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契約の窓

 陰りを帯びたスミレ色の瞳が「契約の窓」を見上げた。

 聖ダグレカム王国、西の国境である海岸沿いに建てられた塔の最上階、召喚の間と呼ばれる一室。

 結界を幾重にも張り巡らされた部屋には、むせるほどに香が炊かれていた。

 その中央に置かれた椅子には、花冠に婚礼装束の少女が座っている。   

 手には守り刀。血の気のない頬はこわばり、部屋に唯一ある南西向きの高窓に向けられていた。

 頭の高さほどにある上部アーチの細長い窓からは、黄昏はじめた空が覗き、かすかな潮騒に混じって、大きなものが空を乱す気配がする。

 とうとう来た。

 契約の魔物が。

 少女は、神務官たちの目を盗んで持ち込んだ守り刀を握りしめた。

 聖王国は魔物と契約することで存続してきた国だった。

 その建国の様子は、幼い日より寝物語に聞かされるほど国民には親しい《エシュリン叙事詩》に語られている。


 昔、魔導師エシュリンとシ・プサゥの魔物を使った激しい戦いがあった。エシュリンは5匹の魔物を従えて戦いを続けるうち、魔王ウレミカムと出会い、手を携えてシ・プサゥを打ち倒して国を作った。それがダグレカム国の興りである。

 エシュリン没後にウレミカムは去り、それ以降王国守護は魔物と国との契約となった、というものだ。


 だから少女にも契約がどんなに重要なことかわかっていた。

 けれど、納得がいかなかった。

 王国守護の魔物との契約には、代償として巫姫が捧げられるのだ。

 その役は代々王族の姫が担ってきたが、今期は該当する姫がいない。

 このたびの契約更新に際して、現王は姫たちを一人残らず嫁がせてしまったのだ。

 そして血族の末端に位置するセガル伯爵家の第三女、ネフィアが選ばれた。

 婚礼装束の少女は唇をかんだ。

 あくまで噂ではあるけれど、巫姫は魔物に引き裂かれて魂を飲み込まれるとか。

 神務官たちは言葉を濁し、神殿図書館の記録にも書かれていない。

 ……王の姫たちだって逃げ出したのに、どうしてわたしなの。

  名誉なことだとお父様はおっしゃっていたけど、お母様は泣いていた。

 侍女のサライだって、泣いていた。

 名誉って何? 名誉がいいものであるなら、なぜ王の姫たちはこの年を前に矢継ぎ早に嫁いでいってしまったの。

 王国のためとはいえ、十五歳で魔物に食べられて終わりなんて悲しすぎる。

 ネフィアは守り刀をきつく握りなおした。

 神務官たちから、契約の手順は一通り聞いていた。

 魔物が契約する気があれば、この部屋にしつらえた迎魔の陣を読み解いて、ここより東に位置する神殿正庭に巫姫を運ぶ。

 そこに設えられた設えと作法にのっとって契約の儀が行われ、巫姫が魔物に捧げられるという。

 神殿に行ったら、すべては終わってしまう。

 王都生まれ王都育ちのネフィアが魔物を見たのは、10年ごとに行われる記念祭典の折。警護の魔導士が従える魔物は4枚の翼と大きな牙を持つ恐ろしげなドラゴンだった。

 そのように恐ろしい魔物を使役する魔導士には憧れもあるが、食べられる側には回りたくない。

 泣いて訴えたが、王国の運命がかかっているのだと誰も取り合ってくれなかった。

 こうなっては隙をみて窓から飛び降りるしかない。

 恐ろしい魔物に引き裂かれたりするよりは遥かにいい。

 うまくいけば(下には神聖木である珊瑚樹の植え込みがあったはず)少しばかり怪我をするだけですむかもしれない。

 振り返る背後の扉は、外から鎹を打ち込まれ封印されている。

 部屋をでるには魔物の到来を待つしかない。

 緊張と恐怖で、感覚も時間も冷えて凍りついてしまったようだ。

 心臓が苦しいほど打つ。

 永遠と思えるほどの時が過ぎ、やがて……。


 バサッバサッ。


 大きな黒い翼が窓から垣間見えた。

 窓の外を飛び回って、足がかりを探しているようだ。

 契約の窓が、小さくしつらえられているには理由がある。

 外にも内にもいくつもの退魔陣アンアーティグラムをしかけ、さらに内側には迎魔陣アーティグラムを配置した狭い高窓により、小魔を排し魔力と知恵ある魔物を選ぶためだ。

 小窓の向こうの魔物は、どうやってこの部屋に入ってくるのかしら?

 婚礼の椅子の上で身をこわばらせながら、ネフィアは感覚を研ぎ澄ませる。

 ひとしきり羽音がしたのち、大きな鉤爪が窓にかかった。

 禍々しい大きな鋭い鉤爪だ。

 次に外からの光が遮られ、部屋が真っ暗になる。

 激しく大きな翼が伸縮する気配。

 逆光の中で何かがうごめく。

 魔物の息づかい。

 やがて。

 気配が小さくなり、ぴたりと止まった。

「……つまった」

 若い男の声が窓から降ってきた。

 何がおこったのかわからないまま、身構えるネフィアに、

「悪いけど手を貸してくれないかな。

 翼がつかえて身動きがとれない」

 困惑まじりの声が懇願する。

 沈黙がしばし流れた。

「ねぇ? 聞こえている?」

 魔物がふたたび問いかけてくる。

 逆光のコントラストの強い中、ネフィアにも少しずつ状況が見えてきた。

 高窓に魔物が、無理やりな感じでつまっていた。

 一見して上半身は若い男のように見えるが、窓の隙間に一部見えるのは巨大な翼。

「前にも後ろにも全然動けないんだ。

 ほんと、ぴくりともしない。

 だから君、押してくれないかな?」

 拍子抜けするほど親しげなもの言いに、ネフィアは我に返った。

「全然身動きがとれないのね」

 これはチャンス。

 恐怖に縛られていたネフィアの頭も少し回り始める。

 少しでも離れたい気持ちを無理やりねじ伏せた。

 舞踏会で見かけそうな若者のような外見に、恐怖が少しだけ和いだのもある。

 耳が少々尖っていたり、足先に恐ろしいほどの鉤爪がなければ「すべては冗談でした」とおどけそうな風情。

 ネフィアは窓辺で腕を伸ばして若い魔物の顔に守り刀をつきつけた。

 魔物の、明け方の空色の瞳がたじろぐ。

「王国ではなくわたしと契約しなさい」

「え?」

「命は惜しくないの? 契約していない魔物はこんな刀でも刺されれば死んでしまうのではなくて?」

「えええええっと?

 君、王国と魔物が契約するための《契約の窓》にいる巫姫だよね?」

 魔物の額に汗がつたう。

「そうだけど、わたしは巫姫になりたくないの。

 わたしと直接契約なさい。

 あなたを助ける代わりに、あなたは王国を守護する。

 それですべてがハッピーエンド」

 唇の端を持ち上げて強がるつもりだったが、うまくいかず、そのために語尾が震えた。

 怖がっているのを悟られないよう祈りながら、刀を喉元に押し付けた。

 「よくわかった。

 俺と君が直接契約、実にそれはいい考えだと思う。

 ただ王国は広大で、守護する範囲も多様だ。個人と契約してまかなえるほど簡単なことではない。

 巫姫はともかく、正式な作法と儀と陣が必要だ。

 それに、なによりそれ以前の問題がひとつあって…」

 さらに何かを言いかける魔物を制して、たたみかけた。

 何しろ相手は魔物。

 刃をつきつけているうちに有利な契約を結ばないと、丸め込まれてネフィアが食べられてしまうかもしれない。

「わかったわ。とりあえず王国守護の話は後回し。

 王国守護の契約に必要な正式な作法と儀と陣は、神殿の正庭にあるわ。

 予定通り、そこに行けばいいだけのこと。

 今は、ここでできる簡単な契約でいいわ。

 それでわたしと契約するの? しないの?

 死にたいの? 死にたくないの?」

「契約、よろこんでさせていただきます。ただ問題が…」

「細かいこともあとよ。

 契約の儀を行うわ。

 わたしがあなたをその窓から助ける。

 そのかわりにあなたはわたしを守護して、正式な王国契約のために神殿正庭へ赴く。

 そういう契約ならすぐにできるでしょう?」

 ネフィアは踵を返すと、部屋の中の迎魔陣を崩した。

 そして、香炉の灰で契約の法術円ロギアグラフを描く。

「ロギアグラフを知っているんだ?」

「神殿図書館の蔵書を読み漁り、魔導師にも教えを乞うたわ」

「貴族のお姫様だろ? 珍しいね。

 なんでまた?」

「恐ろしい魔物を使役する魔導師に憧れたの」

 貴族の娘がなる職業ではないと反対された。 

 恐ろしい魔物。それを使役できれば何も怖いものはないと思った。

 今はその恐ろしい魔物の巫姫になるか、使役できるどうかの正念場。

 この時に役に立つとは。

 ロギアグラフを描き終えたあとは印。

 指を組み、空を切る。

「印を結ぶ手つきが優雅でいいね。

 見た感じもタイプだし、やっぱり巫姫になって俺と契約しよう」

「それがイヤなの。まだ魔物に食べられたくないもの」

「え? あ? いや食べるってそんな」

「で、あなたの真名は?」

 若い魔物の言葉をさえぎり、鼻先で守り刀の切っ先をぐるぐる回す。

「……ガルナ・オルニード。ライトニングラプター(稲妻鳥)、翼をたずさえるもの」

 切っ先を目で追いつつ名乗る魔物。

「ガルナ・オルニードね。

 エル デル ゼ ナウス

 偉大なる魔導師エシュリンと魔王ウレカミムの名において

 2者の間に契約を。

 我が名はネフィル・フィア・セガル。魔物と契約するもの。

 汝が名はガルナ・オルニード、契約を受けし翼をたずさえる魔物。

 我、汝を窓辺より救い、

 汝、我を神殿の正庭へと護り届けること

 ナウス カン」

 最後の印をガルナの前で結ぶと、手をその胸の前に差し伸べた。

 半分諦め顔の若い魔人が、ふうと身体から力を抜き、人には聞き取れぬ呪文をとなえた。

 あたりが一気に冷える。

 細かい振動のようなものがガルナの身体の内側からこぼれ、やがて胸の奥から青く光る心臓が押し出されてきた。

 心臓はネフィアの手の上で閃光を放ち、凝縮して青い宝石となった。

「これが魔物の心臓…」

「大事に扱ってくれよ。それに何かあったら俺は死んでしまう」

「わかっているわよ」

「じゃ、急いで俺を窓から外してくれ」

「なぜ? もう急ぐことは何もないわ」

「いや、マズイんだよ。奴の気配を背後に感じる。

 このままだと、奴に背後から引き裂かれちまう」

「奴って?」

「前任の《王国の守護魔物》。本来の君の相手」

「ええ!? どういうこと? じゃあ、あなたは何?」

「次の王国の守護魔の立候補者」

「ということは?」

「新進気鋭、絶賛売り出し中の超大型新人。次世代の覇者……予定」

 そんな戯言は、もちろん耳の端っこにかすりもしない。

「王国の守護魔、ではない……」

 金髪と花かんむりの頭が下り、数歩魔物から離れた。

 魔物の心臓=青い宝玉と守り刀を迎魔陣用のテーブルに置いた白い手が、婚礼の椅子へと伸びた。

 飾りのついた椅子はかなり重いはずだ。が。

 ネフィアは勢いよく椅子を持ち上げると、魔物がつまっている高窓に向かってフルスィングした。


 ごん。


 部屋全体が揺れた。

 椅子は砕けた。

 普通、死ぬ。

 それが人なら。

 だが……。

「痛っ。

 いきなり椅子で殴りつけるなんて、ありか?

 いくら死なないからって、怪我もするし痛みはあるんだぞ」

 窓枠に片腕をひっかけ、翼でバランスをとりながら、頭をさする若き魔物。

 窓枠から解放されたようだ。

「死なないのだからいいじゃない」

「なんだと」

「だって、本物の守護魔がきたら、わたしは食べられて死んじゃうのよ。

 せっかく魔物と有利に契約できたと思ったのに、偽物だったなんて。

 王国の守護魔にしては、ひょろっとしていると思ってはいたのよ。

 あなたなんか、王国の守護魔のひとのみでお終いって感じ。

 契約は無駄だったからこれは返します」

 パニックになったネフィアは青い宝玉を鷲掴みにすると、ぐいぐいと窓にぶらさがるガルナに押し付けた。

 そのガルナの背後に、夕日をさえぎる大きな影。

 次の瞬間、窓の外を黒く長い何かが薙ぎ、翼を持つ若い魔物の姿が消えた。


 ゴルルルルルル。


 大気を震わせる音は、声なのか。

 傾きかけた太陽を背後に垣間見えた魔物は、若い魔物よりはるかに巨大だった。

 広げた翼手に赤く燃えさかる5つの目と、牙を連ねた巨大な顎を持つ長い首。

 漆黒の身体に闇と瘴気をまとう。

 芒と霞むシルエットから、太い2対の後肢と、胸元に小さめの前肢が見て取れた。

 窓から垣間見える影に、ネフィアは王国が契約するべき強大な力を持つ魔物の到来を知った。

 目の前の若い魔物と、大きさも迫力も桁違いだ。

 その巨大な魔が、窓の外を旋回している。

 《契約の窓》にしかけられた幾つもの結界を推し量っているのだろうか。

 それとも、その旋回がすでに結界を破る作法なのか。

 どうしよう。

 胸元に守り刀をひきよせ握り締めようとすると、刀を持っていない方の手に何かを握っているのに気付いた。

 青い宝玉、若い魔物の「心臓」だった。

「さっきの魔物っ!! ガルナ・オルニードッ!

 契約は継続中よ! わたしを助けてっ!」

 言い終わるか終わらないかのタイミングで、背後の封印された扉が勢いよく開いた。

「あぶない、あぶない。

 あとちょっとであの顎にかかるところだった」

 獣面の、翼を有する魔物の姿がそこにあった。

 もはや声も出ないネフィアに、

「ひょろっとはないな。

 ここに張られた退魔の陣を破るぐらいの魔力はある。

 なにしろ新進気鋭の次世代の覇者・予定だ」

 魔物は頭頂から背中にかけた白いタテガミをなびかせて、部屋の中に走り入った。

「ほら、逃げるぞ」

 先ほどのガルナと同じ声で言う。

 気がつけば、ネフィアは魔物の腕の中にいた。

 悲鳴をあげる間もない。

「ちょっとおとなしくしていてくれよ。

 それと俺の心臓は絶対落とすな。

 とりあえず逃げる」

 頭の上から声が降ってきたかと思うと、翼の魔物はネフィアを抱えたまま部屋から走り出て、契約の窓と反対側に位置する大窓から外へと飛び出した。

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