その4 斜陽の国
チャーリーは逮捕されることになった。
しかしながら、まがりなりにも隣国の王族なので、貴族用の牢に収監されている。
「俺は未来の国王なんだ! 俺の女を連れ戻しに来ただけなんだぞ!」
チャーリーは看守に向けて、朝から晩まで自論を叫ぶ。
彼としては大真面目な理由であり、金を使って集めた私兵たちにも「自分の花嫁が無理やり結婚させられそうなので、助けに行くのだ」と至極真面目に語っていた。
この結果、私兵たちからは「金払いが良い上に、浪漫のある男だ」と称されていたそうだ。金をかけた分、それなりに精鋭ぞろいだったらしく私兵たちは雇い主のためにかなり念入りな計画を練っていた。
結婚式場の前で大乱闘を起こし、騒ぎに乗じて少数精鋭部隊が招待客のふりをして忍び込み、花嫁を救い出す計画――このようなことが起きるとは誰も想定しておらず、まんまと彼らの計画は成功する目前まで来てしまったというわけである。
もっとも、ベンジャミンに制圧されたあと、すべての真相を知ると「俺たちは騙されてたんだ!」と評価は一変。私兵たちは口々に「金で雇われていただけに過ぎない」と逃げ出した。
つまるところ、それだけの人望だったわけだ。
「お前にいいことを教えてやるよ」
看守は大きくため息をつくと、チャーリーに語りかけた。
「お前、国に見限られたぞ」
「……は?」
「嘘じゃないさ。今朝の新聞、差し入れてやるよ」
看守は新聞を差し出す。
チャーリーは新聞を受け取った途端、表情が固まった。
「うそ、だろ……」
そこには、カサブランカ王国の王太子廃嫡についての記事が大きく掲載されていたのであった。
「あ、あ、ありえない! だって、そんな、俺じゃなかったら、誰が王になるっていうんだ!」
チャーリーの手が震える。
必死に家系図を思い出し、他に王位継承者がいないか辿ってみた。父王や祖父に兄弟はなく、曾祖父の代にまでさかのぼって、ようやく何人か兄弟がいた。その子孫を辿ってみても、王籍離脱した者や他家に嫁いだ者、修道院に入った者が多く、まともな王位継承者とは言えない。
「王家の血とはいえ、ほとんど他人じゃないか。そんな奴を誰が認め……みと、め……」
そのとき、記事の一文が目に飛び込んでくる。
『国王以下貴族全員が、チャーリーの第一子“マリー王女”を王位継承者として承認した』
「うそ、だろ。マリーは女だぞ。女は王になれない。なれるはずがない!!」
「あのなぁ、そこに書いてあっただろ。法律が変わったってさ」
「ありえない、ありえない、ありえない!!」
チャーリーは新聞を握りしめながら、頭を掻きむしる。
こんな新聞は嘘に決まっていると思いたくても、自分がここに収監されたまま誰も助けに来ないことが非常な現実を突きつけてくる。
「俺は……どうなるんだ?」
「だからさ、前にも言っただろ。結婚式を台無しにした――我が国の第四王子とブルーベル侯国の御令嬢の結婚をな。死人こそ出なかったが、怪我人は多数。おまけに、花嫁を拉致しようとした」
看守は指を折りながら、丁寧に罪状を上げていく。
「お前の国には莫大な慰謝料が請求される。本来なら、お前も引き渡すことになるのかもしれないが……あっちの方が受け渡しを拒否してるらしい。『チャーリー王子なんて、この国にはいなかった』とな。ま、軽く20年は檻のなかだろうさ」
「受け渡し、拒否……なんで……」
「勝手に私兵募って、他国に忍び込んだだけでも犯罪だろ」
看守に残念な目で見られ、チャーリーはその場に崩れ落ちる。
「アリスローズに……会わせてくれ」
チャーリーが言葉を絞り出す。
アリスローズを邪険にしなければ、今頃は彼女と結婚できていた。子どもだって産まれていたかもしれない。自分は王位につき、他の女の子たちとも付き合いながらも、2人で支え合っていたのではないだろうか。少なくとも、こうして王位を剥奪され、牢に繋がれることはなかった。
いまからでも、遅くないのではないか。
「彼女に会えば……彼女が、話をしてくれたら……」
しかし、看守は首を横に振る。
「アリスローズ様は謁見拒否されてる。当然、手紙のやり取りもなしだ。いずれにしろ、今日は無理だろうさ。延期した結婚式の当日なんだから」
遠くから、鐘の音が響いてくる。
鐘の音に驚いて、鳥たちがはばたく音も聞こえていた。
チャーリーは格子付きの狭い窓から青い空を眺め、後悔の念にさいなまれる。
『あなたと私を結んでいた糸は、とっくに切れてしまったのですから』
最後にかけられた言葉が耳の奥で木霊する。
あの言葉の直後、アリスローズは顔に傷を負った男に微笑みかけていた。頬は薔薇のように赤く染まり、幸せそうに目を緩ませながら抱きしめられている――本来なら、己の腕のなかで見せてくれたであろう笑顔は、二度と自分に向けられることはない。
チャーリーの眼からは、初めて後悔の涙が溢れ出た。
※
カサブランカ王国では暗雲が漂っている。
「はぁ!? マリーを引き渡せ!?」
フェリシアは侍従長の言葉に耳を疑った。
「マリーはね、あたしの娘よ? 実際、これまでもあたしが育てたわけだし!」
フェリシアは『あたしが育てた』と言っているが、実際にはアカシア家が選んだ乳母が育てていた。彼女がマリーを抱いたことは数えるほどしかなく、たまに顔すら見ない日もあったが、それでも、自分で育てると主張する。
「マリーはあたしの子よ。他の女にはやらないわ!」
「しかしですね、マリー様は王位につかれる御方。乳母もアカシア家の者が任されておりましたが、クロッカス家が育てられることが決まりまして」
「クロッカス家、ねぇ……ふんっ」
クロッカス家と言えば王妃の実家である。
チャーリーを切り捨てる決断をしたのは、国王や大臣たち。王妃は最後まで、チャーリーを助けようとしていた。フェリシアも表向きは王妃に同調していたが、アカシア家としてはチャーリーを見捨てる方向で動いていた。
フェリシア自身、チャーリーからの愛が薄くなっているのを感じており、万が一、自分の預かり知らぬ場所で男の子を為したが最後、己の立場が危うくなるのは必然。そうなると、「チャーリーはいらないかな」となったのであった。
結果、王妃の望みは潰えた。
王妃は悲しみに暮れ、いまでは王都から離れた別邸にこもる日々を送っている。
代わりに、アカシア男爵家は侯爵となり、勢いを増していった――が、これに危機感を抱いたのは、国王だった。
庶民の人気取りのために男爵に取り立て、マリーの実家としての箔をつけるために侯爵に任命したわけだが、庶民が口出ししすぎるのもよろしくなく、貴族たちの不満が日に日に増していったのだ。
そこで、国王はクロッカス家に乳母を任せることに決めたのである。
乳母というのは、実の親と同じくらい大事になってくる。子どもが成人した暁には、実家よりも乳母の家の方が権力を持っているという状況は多々あることなのだ。
「フェリシア様、どうかご理解を……王妃様の悲しみを癒すためだと思って、マリー様を引き渡してください」
「嫌よ」
フェリシアは言い切った。
「一度、決めたことは最後まで守れっての! マリーのことを女だからってないがしろにしたのは、そっちじゃない」
「うっ……ですが、状況が変わりまして……」
「あっそ。でも、渡さないわ。帰って。帰れっての!」
侍従長は必死に抵抗するも、最後には押されて外に出されてしまった。
「はぁ、嫌な感じ。でも……マリーの警護は増やさないとね。盗まれたら大変だもの」
フェリシアは乳母に抱かれ、すやすや眠る我が子に視線を向ける。
チャーリーを切り捨てた現在、彼女だけが自分たちの生命線だった。マリーがクロッカス家の手に渡ったが最後、なにかと理由をつけて処罰されてしまうかもしれない。
「それに、あたし……あの女のこと嫌いだし」
チャーリーを落とすのは簡単だったが、正妃の座を手に入れるためには後ろ盾が必要だった。そこで、王妃に目をつけたのである。王妃のことを持て囃し、お母様のおっしゃることは全部正解ですわ! と腰巾着のようについて回ることで、彼女からの信を得ることができたが――正直なところ嫌いだった。チャーリーのことを異様に愛していることも気持ち悪かったし、自分が一番偉いと思い込んでいる面も苦手だった。王妃に賛同し続け、王妃の前では彼女好みの衣装や仕草を維持し続けるのも、それなりに気持ちが疲れるのだ。
だから、彼女がチャーリーのことで心を病んで田舎に引きこもったことは、フェリシアからすると手を叩いて飛び上がるほど喜ばしい出来事だった。
「やり返すのは、王さまが死んで立場が逆転したときって思ってたけど、この機会にっていうのもいいかもしれないわね」
父や親族たちも、マリーを――自分たちが手に入れた地位をみすみす捨てたくない。
降って湧いた財と権力に酔いしれ、以前までの生活には戻れないのだ。フェリシアもドレスやアクセサリー、優雅な食事に豪華な部屋での暮らしを捨て、今さら酒場の給仕に戻れと言われたら「冗談じゃない!」と突っぱねる。
「クロッカス家、潰しちゃおうかしら」
ついでに、その領地もアカシア家が吸収すれば、さらに裕福な暮らしができる。この国における一大権力となり、貴族であろうと簡単に逆らうことはできないはずだ。
「まず、パパたちに相談しなくちゃ。ふふっ、いまは大臣さまだっけ?」
窓から差し込む西日に照らされる部屋で、フェリシアは鼻歌をしながら策略を練る。
マリーがぐずって泣き始めたが、「うるさいから早く宥めなさい」と乳母に言ったきりだった。
フェリシアは考えることもしなかった。
自分たちが目を向けるべき相手は、もっと他にいるということを。
カサブランカ王国は終わりを迎えようとしている。