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その3 赤い糸


 ベンジャミンは怒鳴らない。

 チャーリーのように声を荒げることもなかった。

 だが、これまでに見たことがないほど怒ってることは伝わってくる。難しそうな顔は何度も見てきたが、そんなものとは比べ物にならない。髪の毛一本から怒りがにじみ出ており、アリスローズもゾッと背筋が粟立った。


 それでも、これほどまでに怖くてたまらないのに、不思議と助かったと思った。

 彼が来てくれたのだから、もうこの悪夢は終わるのだろうと、アリスローズの心が緩む。


「お、お、お前だな! 俺のアリスローズと無理やり結婚しようとしたのは!」


 一方、チャーリーの声は裏返っていた。

 ベンジャミンが怖くてたまらないのに、強がって叫んでいる。


「俺のアリスローズ、だと?」


 ベンジャミンの切れ長の目が、じろりとチャーリーを睨みつける。


「ひぃっ!」


 チャーリーはみっともない悲鳴をあげ、おずおずと後ずさりした。


「お、お前ら! さっさとこいつを倒せ!」

「し、しかし……あの勲章は……」


 私兵の一人は、ベンジャミンの胸元を凝視している。

 軍服をまとった彼の胸元には、いくつか勲章が輝いていた。たしか、先の戦で死に物狂いの働きをし、敵将を討ち取った際にいただいた勲章だと聞いたことがあった。


「俺たちでは無理です!」

「なに言ってる! お前たちをいくらで雇ったと思ってるんだ! いいからなんとかしろ! ボーナスを弾むぞ!」


 チャーリーが叫ぶと、私兵の眼がきらりと輝き、一斉にベンジャミンに切りかかる。

 それと同時にチャーリーとアリスローズを抱える私兵が逃げようと走り出す――が、ベンジャミンに敵わない。アリスローズの目では追うことができなかったが、あっという間に勝敗がついた。分かったのは、私兵たちが剣をもって突撃しているはずなのに、ベンジャミンは剣を抜く素振りを見せなかったことくらいだ。瞬きをする間に、チャーリーが雇った私兵たちを素手で制圧している。彼らの手から剣が離れ、地面をかんっと音を立てながら転がる。それと同時に、私兵たちは全員そろいもそろって白目をむいて床に倒れ込んでいた。


「おいっ! お前もなんとかしろ!」

「で、ですが、この女は!?」

「俺が抱える! 寄こせ!」


 チャーリーは私兵からアリスローズを奪い取ると、後ろを振り返ることなく走り出そうとする。だが、一歩も進まないうちに、最後の私兵も断末魔を上げる声が聞こえてきた。


「……覚悟はできたか?」


 ベンジャミンはあっという間に近づいてくる。

 彼は歩いているのに、アリスローズを抱えてがむしゃらに走るチャーリーとの距離がぐんぐんと迫って来る。


「は、はぁ……はぁ……」


 チャーリーは途中で観念したのか、荒い息と共に足を止める。

 だが、アリスローズを抱えたまま離そうとしなかった。


「し、しつこいぞ! 俺を誰だと思っている! チャーリー・ロメオ・カサブランカ二世、次期国王なんだ! 俺を傷つけたら、国際問題だぞ!」


 チャーリーは片手でそのあたりに転がっていた細身の剣をつかみ、威嚇するように叫んだ。


「アリスローズは俺の女だ! 安心しろ、愛しの花嫁……! こんな野蛮極まる男を華麗に倒して、すぐに城へ連れて帰ってやるからな!」

「……なにを言うかと思えば」


 ベンジャミンは歩みを止めることなく、ますます眉間に皺を寄せる。

 

「誰と結婚するのかは、アリスさんが決めることだ」

「はぁ!? なに言ってやがる! そんなこと、言われなくても分かってる! 俺とアリスローズは産まれたときから赤い糸で繋がってるんだ!!」


 チャーリーはアリスローズを抱えたまま、ベンジャミンに向かって突進した。

 このまま、チャーリーと一緒に殴られてしまうのではないかという思いが頭を過り、ありえないと思いつつ、アリスローズは咄嗟に目を閉じてしまう。


「せいりゃーっ!!」


 チャーリーのかけ声が響き渡り、剣を振り上げる音が聞こえてくる。

 しかし、ベンジャミンが反撃する気配が伝わってこない。代わりに、ぴしゃっと何かの飛沫がベールにかかった。


「よし! どうだ、このまま――こうだっ!!」


 続いて聞こえてくるのは、チャーリーの必死な叫び。まさか、チャーリーが押しているのだろうか? 万が一、ベンジャミンが負けてしまったら……怪我してしまったら……? そう考えると、戦いに巻き込まれる恐怖を心配する気持ちが上回り、アリスローズは恐る恐る目を開けた。


「――!?」


 チャーリーが闇雲に降るまわす剣を、ベンジャミンは素手で押さえつけていた。右頬から額にかけて、生々しい傷痕が走り、剣を抑える左手からは真っ赤な血が滴り落ちていく。


「くっ、くそ! なんで、なんで、動かない! 手を退けやがれ!」

「貴様は俺の花嫁を連れ去ろうとした」


 絶対痛いはずなのに、ベンジャミンの声色は変わらない。地獄の底から響いて来そうな低い声で、チャーリーに語りかける。


「しかも、俺を攻撃してきた。俺は傷もおった。相手がどこぞの王族であれ、ここで反撃するのは正当防衛になる」


 ベンジャミンはチャーリーを見下ろしながら、彼の手から剣を奪い取る。


「あっ……」

「赤い糸で結ばれている、だったか。ならば、その糸を断ち切らせてもらおう」


 そう言うや早い。彼は剣を取られて呆然とする男の腹に蹴りをさく裂させる。チャーリーが痛みで膝から崩れ落ち、腕の力が弱まった隙をついて、ベンジャミンはアリスローズを力強く引っ張り上げた。


「っ、返せ!」


 チャーリーが声を上げるも、ベンジャミンが答える代わりに裏拳を顔に軽く叩きこむ。


「か、顔っ! 俺の顔が!」


 チャーリーはここで顔を抑えながら、床にのたうち回る。

 その隙にベンジャミンは距離を取り、アリスローズを右腕で力強く抱き寄せた。


「アリスさん、いま外しますね」


 アリスローズは口に巻きつけられた布を器用に外され、ようやく口が自由になった。ほっとするのと同時に肺が息を求め、空気が一気に入って来る。数度咳き込みながら、おそるおそる顔を上げた。


「アリスさん……もう大丈夫ですよ」


 そこには、先ほどまでの怒り狂った男はいない。

 額から血を流しながら、柔らかな笑みを浮かべる青年の顔があった。


「ベンジャミン様、血が……お怪我が……!」

「かすり傷です。貴女が負った傷に比べれば、どうってことありません」


 ベンジャミンが微笑む表情は太陽のように温かく、見つめるだけで緊張で強張っていた心がほぐれていく。ああ、本当に助かったのだと実感すればするほど、アリスローズの目から涙がほろほろと零れ落ち続けた。

 アリスローズの泣き顔を見た途端、ベンジャミンは慌てたように目を丸くする。


「あ、アリスさん、大丈夫ですか!? どこか怪我でも……!?」

「すみません。なんだか、安心してしまって……ありがとうございます、助けてくれて」


 アリスローズは平静を保とうとするのに、声が震えて涙が止まらない。


「私、このまま連れていかれるのかと……」

「アリスさん……」

「い、いい加減にしやがれ……っ!」


 チャーリーの声が割り込んでくる。

 視線を向ければ、よろよろと立ち上がるところだった。これ以上ないというまで美しく整っていた顔は腫れあがり、紫色の唇からは薄っすら血が滲んでいる。


「……勝敗はついた。もう諦めろ」


 ベンジャミンは淡々と宣告するも、チャーリーは立ち上がった。


「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!!」


 チャーリーが叫ぶ。

 ベンジャミンの抱き寄せる力が強くなり、アリスローズは鍛え抜かれた胸板に押しつけられた。


「アリスローズは、俺のことを、愛してるんだ! 俺は、アリスローズの婚約者だぞ!」

「……いいえ」


 ベンジャミンの心音を近くで感じながら、アリスローズは小さく――しかし、はっきりと口にした。


「あなたとの婚約は破棄しました。先に裏切ったのは、あなたです」

「それは、フェリシアの奴が俺を騙したから! あんな金食い女より、お前の方がずっといい女だって目が覚めたんだ!」


 チャーリーの叫びを聞き、アリスローズは嘆息する。

 結局、この男は何も変わっていないのだと確信した。アリスローズが冷めた目で見ているというのに、チャーリーは気づいてないらしく、自分の主張を叫び続けていた。


「なぁ、お前は俺のことが好きだったんだろ? たった一度の失敗じゃないか」

「私は何度も遊びが激しいといさめました。何度も、何度も……でも、あなたは私を見てくれなかった。一度だって、話に耳を貸してくれなかった。もう、愛想は尽きたのです」


 アリスローズはチャーリーを見据えて、しっかりと言い切る。


「あなたは、一度も謝りませんでしたね」

「だって、俺は悪くないんだ!」

「だからです。私は……もう無理です。それに、私はベンジャミン様をお慕いしております。あなたの何十倍も、何百倍も」


 ちょうどそのとき、あたりが騒がしくなってきた。

 警備の騎士やベンジャミンの友人や部下たちが到着したのだ。全員、衣装が乱れており、他の場所でも戦闘があったのだろう。

 ベンジャミンは彼らを一瞥すると、短く命令を下した。


「こいつが首謀者だ。取り押さえろ!」

「「「はっ!」」」


 チャーリーは抵抗することもできず、あっというまに捕縛されてしまう。


「た、助けてくれ! アリスローズ! すまなかった、謝るから助けてくれ!」


 チャーリーがアリスローズを見つめ、もがきながら必死に懇願する。

 アリスローズは冷めた眼差しで返すと、小さく首を振った。


「さようなら、もう二度と会うことはないでしょう」

「そんなっ! 俺は、俺は王太子だぞ!! お前の婚約者だったじゃないか!! 頼むから、許してくれ!! 水に流してくれたら、俺たちやり直せるだろう!」

「もう無理なのです」


 アリスローズは静かに宣言する。



「あなたと私を結んでいた糸は、とっくに切れてしまったのですから」










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― 新着の感想 ―
花嫁を少しの間でも奪われるのは無様としか言えないよ。
[一言] これが甘やかされたおバカの末路か……。 はたして現実をはっきりと受け入れることができる日はくるのだろうか……。
[一言] ここまでの問題起こしたらいくら王太子だろうと母国の王様が身柄を引き取るなんてしないだろ… 良くて幽閉、悪けりゃ処刑の道しかなかろうて
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