ゲオルグとリサ
リゼルがゲオルグの工房で生活を始めて半月と少しの時間が過ぎた。
アレクシア中の職人たちが軒を連ね、職人街と呼ばれる地区の一画にゲオルグの工房はある。
大通りの一本奥、広さも周りの工房と比べれば些か小ぶりに見える。しかし、若手の職人が一人で切り盛りしているのだと考えればすごいことだ。
「んんーっ…」
その一室。下働き用の部屋でリゼルは起きた。
広いとはいえない部屋に備え付けの小さなベットが3つだけ。本来は寝泊りするだけの不便な部屋だが1人で使うぶんには問題ない。
「よしっ!」
リゼルは手早く着替えて外へ出る。桶を抱えて小走りで向かった井戸で顔を洗うと、冷たい水が爽やかな目覚めを運んできたようだ。
遠くの山の端には朝焼けに染まる紫の雲が流れ、朝靄に霞む街並みからは煮炊きの煙が1つ2つ、2つ3つと昇っていく。
しんとしたどこか幻想的な光景でありながら、隣近所の朝食の香りが鼻孔をくすぐる不思議な世界。リゼルはなんとなく、この時間が好きだった。
「っと…」
あまりゆっくりしてられないな。
リゼルは持ってきた桶に水を汲み、工房へ運ぶ。研ぎに鋼への鍛え、単純な洗い物や喉を潤す用等々など。工房では毎日大量の水を使うため、リゼルは工房にある水瓶と井戸とを何往復もしなくてはいけない。これはかなりの重労働だ。
はじめは無拍子を応用して運んでいた。落ちる力を利用する応用で水の入った桶の重さを移動に生かしたのだ。
だが、半月もした今ではそれは必要なくなっていた。リゼルには高級鍛冶士のクラスがあり、それは鍛冶に関わる仕事をしていれば筋力の成長に補正をかける。おかげで見た目には変化はあまりないが、今では重い水運びも何の問題もないほどの筋力を手にしてしまったのだ。
筋力が上がったこと自体はいいことだ。木剣と比べ少し重く感じた鉄剣も軽々としかし力強く振るえるようになった。
しかしそれが3年間の努力を無にされたようで、リゼルは不快と不満、わずかばかりの不安を覚える。
「…いや、そんな場合じゃないな。」
水を運び終えてもやることはまだまだある。せっかく学院に通えるようにしてもらったんだ。真面目に働かないと。
リゼルは炉の準備を始める。炉の燃料は2種類ある、木炭とダンジョンから採れる燃焼石と呼ばれる魔法石だ。
木炭は安価であるが薪と同じく家庭でも日常的によく使われる。そのため職人ギルドで割り当てられた配給量までしか使うことができない。
一方燃焼石は工房で消費されるような質の低い物でもそれなりに高価であり一般家庭ではまず利用されない。そのため冒険者ギルドからあるだけ買うことはできるが、そもそも高価なのでそれほど量を買えない。
なので安価な鉄製品を作るときは木炭、ミスリル等貴金属を使うような高級武具を作るときは燃焼石と使い分けている。
「あっリゼル君おはようっ。あっ水、もう用意してくれたんだ。あっありがとうございます。」
ちょうどよく工房の主人であるゲオルグがやって来た。リサが言っていたように豪快で厳格という鍛冶士のイメージからかけ離れた少しキョドキョドした男である。
「ゲオルグさんおはようございます。今日は何を用意したらいいですか?」
「い、いいよいいよ。そ、そんな雑用僕がやるから。」
「いえ、下働きなんですから俺に任せてください。それにもうすぐリサさんが来ますよ。寝癖、直しておいた方がいいんじゃないですか?」
「えっ!?」
ゲオルグはぼさぼさの頭を触る。
どうもゲオルグはリサに惚れているらしい。リゼルの下働きも最初は難色を示された。(下働きを雇うとリサに会いに冒険者ギルドに行く口実がなくなるからではないかとか。) だが料理ができない2人の代わりにリサが朝食と夕食を作りに来ると言ったら2つ返事でオッケーになった。
そんなわけでゲオルグは慌てて寝癖を直しに水場へ急ぐ。
「あっと、ゲオルグさん! 炉!炉!何溶かしといたら良いですか!?」
「あっそそそうだね。きょっ今日は職人ギルドに頼まれた鍋でも作っとこうと思うから、てっ鉄をお願いします。」
そう言ってゲオルグは水場へ行ってしまった。
そんな少し頼りない感じのするゲオルグではあるが、いざ鍛冶を始めると人が変わる。おどおどした感じは消えて真剣そのもの、そのギャップが余計に凄みを感じさせているようだ。
というかゲオルグは実際にすごい。持っているクラスは高級鍛冶士と下級装飾士の2つ。おかげで最高クラスの品質でありながら他の武骨な職人たちにはない装飾細工が魅力だ。
だが…リゼルとしてはクラスより作業中のゲオルグの集中力だからと思いたい。
「ふわぁ… おあよう。」
あくびをしつつ、リサが入って来た。
「…おはようございます。」
「ん?やだっ見てた? …あははは、お恥ずかしいところをお見せしました。」
あくびを見られたリサは少し慌てつつ、茶目っ気混じりに笑って見せた。
歳上でありながらとても可愛らしく魅力的ではあると思う。
ただ、リゼルとしてはあまり好きになれない人物である。
「さあ、今日も元気よく鍛冶士目指して頑張ろう!」
「リっリサちゃん!」
日課のようになりつつある鍛冶士のごり押しアピールを遮るようにゲオルグが戻ってきた。
「リっリゼル君は剣士を目指して頑張ってるんだっ。そっその、むっ無理矢理薦めるのはダメだよっ!」
「あーはいはい。私、朝ごはん作ってくるから。」
ぞさんにそう言うとリサはそそくさとキッチンへ行ってしまった。
リサは事ある毎にそれこそ顔を合わせる度に鍛冶士を勧めてくる。オリハルコンにでも手を出したのではないかとか疑うほどだ。
その性質、希少さから金属の王とも呼ばれ非常に高値で取引されているオリハルコンだが、聖鍛冶士がいなければ加工されることはない。
もし聖鍛冶士がいないときに空きあり高級鍛冶士の話が上がればそれだけでオリハルコンは2、3割増しで取引されることになり、本当に聖鍛冶士になったとなれば何倍にも跳ね上がる。もちろん空きあり高級鍛冶士が関係のない下級クラスを取得したとなれば暴落するし、日々ガセネタ詐欺話で乱昇降している。そのためオリハルコンは別名、投機金属とも呼ばれるほどだ。
そしてここ十数年ほどこの国には聖鍛冶士はいない。
「…ど、どうかリサちゃんのことをあまり悪く思わないであげてほしいんだ!」
「えっ?」
そんな疑念を持っていたリゼルにゲオルグが話しかけてきた。
「リサちゃんはその、……あっ…そそ、そういえば今日から学院が始まるね。きょっ今日は午前中の配送済ませてくれたらその後は好きにしてくれていいからそれじゃっ…」
しかしリゼルと目があったことに気づいたゲオルグは話をそらすように捲し立てるとそのままどこかへ行ってしまった。
「…いったいなんなんだ?」
わけがわからないリゼルだが、とりあえずふいごを踏んで鉄を溶かすのだった。
「そういえば、そろそろ学院が始まるかな…」
いそいそと仕事の準備をしていたアレクシア冒険者ギルドのマスター、エリザはふとそんなことを思い出した。
今ごろきっとリサ君は必死に鍛冶士を勧めているんだろうな。
リゼルは回収に負荷をかけることでそれを防止しようとしたが、実はリゼルに貸した奨学金はエリザのポケットマネーだ。そのためどれだけ回収が延びようがギルドに負担は一切かからない。なのでエリザはリサの好きなようにさせていた。
「リサ君はクラス主義が強いからなぁ。」
一般的なクラスを神から与えられた絶対的職業という宗教観からのクラス主義とは異なるが、彼女もクラスの職業に就くことを強いる傾向が強い。
「まあ、それも仕方がないのかな。」
なんとなく、エリザは棚から1枚の書類を取り出す。
上級事務員というギルド、いやどんな商会でもかなり重宝されるクラスを持つリサだが、下級呪術士のクラスを複合していたことによりまともな職に就くことが厳しかった。
というのも呪術士がいわゆる不遇クラスと呼べるものだからだ。
呪術士は敵にデバフや状態異常を付与するスキルに特化したクラスで、反面個人としての戦闘能力はないに等しい。
冒険者なら、高級呪術士であれば上位のパーティーで活躍できる能力を持つが、それ以下は他の戦闘職との複合型は重宝されるが単タイプとなれば正直攻め手を増やす方が有用とされてしまう。
かといって市勢で暮らすにも呪術というネガティブなイメージがそれを邪魔した。
ゲオルグが冒険者ギルドの仕事を優先するという約束で採用したリサだが、他領出身であったのでエリザは念のため身辺調査をさせていた。この書類はそういったものだ。
リサはとある町の薬師の父親の元育った。調査員が現地に着いた頃にはすでに廃業しており父親の行方はわからなかったが、腕が悪く多くの被害者を出したので娘が呪われて呪術士というクラスが与えられたという噂が数多く記録された。
一方で貧しい者たちからは格安で薬を売ってくれた、腕もよく聖人のような人だったとの証言が集められた。その際父親は「自分はたまたま神様から錬金術士のクラスを与えられたに過ぎない。自分がそのスキルを使って他人を助けるのは神の意思であり、自分の幸せである。あなたもあなたのクラスを活かして誰かを、そしてあなた自身を幸せにしてください。」そんなことをよく語っていたという。
そんな父親の元、リサは呪術士というクラスを持ってしまったのだ。
「さて。そろそろ仕事を始めますか。」
エリザは書類を棚に戻すと、机に着くのだった。
はじめてレビューを書いていただきました。やったー