旅立ち
ついにその日がやって来た。リゼルにとっては貴族として死ぬか平民として生きるかを表明する日であり、世間的にはその年15歳を迎える子供たちの成人の日である。
リゼルが案内された広間には既に本家に代々仕える執事の男が待っていた。
「どうぞお座りください。」
「ありがとう。」
男に促されてリゼルは部屋の中央に置かれた椅子に座る。
この椅子を除けばあとはリゼルの前にテーブルがひとつ置かれているだけ。テーブルを挟んで正面に執事の男が立っており、壁に沿うように多くの使用人がリゼルを監視していた。
「先にクラスを確認することもできますが、いかがしますか?」
「いや、始めてくれ。」
「かしこまりました。」
男の合図でメイドが2人やってくる。
コトリッ
左からワインと小瓶がテーブルに置かれた。
小瓶の中身は猛毒。飲めば苦しむことなく眠り、そして二度と目覚めることはないらしい。
ジャラッ
右から巾着の銀貨袋がテーブルに置かれた。
中身は慣例では銀貨30枚。地域や職により差はあるがこの国で平民初任給がおよそ銀貨20~40枚。ヴァイシュタイン領は裕福な部類なのでもう少しあるかもしれないが国全体の平均だとだいたいこのくらいなのだろう。
「下げてくれ。」
リゼルは左のメイドに告げる。
メイドはペコリともせずワインと小瓶を下げた。
「銀貨袋を選ばれますか。ではお着替えを。」
「ああ。」
メイドが着替えを持ってくる。
平民と貴族では着てよい服装というものが決まっており、家名を捨てるのであればリゼルは今着ている服のままではいけないからだ。
だが理由は他にもあった。
椅子が下げられ、服を脱ぎ、肌着を脱ぎ、下着も脱ぎ、全裸となったリゼルを使用人たちはまじまじと見ている。
気分が悪いな。
しかし仕方のないことだ。これこそリゼルをこの場で着替えさせる理由だ。
リゼルのようにヴァイシュタイン家を出る者がこっそりくすねた物が質から流れて、物取りに盗られて、はたまた当人が犯罪者になって、理由は何であれ、ヴァイシュタイン家との繋がりを示す品が犯罪を犯した者の手にあったとなっては大問題だ。
そのため使用人たちはリゼルがなにか隠し持っていないかをチェックしていたのだ。
着替えが終わるとさすがに金だけ渡して放り出すわけではなく、鉄製のショートソードを一振り渡される。
安物の量産品ではあるが出来が良い。剣の目利きには手を抜かない、名門の矜持といったところだろうか。
腰に吊るすとずしりと重い。
うん。
しっくりくるというかなんと言うか、気が引き締まる。
「では、略式ですが成人の儀を行います。
それでは手を。」
男の声に気が付くとテーブルには水晶玉が置かれていた。
「はい。」
リゼルは水晶玉に手をかざした。この水晶玉ではクラスの鑑定が出来る他、それを戸籍と連結させることが出来る。
「…クラスは高級鍛冶士のみ、空きは1。」
男は水晶玉を覗き、そうつぶやいた。
…やはり剣士のクラスは取得出来なかったか……
リゼルもなんとなくはわかっていたことだ。3年間あれほど剣に打ち込んだというのにスキルを得られなかったからだ。
わかっていたとはいえリゼルは少しがっかりした気分になる。だが、思ったほどショックを受けていないのも事実だった。
…大丈夫。
確かにクラスは取得出来なかった。しかし身につけたものは確かにある。
大丈夫、俺は剣士になる。
「ではこれを。」
戸籍を書き換えて家名を消していたのであろうか? 先程まで水晶玉を操作していた男が指輪を差し出す。
この国の国花であるヤグルマギクが彫られたその指輪は戸籍などの情報が魔法で刻み込まれており国民の身分証の意味を持つ。
「ありがとうございます。」
リゼルは銅でできたその指輪をはめる。
これで、名実ともに平民か…
この指輪の材質は身分によって決まる。平民は銅製、聖職者は銀製、そして貴族は金製と法律により定められていた。
「では、これにて成人の儀を終了させていただきます。
それではどうぞお引き取りを。」
「…はい。」
屋敷をあとにしたリゼルは裏山に足を伸ばした。
山を降りれば着くとは言われたが人里までどれほど離れているかはわからない。なので早く出発した方がよいのだがリゼルは最後に老人に別れを告げたかった。
…いた……
いつも鍛練していた場所に着くとそこには珍しく老人が先にいた。
「…旅立つか。」
「…はい。お世話になりました。」
「ふぉっふぉっふぉっ、言うたじゃろ。ワシはなにもしとらん、ヌシが勝手に成長しただけじゃ。」
「…はい。」
そんなことはない。
もしあの日老人と出会うことがなければ今のリゼルはない。それどころかもしかしたら無理に無駄に剣を振り続けて体を壊し、すべてを諦めて毒酒を選んでいたかもしれないのだ。
だがきっと老人は頑として認めはしないだろう。だからリゼルは感謝の念を込めて、ただうなずくことしか出来なかった。
伝わるかもしれない、伝わらないかもしれない。ただ、伝わっていてほしい。
「…ヌシは最強の剣士を目指しておるのじゃったな?」
「はい。」
伝わったかはわからない。老人はどこか遠くの方を見つめて訊ねた。
「…のぅ、ヌシよ。強さ、とはいったいなんじゃ?」
「目の前に立ちはだかる敵を討ち果たす力、でしょうか。」
「で、あればヌシは永遠に強さを手にするとこはできぬな。」
「…何故でしょうか?」
「ヌシの言うものが強さであるならば、それは敵との間にしか存在せぬ。敵を倒した時にそれを手にしたと錯覚しても、それは敵を倒した時には泡と消えておる。故にそれを強さとしそれを求めるのであれば、ヌシは永遠に敵を求め続けねばならぬ。
敵でなければ如何する。ヌシから襲って敵にするのか?
敵がなければ如何する。乱でも起こして敵を生むのか?
果たしてそれは強さであろうか?果たしてそれはヌシの求める剣の道か?」
「…いいえ。」
老人はリゼルの目を真っ直ぐに見つめた。
「問おう。強さ、とはなんぞや。」
「……」
リゼルは答えることが出来なかった。
「…のぅ、ヌシはヌエを求めた男の逸話を知っておるか?」
「いいえ?」
ヌエ? ヌエとはいったい…
「…その昔ヌエという生き物を捕まえようとした男がおった。男は生涯をかけてきた世界中を巡りヌエを探した。じゃがついぞ捕まえることは叶わなんだ。
…何故だかわかるか?」
「…ヌエがとても希少だったからでしょうか?」
「いいや、男はヌエがはたしてどんな生き物なのかを知らなんだからじゃ。」
「……」
「では、そろそろワシはいくかの。」
「はい。…ありがとうございました!」
いつぞやと同じように、老人の背が木々に隠れて見えなくなるまでリゼルは頭を下げ続けるのだった。