約束の窓
夜も、明けが近い。
漆黒の空にほのかな藍色がさす刻限。
神殿の正門の前で5つの赤い瞳をもつ黒いドラゴンは、地に石を転がすような響きを発した。
「……ヤkゥ…ry……ォウ」
−−今、契約完了といったのよね?
ダークドラゴンの声って、地響きみたい。
そんなことを考えているのは巫姫ネフィア。
神殿正面の控えの席には、儀式を進行する神務官や女官たちに混じって、身を清め装束をあらためたネフィアの姿があった。
戦いが収束したのが日の入り直前。そこからダークドラゴンのエスコートで、ボロボロのガルナとともに王都神殿入りしたのが深夜。
そして現在、本来の契約期間を終えても王国を守護したダークドラゴン・アレギアへの心臓返還の儀が行われていた。
大神官にうやうやしく差し上げられた《宝玉=ダークドラゴンの心臓》は、アレギアの身体から伸びた闇に絡め取られ、あるべき場所に戻っていった。
苔のような苦みのある匂いの香と供物の数々、ガガヤ石の噴水のような炎が神官たちの舞とともに奉納される。
感謝と敬意を示す作法の数々が執り行われた。
これにてダークドラゴンの守護の任は解かれた。
赤い5つの目が一瞬瞬いたかと思うと、ドラゴンの姿は自身の呼びだした闇の中へとかき消えていった。
続いて新しい守護魔契約の儀となる。
「姫様こちらへ」
神務官にうながされて巫姫ネフィアが、しつらえの整った正庭の中央に案内された。
作法に従い、香煙と迎魔陣に導かれて上空から舞い降りる若き翼の魔、ガルナ・オルニード。
まだ傷は完全に癒えきってはいない。だが身を清め、契約の儀にのぞむ彼の姿は、神々しいまでに美しく力に満ちていた。
戦いをともにしたウィカも大魔道師として正装に身を包み、主賓席でそれを見守っていた。
契約の儀が始まり、厳かに香が焚かれ、印が結ばれ、詠唱がなされる。
空はいつのまにか夜明けの青に染まっていた。
式は粛々と進み、契約締結の作法の始まりを見届けると、ウィカは座を外した。
向かうは結界の外、正庭を縁取る堀池へ近づいた。
「いるのでしょう?」
暁の、薄明るく睡蓮の咲く水面に語りかけると、薄紅色の花が揺れ、キリカが姿を現した。
キリカは少しの間、口をつぐんでいたが、やがてこぼれるしずくのように語り出した。
「儀が終わるまで、姫を守るのが契約だから」
「そう」
二人が見つめる正庭は結界に守られ、無人の静謐を保っているかのように見えた。
「あなたはガルナの命を狙っていたのでしょう?」
「ええ。彼を倒して、その魔力ごと食べたいと思っている。
魔物はこの世界では繁殖力が弱い。
守護魔契約の巨大なエネルギーを借りて人と婚姻を結び、人の繁殖力を得るか。
あるいは己自身が生きながらえるのに意義を見出すか。
後者ならば、他の魔を吸収するのが、効率がいいの」
今度はすぐに答えが戻ってきた。
「ネフィアとガルナの個人契約完了は結界の中。
引き続き国家守護契約の儀が行われているから、あなたがガルナを狙える機会は、ずっと先になるわ」
「残念なことね」
キリカが言葉とはうらはらに、まったく気落ちした様子はない。
「わかっていたのに、契約したのでしょう。なぜ?」
「さぁ?」
空は見る間に明るさを増し、東の空から曙光が差した。
正庭にかすかに揺らぎが起こった。
「契約の儀が終わったのね」
ウィカの言葉が終わらぬうちに、ガルナが結界の中から飛び出してきた。
腕には大事そうにネフィアを抱えている。
「お姫様を、お姫様抱っこですね。
ガルナったら誰でもなんでも丸太抱きだったのに」
いつの間に現れたのか、女官装束のカシュカが、ウィカの背後で指摘する。
白髪の魔導士は、片目でカシュカをたしなめつつも、苦笑いした。
王国の守護魔となった若き魔が風を巻き起こしながら、キリカとウィカの元に降り立った。
「キリカっ!」
ネフィアはいきなり堀池に浮かぶキリカに飛びついた。
一瞬身を引きかけた跳毒蛇だが、すぐに巫姫が水に落ちないよう、その身体を支えた。
「本当にありがとう」
「対価はもらっているから礼はいらない。
心臓を返してもらいましょうか」
キリカは岸に巫姫を戻す。
「わかったわ」
ネフィアは契約終了の印を切り、肌身はなさず持ち歩いていた緑がかった青い宝石=キリカの心臓を返した。
キリカは呪文を唱えながら、それを胸に納めた。
「これで契約完了」
吐息のようなものをつき、水面に潜りかける跳毒蛇に、
「また会える?」
ネフィアが追いすがった。
わずかに唇を持ち上げることでそれに応えて、キリカは水面に吸い込まれていった。
堀池の水面はかすかな波紋だけを残して、何も映さない。
「キリカと何を対価にして契約したんだ?」
ガルナが尋ねる。
「守り刀よ。
キリカに巻きつかれてどうしようもなくて、一か八か契約を申し出たら、刀を代償に契約するっていうから」
「また、俺にしたみたいに刀をつきつけた?」
「ううん。それどころじゃなくって、ただ握っていただけなの。
装飾が気に入ったのかしら?」
ネフィアは軽く小首をかしげた。
−−その状況で守り刀を手放すということは、命を差し出すのと同義。
−−おそらくキリカは、ガルナの命とネフィアの命を秤にかけさせようとしたのね。
−−なのにネフィアは秤にかけるなんて思いつきもしないで、刀を差し出した。
−−さぞかし驚いたでしょうね。
ウィカは水魔が去った水面の、薄紅の睡蓮を見つめた。
「そうかもな」
あいづちを打つガルナの瞼が半分下がりかけていた。
「傷はもうほとんどよさそうだけど、すごく眠そうね。
披露目の祝宴まで休めるのでしょう?」
老魔導師が気遣う。
「そうなんだよ。そろそろ限界」
ガルナが大あくびをしたところで、ようやく巫姫と守護魔を追って神殿兵や神務官が駆けつけてきた。
「ちょうど迎えも来たようだし、またあとで」
眠気でふらつくガルナの翼の背を、
「部屋まで起きていられる?」
と、心配そうにネフィアが支える。
ふたりが神務官に案内されて結界の中へと入っていくのを、カシュカは目で追って、
「結局、守護契約は2ヶ月の短期なんですよね?
ガルナには十分な実績もできたんだから、慣例通りの契約にすればよかったのに」
と自分の《心臓を持つもの》にごちる。
「ガルナから言い出したことだから、神殿側もゴリ押しできなかったのよ。
彼は思った以上に真面目で律儀ね。
さぁ、わたしたちも祝宴まで少し休ませてもらいましょう。」
老魔導師は楽しそうに微笑みながら、銀髪の朋魔を促した。
ネフィアが案内されたのは神殿の最奥にある続き部屋だった。
格式と品位を感じさせる居室には、女官たちの心遣いで、ネフィアの瞳の色を映したスミレの意匠のティーセットが用意されていた。
上部が扇型になった窓がある寝室には、ほのかに香が漂い、足元には仔アーマードッグ入りバスケットが置かれていた。
ここで契約完了まで、巫姫は暮らすことになるという。
世話役の神務官と女官たちは、この後の手順について簡単に説明したあと、一礼をして下がっていった。
ガルナも案内された部屋でもう休んでいるだろう。
ネフィアも一度ベッドで横になったけれど、気が昂ぶっているのか眠れない。
部屋の中を探索してみたり、寝ているマルを撫でてみたり、用意された飲み物を飲んだりしていると、
「眠れない?」
寝室の方から声がした。
見れば窓に翼のあるシルエット。
「ガルナっ!?」
あわてて窓を開くと、ガルナが翼を広げていた。
「大丈夫なの?」
「一眠りしたら、すっきりした。
入っていい?」
「ええ」
ガルナは翼をたたみ、慎重に窓をくぐり抜けた。
「今度は、つまらない」
窓辺でふたりは顔を見合わせ、クスッと笑いあう。
「どうしたの?」
「ゆっくり話せなかったから。
バーシクを鎮圧したことで、俺の希望が通り、2ヶ月の仮契約になった。
ウィカの家で話した時は、その2ヶ月の間に、他の巫姫をさがすか、別の代価をさがすか、ということになっていたわけなんだけど…」
ガルナは言葉を切った。
外からの光をうけて、ガルナの翼や羽毛が金色に縁取られて見えた。
それを美しいとネフィアは思う。
「2ヶ月後、ネフィアに正式に巫姫になってほしい」
「それって……」
ネフィアが首から顔から真っ赤になった。
「魔物の俺じゃダメかな?」
−−ガルナは魔物っていっても全然怖くないどころか、楽しくて、優しくて、約束は守ってくれるし、頼もしいし………。
−−なにより一緒にいると安心する。
と、いうようなことが頭の中で高速回転して、煙をあげそうになった結果、
「……ダメじゃない、と思う」
ネフィアは消え入りそうに答えた。
「やったっ!
それってOKってことだよね!?」
「……たぶん」
もう気恥ずかしくて顔も見られない。
「なんだよ、その『思う』とか『たぶん』っていうの。
まぁいいや、時間は2ヶ月あるんだ。それまでになんとかしようっ」
喜びの声とともにガルナはネフィアを引き寄せた。
「王国とネフィアを守るのは俺!」
すぐ頭の上では、いつもの調子で宣言するガルナの声が響く。
「なにしろ俺は、《王国の覇者》だからなっ」
思わず吹き出すネフィアを、ガルナの翼が優しく包みこんだ。




