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11話 さようなら


「さようなら、チャーリー様」


 アリスローズはそれだけ告げると、呆然とたたずむ元婚約者に背を向けて歩き出す。

 この場に協力してくれたレッチーノ伯にだけ挨拶をして帰ろう。そう思っていたのだが、去り行く背中に声がかけられた。


「お、お前も浮気していただろう!」


 振り返れば、チャーリーがこちらを指さしていた。 


「知っているぞ! 数日前、男と連れ添って食事をしていたろう!」

「いえ、そのような事実はありませんわ」


 なにを勘違いしているのやら、と呆れ果てるも、チャーリーは追及の色を崩さない。


「嘘をつくな! 俺と同じくらいの男にエスコートされてただろ!」

「……もしかして、ジャックのことですか?」


 この数日、他に2人で食事をとった相手はいない。

 アリスローズがまさかと思って聞き返すと、チャーリーは魔王の首を取ったかのような笑みを浮かべる。先程までの青ざめた顔とは一変し、にやにやと口元を緩ませながら、それみたことかと声を荒げてるのだった。


「お前と同じクラスの留学生だったな! 2人でこそこそと話していることも知ってるぞ! 俺の婚約者でありながら不貞行為をしたことを訴えてやる! 慰謝料を請求してやるからな!」

「2人で食事をしただけで浮気を疑われるとは……」


 それだけで浮気認定されてしまうのであれば、チャーリーはどうなってしまうのだろうか。アリスローズは得意げな顔を崩さない元婚約者を心底軽蔑した。


「そっくりそのまま同じ言葉をお返し致します。それから、私はジャックと浮気などしておりません。第一、ジャックは――……」

「私の名前が聞こえましたが、なにか?」


 ここに、一人の落ち着いた声が参入する。

 そこにいたのは、給仕服に身を包んだジャックだった。ジャックは周囲の視線が自分にすべて集まったことに少し驚いた顔をするも、平静を保ったままアリスローズに歩み寄る。

 アリスローズはジャックに目を向けると、小さく肩を落とした。


「チャーリー様はね、私とジャックが愛し合っていると勘違いなさってるのよ」

「まさか……!」


 ジャックの目が点になった。


「確かに固い絆で結ばれてはおりますが、あくまで気の知れた友人同士。それ以上でもそれ以下でもありません」

「どうだかな!」


 チャーリーはまだ信じていないのか、ふんっと鼻を鳴らした。


「友人同士でも、異性と2人で食事に行くとは……はしたないにもほどがある」


 ここに集った誰もが思っただろう、「お前が言うな!」と。

 しかし、ジャックは突っ込むこともなければ狼狽することもなく、あくまで淡々と事実を述べる。


「異性? 私は女性ですが」

「……あ?」

「我が母国では、王家に連なるものは女性であっても軍服が正装とされております。しかし、ここは異国。軍服をまとうわけにもいかず、制服は男物を身につけておりました。誤解を生んでしまい、申し訳ありません」


 このことは誰でも知っている。

 少なくとも、アリスローズのクラスメイトは全員承知していた。初日の挨拶で、彼女本人の口から女性であることを聞いていたし、きりっと引き締まった男装の令嬢は騎士のように美しいので女学生たちはみんな浮足立った。他のクラスにも瞬く間に情報は広まったのだと思っていたが、チャーリーの耳には入らなかったらしい。

 そういえば、彼女が留学してきたとき、すでにフェリシアが転入してきていた。チャーリーはフェリシアと愛を育むことに夢中で、隣国の留学生が抱えた内情まで頭に入っていなかったのだろう。


「嘘だろ。だって、名前も……」

「名前……? ああ、ジャックは愛称です。本名はジャックリーヌ・ライラック・エーデルワイスと申します」

「は、な、なんで……」


 チャーリーの先ほどまでの勢いは完全に失せてしまっていた。


「おわかりいただけましたか? では、これで――ああ、最後に一つ」


 アリスローズは元婚約者の傍で呆然と座り込む国王夫妻に目を向け、せっかくなので大切なことを伝えることにした。


「我がブルーベル侯爵家を訴えるのでしたら、どうぞご自由になさってください」


 それだけ言うと、ドレスの裾を翻し立ち去った。

 バルコニーから立ち去る間際、レッチーノ伯夫妻と侍女に一礼すれば、彼らもにこやかに会釈で返してくれる。

 レッチーノ家はルイーゼの親戚であり、血筋を辿ればブルーベル侯爵家とも繋がっている。今回のことを話すと喜んで協力を申し出てくれた。侍女の結婚は本当で、そのお祝いを汚してしまわないかと心配になったが、意外にも侍女は乗り気だった。かくいう彼女も5、6年前にチャーリーに無理やり交際を申し込まれ、すぐに捨てられたことがあったらしい。


『あの男は私のことなど覚えていないでしょうが、私はいつまでも忘れません。あのときは相手が王族なので泣き寝入りしましたが……あの男の悔しそうな顔を見ることができるのであれば、私はなんだってします』


 侍女は目に闘志を燃やし言い切っていた。

 そんな彼女は、いまはスッキリした表情をしている。さすがにこのような場なので喜びの色を浮かべることだけはしないように心がけているようだが、非常に爽やかな目をしていた。

 アリスローズはそんな彼女を見て、くすりと微笑みかける。



 本当ならこのまま彼女や他の令嬢たちと仲良くテーブルを囲み、話に花をさかせたいが、今日はこの後も予定を詰め込んである。きっと、それは他の令嬢たちや内情を知っている招待客たちも同じだろう。背中で「では、私も帰らせていただきますか」と囁き合っている気配を感じながら、アリスローズは会場を後にする。

 途中、廊下で奥から不機嫌な令嬢が歩いてくるのが分かった。ベールと仮面で分からないが、不機嫌そうな足音や自分がつけているものと同じ甘い香水の匂いから察するに、フェリシア・アカシア本人だろう。

 今回の騒動、フェリシアには遅れて参加してもらわないといけなかったので、ジャックが給仕のふりをして引き留めてくれていたが、もうすべて終わったあとだ。ことが終わったので、こうして解放されたらしい。


「あ……」


 彼女はアリスローズが仮面をつけていないことに驚いたのか、はたっと立ち止まる。


「アリスローズ・ブルーベル……?」

「ごきげんよう、フェリシアさん」


 アリスローズは何も気づいていない顔をして、朗らかに接することにした。


「チャーリー様と末永く幸せにお過ごしくださいませ。途中で離縁などされませんように」


 すれ違いざま、耳元で囁きかければ、フェリシアは「え?」と驚きの言葉を漏らす。


「ちょっと、どういうことですか?」


 フェリシアが尋ねてきたが、アリスローズは歩き続ける。あとを追ってくるだろうかとも勘ぐったが、フェリシアは舞踏会を優先したらしい。曲がり角でちらりと視線だけ後ろに向けたとき、フェリシアの姿はもうなかった。


「さて、はやく帰らないと」


 これからは、もっともっと忙しくなる。

 明日、王城で起きるであろうことを想像し、アリスローズは不敵な笑みを浮かべるのだった。







 翌日。

 王城は蜂の巣をつついたかのような上を下への騒ぎに包まれていた。

 

「ば、馬鹿な! なにを考えているのだ!」


 国王も執務室で書類を受け取り、顎が外れるほど驚いてしまった。何度も何度も書類に目を通し、一字一句間違いがないのか確認し、それでも、そこに記載された事実が呑み込めない。


「ブルーベル侯爵家が離反するなんて、聞いてないぞ!!」


 国王は書類を持ってきた大臣に聞き返した。

 大臣の顔からも汗がたらたら流れ落ち、おどおどと戸惑うことしかできない。


「し、しかし、これは事実のようです」


 大臣は他の書類を続けて王のもとに差し出しながら、オオカミの前に出されたウサギのように震えていた。いまにも逃げ出したいような顔で、王と手元に残った書類を交互に見ている。


「12人の大臣の内、ブルーベル侯爵を含めた8人が辞表を提出しております。彼らもブルーベル侯爵に賛同し、共に離反すると……」

「なんてことだ!」


 国王は体中から血の気が引いていくのを感じた。

 ブルーベル侯爵は外務を担当していたし、他の大臣たちも国を動かすための重要事項を熟知した者ばかり。それらがすべていなくなってしまっただけでも一大事だというのに、我が国と敵対することとなってしまったのだ。


「お前は、お前は残るよな!」

「は……は、はい、検討します」


 国王が釘を刺すも、目の前にいる大臣の歯切れは悪い。


「っ、こうなったのも、チャーリーのせいだ! あいつはどこにいる!」

「王太子殿下は、自室でお休みになっています。その……アカシア男爵家の御令嬢様と」


 大臣はそれだけ言うと、気まずそうに目を逸らす。

 昨夜、仮面舞踏会は早々にお開きになった。フェリシアは馬車を返してしまったので帰るに帰れず、チャーリーが連れて帰ってきたのだ。


『もう、俺には君しかいないんだ』


 チャーリーはフェリシアを片時も離そうとせず、そのまま城に連れ込み、一夜を共にしたという。フェリシアはいまだ事情を知らないのかまんざらでもない様子で、幸せそうにエスコートされていた。

 大臣がぼかしながら説明すると、国王の額に筋が立つ。


「あの馬鹿者をいますぐ連れてこい!!」



 早朝から王城には、国王の金切り声が響き渡るのだった。








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― 新着の感想 ―
[一言] 他人に助けて貰ってる事忘れてるのか気づいてないやつっているんよねぇぇええ
[一言] 国王の、目の前に鏡を設置して お望みの馬鹿者をお連れしました! と煽ってやりたいですね(笑)
[一言] 息子の愚行に気付けなかった国王が悪いよね
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