表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

晴れ時々、掬い上げられた僕

作者: 羽川明

 暗闇の中で、用紙にペンを走らせる音だけが聞こえていた。

 息ができない。もがくように伸ばした手さえ、暗闇の中では(とら)えられない。

 息が止まる、心臓が、止まる。終わりを覚悟した瞬間、深海の底から、水面に浮上するような感覚に襲われる。

 圧倒的な、浮遊感。

 僕は目を覚ました。

 くらくらする。網膜を刺す白が眩しい。ここはどこだ? どこもかしこも、白い。

 白くて、清潔で、嘘臭い。

 この思考は、なんだ?

 何も考えているつもりがないのに、ぐるぐると頭が回転する。思考回路がヒートする。

「あ……」

 声を出すと、しゃがれていて、かすれていた。

 ペンが歩みを止める。

 その持ち主らしい白衣の男の人が、僕を見るなり、一瞬ギョッとした様子で目を見開いた。

「や、やぁ」

 ぎこちない様子で片手を上げる男性。この人は、誰だ?

「私は、その、……ドクター、だ。君の」

 やけに言葉を濁して、男性は答える。視線がきょろきょろと泳いでいた。

「僕はーー僕はーー」

 言葉を(つむ)ごうとする。けれど、(つむ)ぐ糸が足りない。何を話せばいいのか、わからない。

「君は、近藤(こんどう)くんだ。近藤真斗(まさと)くん。わかるね?」

 こんどう、まさと? 目を閉じて、僕は記憶の海を巡る。

 そう、あれは、つみきの箱。積み木の箱に、僕の名前が書いてあった。

『こんどう まさと』

 酷く汚い字で、ママに書かされた、わけのわからない図形。それは今思えば確かに、名前、なのだろう。

「わか、る」

 必死に、声を絞り出す。それだけでとても体力を使う。体がいやに筋張っている気がする。胸元に視線を落とすと、薄い緑色の布の隙間から、ひからびたようにガリガリの体がのぞいた。これが、僕? これじゃまるで、病気みたいだ。

 顔を上げると、ドクターと目があった。ドクターは、ばつが悪そうに目をそらす。

「その、……すまなかった」

「へぇ?」

 肺を潰して空気を押し出したみたいな、情けない音が出た。今の僕じゃ、まともに喋れないみたいだ。

「倫理的な問題は、もちろんあった。だがね、これは、君のためなんだよ」

「……」

 倫理? 僕のため? 何の話だろうか。

「あのままじゃ君は、お母さんに……いや、この話は良そう」

「ぁん、です、か?」

 餌を求める金魚みたいに、みっともなく口をぱくぱくさせて、僕は尋ねる。それが精一杯だった。

「…くは、なん、で……?」

 僕はどうして、ここにいるのか。それが聞きたいだけなのに、こんなにも、もどかしい。かさかさに乾いた舌が空回りする。何か、何かないかと、僕は視線をさまよわせた。

 あった。ドクターの机の、白い用紙の脇に、なにかのパンフレットがある。そこには、

『IQ向上支援プロ……』

 それ以上は、ドクターの腕で隠れて読めない。

「落ち着いて。君はまだ、目を覚ましたばかりなんだから。全身の筋力が低下している。話すことができないのは、そのせいだよ。ともかく、お母さんを呼んでくるね?」

「マ、マを?」

 ママ。お母さん。……お母さんの方がしっくりくる。どうして、僕はお母さんのことをママなんて呼んでいたのか。恥ずかしいな。

「真斗、真斗、なのね!?」

 部屋の扉が開き、女の人が現れた。お母さんに、どことなく似てる。けど、こんな顔だっらかな? ぼんやりとしか思い出せない。

「おっ、かあ、さん……?」

 僕がしどろもどろになりながら口にすると、お母さんの顔が険しくなった。

「どういうことです? 私、治らないなら施設に入れるって言いましたよね!?」

 突然、顔を赤くして激昂するお母さん。どうして、そんな顔で怒るのか。

「あぁ、今はまだ、うまく喋れないだけです。一時的なものですよ」

 ドクターが慌てた様子でそう話すと、お母さんはほっと胸を撫で下ろして、優しい顔になる。

「良かった。真斗、これであなたも、やっと、普通になれるのね?」

 そう言って笑うお母さんの顔は、温かくて、やわらかくて。

 けど、薄っぺらくて。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ