいのは――
「私の誕生日をお祝いしてくれて、ありがとう」
アリスローズは目を開けると、少し背伸びをして目の前の男の頬に口づけをした。頬とはいえど、自分から積極的にキスをするのは初めて。実のところ恥ずかしさで顔が真っ赤に火照りそうだったが、それを上回るくらい嬉しかったのだ。
ベンジャミンは虚を衝かれたようで、しばらく目が点になっていたが、状況を理解すると顔が朱に染まり始めた。
「っ、これでは俺が誕生日のようではないか」
「ベンは誕生日プレゼントにキスが欲しいの?」
「……いや、誕生日でなくても欲しい」
ベンジャミンは気恥ずかしいのだろう。わずかに目を逸らしたが、すぐに甘い視線をアリスローズに注ぐと、ゆっくり髪を撫でてくる。その手つきはどこまでも優しく、それでいて、どことなく艶めかしくて、心臓が高鳴り始めた。
「べ、ベン?」
「では、こちらもお返しに」
なにをするの? と聞く代わりに、唇が落ちてきた。
「――っん」
濃厚な熱を感じながら、アリスローズは最初こそ怒ってみせようとした。これではお礼をした意味がないではないか! と。しかしながら、これも悪くない。むしろ、胸の高鳴りは増すばかりで、つぼみが花開くように幸せが膨らんでいく。
(……幸せ)
ベンジャミンと迎える初めての誕生日。
自分の好きな色と好む形のドレス、一番好きな薔薇の花、それから、砂糖菓子よりも甘く蕩けるキス……どれもこれも好きなもので、とっぷりと幸せに浸ってしまう。きっと、来年も、その次もずっとずっと――夢のような日を送ることができるのだろう。
アリスローズは再び目を閉じると、ベンジャミンのたくましい胸に身をゆだねるのだった。