3話【妖精猫・ケットシー】
空から落ちてきた黒い子猫を抱えた私は、交易船の甲板の上に降り立つ。
「魔女様、お帰りなのです。落ちてきたのは、なんなのですか?」
「子猫が落ちてきたわ」
「猫、なのですか?」
テトが不思議そうに私が抱える腕の中にいる子猫を覗き込む。
そして船から一人飛び立った私が戻ってきたことで、護衛のリーダーがやってくる。
「全く、いくらAランク冒険者でもいきなり嵐の中を飛び出すのは驚いたぞ」
「ごめんなさい」
「まぁ、一番の功労者にあまり言いたくはないが、正直護衛依頼に関係ないことはしないでほしい」
嵐の雨と風を防いでくれた魔法に浮遊島からの落石を粉砕した魔法など、明らかに並の冒険者ではできない。
それだけの結果を出し、なおかつ落石の危険があった浮遊島は遠くに去って、嵐も収まりつつある。
それでもまだ嵐が続き、警戒を続けてほしい状況で飛び出したのだ、苦言はもっともだ。
「それで、あんたはあの嵐の中で何を見つけたんだ?」
「この子を拾ったわ。濡れていてお世話したいから少し休んでもいい? 矢避けの魔法は変わらず張っておくから」
「落ちてきたやつが子猫ってなんだ。いや、そんな拾ってきた子猫を見せられても困るんだが……」
矢避けの魔法を張り続けられるのなら、余力がある。
それなら警戒を続けてもらいたいが――
「ダメ?」
「ダメなのですか? テトが魔女様の分まで働くのです!」
『みぃー』
「あーもう! Aランク冒険者なのに子どもの見た目と小動物の組み合わせはズルいだろ! 許可出さないと俺が悪者みたいだろ!」
実際に、冒険者のリーダーがどういう判断を下すのか他の冒険者や船員たちが見つめている。
その中で温情ある判断を下すことに躊躇っているリーダーに対して、嵐が落ち着いたことで今まで邪魔にならないように船内に隠れていた商人が現れた。
「いいではないですか、少しくらい休ませてあげても。彼女たちのお陰で船は沈まず。また、この魔法のお陰で雨で余計に濡れなかったのですから」
「はぁ、依頼人からの指示だからな。わかった、十分に休んでこい!」
「ありがとう」
私は、テトを連れて船室に連れ込み、大きなタライに魔法でぬるま湯を注ぎ、雨で濡れて凍えた子猫を温める。
そして、十分に温まり綺麗になったらタオルで拭いて、温かい毛布に包んで抱える。
「さて、食べ物はどうしよう。この子はまだミルクが必要な年齢を抜け出した頃っぽいから茹でた魚や鶏肉を解して与えるか……食べてくれるかな?」
お腹が空いているのか、私の人差し指を甘噛みしてチュウチュウと吸っている。
「魔女様、魔女様。この子に魔女様の魔力、吸われているのですよ。この子もテトと同じで魔力を食べるのです」
テトに言われて私は、胸元の黒い子猫に目を向けると、魔力を吸って元気になったのか満足そうにしている。
その上、その背中には、羽が現れた。
それも鶏のような羽根ではなく、魔力で構成された半透明な妖精の羽根。
それが燐光を振りまいているのに驚き、そっと鑑定魔法でその正体を確かめる。
「――ケットシー……幻獣。年齢は、12歳ね」
妖精猫とも言われる幻獣だとは思わずに困惑する私。
幻獣あるいは聖獣とは、魔法を使い知性が高い生物だ。
精霊や妖精のような魔力生命体とは違って生物としての実体はあるが、魔力を糧に生きるために、魔力が豊富な自然豊かな場所で子育てをする。
成長すれば、自らで魔力を発するようになり魔力に対する依存度が下がるらしいが、このケットシーは、十分な魔力を得られなければ衰弱してしまうだろう。
「失礼します。拾った子猫の様子は……おや、やはり幻獣の類いでしたか」
私たちに休むことを勧めてくれた依頼主の交易商人の人が私が胸元に抱いている子猫を覗き込み、そう呟く。
隠すことのできないほど輝きを発する妖精の羽を持つ黒猫に驚きの表情を浮かべるが、すぐに納得する。
「この子が幻獣だって最初から知っていたんですか?」
「可能性の一つとして考えていました。ローバイル王国には幻獣に関わる古い伝承があるのです。一つ、聞いていただけますかな」
そう言って語り出したのは、ローバイル王国に伝わる浮遊島伝承だ。
ローバイルという国が生まれるより、何代も前の国の話である。
後に、ローバイル王国の王都ができる場所には、大きな半島があったそうだ。
大陸が荒れた時代の中で、その半島には強大な竜が住み着き、その竜の庇護を求めて様々な幻獣や聖獣たちが集まったそうだ。
そうして聖域と呼ばれる場所が誕生したが、欲深い者たちが幻獣や聖獣たちを求めてその地に入り込み住処を荒らすようになった。
そして、半島の主である竜が怒り、愚かな侵入者たちを襲い始めた。
それが更なる争いに発展し、国が竜を討伐せんと軍隊を送り出した。
だが、そうして追い詰められた竜と幻獣たちは、自らの住処である半島を空に浮かべることで逃げ出すことができた。
竜たちが逃げ出した土地に入り込んだ人々は都市を作り、国は栄えたのでした。
以来1000年以上の間、竜と幻獣たちが住まう浮遊島は、大陸の東側の近海上空を移動している。
かつて半島があった場所には、ローバイル王国の王都が生まれ、その王都からは数年から十数年に一度、浮遊島を見ることができるそうだ。
「と、こんな話です」
「そういう伝承があるのね」
私の腕の中では、魔力を吸って満腹になったケットシーがウトウトと眠り始めており、可愛らしい小動物の姿に私もテトも交易商人も頬を緩ませる。
「そうなると、この子は、嵐に巻き込まれて島から落ちた子になるのね」
「そう思います」
やはり、この子が落ちてきたのは事故だったか。
できれば、元の場所に帰してあげたい。
「ありがとう、色々と教えてくれて」
「いえいえ、調べればすぐに分かる極々当たり前な話です。ただ、一つだけお願いをしてもよろしいでしょうか?」
そうお願いしてくる交易商人の言葉に私とテトが小首を傾げる。
「ぜひ、そのケットシーを抱かせてはもらえませんか?」
「いいけど、はい?」
私はタオルに包まれてスヤスヤと眠るケットシーを交易商人に渡すと、まるで大事な赤子でも抱えるように丁寧に、そして喜びに震えるような表情をしている。
さらに、優しく顎の下を指先で撫でている。
撫でられたケットシー自体は、眠りながらも気持ち良さそうにしている。
「おほほぉぉっ……ありがとうございました。よい経験をさせてもらいました」
「良かったの? こんなことで?」
「はい。猫は商売繁盛の縁起物ともされますからね。それが稀少な幻獣ならなおのことです。それに船の上にいると動物との触れ合いもできませんからね」
そう言う中年の交易商は、目尻を下げてはにかんだ表情がなんとも可愛らしく思う。
確かに、船に動物を持ち込むこともないだろうし、あるとしても紛れ込んだネズミなどは食料を食い荒らす害獣のために愛でる対象ではないだろう。
「それでは、私は甲板に戻ります。それと一つ忠告です。幻獣はやはり珍しい生き物ですので、正体を隠した方がよろしいかと。いくらAランク冒険者と言えど、欲深い者や珍しい物好きの者に狙われてしまいます」
「忠告ありがとう」
私たちは、甲板に向かう交易商人を見送り、スヤスヤと眠っているケットシーを見つめる。
「確かに、珍しい生き物は狙われるわね」
「魔女様、どうするのですか? ずっと猫ちゃんと一緒に暮すのですか?」
テトがそう尋ねてくるので私は、静かに首を横に振る。
「幻獣は、魔力と知性が高いから、機会があったら浮遊島に乗り込んでケットシーの群れに帰すつもりよ。それまでは私たちが保護しましょう」
「ずっと一緒じゃないのですか……残念なのです」
そう言ってバスタオルに包まれたケットシーを撫でるテトの表情は、少し残念そうにしている。
「まぁ、ケットシーは知性が高いから群れに還す時に、群れに戻るか私たちと一緒についてくるか、聞いてみましょう」
「なるほど! テト頑張るのです!」
テトの残念そうな顔に、不確定な希望を持たせることを言えば、テトの表情が普段の屈託ない笑みを取り戻す。
そんなテトの表情の変化を微笑ましく思う。
「とりあえず、狙われないようにする方法を考えないとね。無難に、偽装と幻影でケットシーだとバレないようにするだけね。それと緊急時の結界と位置情報を伝える効果を加えて――《クリエイション》!」
私は【創造魔法】で小さな鈴がついた赤い首輪を生み出す。
赤い革製の首輪には、鑑定の偽装と妖精の羽を隠す幻影の効果が付与され、飾りの鈴には、緊急時に結界を張って守り、居場所を伝えてくれる効果が付与されている。
そして眠っているケットシーの首に首輪を付けると、チリンと鈴が小さく鳴る。
「可愛いのですね」
「そうね。さて、私たちも嵐の対処で疲れたから少しご飯を食べに行きましょう」
私は、眠っているケットシーを籠にタオルを詰めた簡易の寝床に寝かせて、食堂で食事の準備をする。
ついでに今も甲板で警戒に当たっている冒険者や船員たちの分の食事も作っておく。
交代で休憩に戻ってきた人たちは、休んだんじゃないのか、と呆れ気味にこちらを見つつも、疲れた後の食事を楽しむ。
また目を覚ました子猫が、好奇心の赴くままに自由に船室内を歩き始め、冒険者や船員たちは目尻を下げて、楽しそうに子猫の姿を眺めていた。
4月30日にGCノベルズ様より『魔力チートな魔女になりました2巻が発売されます。
また『魔力チートな魔女になりました』は、コミカライズが決定しました。
作画は春原シン様、掲載はガンガン・オンラインの予定となっております。
引き続きよろしくお願いします。