タイトル一文字。 同音異字から連想する物語、あいうえお順に書いてみた。
「ろ」 ‐露・路・炉‐
ら行
朝起きると窓が結露している、寒い季節が来た。
路頭に迷う程ではないが、あたしは軽く人生の迷路で迷った。
壁にぶちあたった。
その壁は、冬の冷えた窓ガラスみたいで、情熱をもって近づいたあたしの気力を冷やして涙のよな液体に変え、周りの枠組みを腐食するほどの威力をもっていた。
迷路ならば、少し戻って他の道を探せばいいのかもしれないけど、冷えすぎたあたしは
一時休戦してその場から水蒸気になって消えてしてしまいたい気分に駆られた。
ここまで来たのにちょっとでも戻るのが、自分の中で許せなかった。
ガラスの壁は、目ではゴールが見えるのに通れない道に苛立つ。
勝手に次元を変えてはいけない。空を飛んでも地面に穴を掘ってもいけない。
作られた道を進まなくてはいけない状態で、軌道修正するには戻るしかない。
その現実に、あたしの思考は停止した。
休暇をもらって一人旅に出ることにした。
現実逃避旅行。目的のない旅であたしは、早々に挫折した。
2分に1本電車が来る街で過ごしているあたしは、2時間に1本しかバスがこないような町で時間の使い方が分からない。
元々旅慣れていないのに勢いで飛び出して、乗るはずだったバスに乗れなかっただけで絶望している。
とりあえず人里離れた民宿に泊まってのんびりしようと思った旅のプラン。
自由気ままに行こうと、送迎を断り自分でバスを乗り継いでいこうと思ったが、電車が遅れてバスに間に合わなかった。
2時間待つには駅前には何もなさすぎる。
天気はいいけど、目的地まで歩くとか、そんな太川陽介みたいなことできない。
あたしは蛭子能収よりも歩けない自信がある。なにより、一人じゃそんな気力ない。
今から電話して迎えに来てもらうのが妥当か。その車も多少は待たなきゃならないだろうが。
あたしはカバンからスマホを出して、民宿の電話番号を探した。
「ああああ、バス行っちゃったよ」
旅慣れた感じの登山用のカバンを背負った男が駆け込んできた。
あたしが乗る予定だったバスに乗るはずだったのだろう。
「はい。電車遅れてあたしも間にあいませんでした」
「電車? ああそうなんだ。 俺、1時間前についたんだけど、飯食ってこの辺フラフラして急に催して駅でうんこしてたら間に合わなくなっちゃったよ」
うんこって。
「しょうがない。歩くか」
「え、あ、どこまでですか」
「えっと、たしか、ここ」
男はバス停に書かれた停留所を指さした。あたしが行く所と同じだ。
あたしは電話をする手を止めた。
「あの、歩いたらどれくらいかかるんですか」
「1時間半くらいで着くんじゃん」
「1時間半……」
「もしかして、ここに行くの?」
「はい」
「じゃ、行こう。俺、道知ってるから」
男はあたしの手をつかんで歩き出した。
「え、え、あたし、歩くなんて」
「二人だったら楽しく歩ける」
「で、でも」
あたしは繋がれている手を上下に振った。
男は勝手に繋いでだ手に気づき、熱いものから手を放すみたいに驚きながら手をひっこめた。
「ごめん。つい。俺、福祉関係の仕事してて、一緒に歩くとき手を取る癖があって」
「そうなんですか…」
久しぶりに男の人に手を握られて、ものすごいドキドキしてしまったが、
男は悔しくなるぐらい、そういう男女の恥じらいみたいな感じを全く出さなかった。
福祉関係という言葉が、その気安さを優しいものに変え、妙な安心感を生み出した。
あたしは、その男と一緒に歩くことになった。
山道に面した狭い歩道を、バス旅のマドンナのつもりで頑張って歩いた。
朝露に濡れた落ち葉が、天然のアロマとなって心を落ち着かせてくれる。
お互い名前や年齢は聞かないで、いろんな話をしながら歩いた。
本当にたわいもない話。
旅先の恋みたいな甘い雰囲気もないし、出会った人の一言に救われたみたいな名セリフもない。
ただ。楽しかった。
程よい有酸素運動であまり寒さも感じなかった。
お遍路みたいに、歩くという行為が移動だけでなくとても意味があるように思えてくる。
戻りはしなけど、ものすごく遠回りをしてゴールに向かう道を進んでいるような気がして来た。
目的地のバス停付近は民宿やホテルが結構あって、さすがに宿泊先は違う所だった。
それぞれの宿泊所に向かい別れた。
民宿の暖炉にともる火が、暖かく迎えてくれた。
都会の冬より暖かい室内。窓は二重窓で結露もしない。
人生迷路に立ちはだかった冷えたガラスの壁は、よく見たら普通の窓かもしれない。オフィスの開かないガラスの窓じゃなくて、家のベランダの窓程度。
開ければ、そこから違う世界が広がっている。
ぶち当たったら、まずは鍵を探さがせばいいんだ。
その鍵は自分だけの中にあるとは限らない。
今日出会った人と、一生懸命歩いてたどり着いた場所で、そんな風に思えるようになった。
朝、部屋の二重窓を開けると昨日の男がこちらに歩いてくるのが見えた。
気が付くかわからないが、手を振ると
「一緒に散歩にいきませんか。寒いけど気持ちいですよ」と手を振り返してきた。
あたしは返事をして窓を閉めて急いで着替えた。
なんだかすごく温かい気持ちになった。
窓を開けて新しい風が吹き、あたしの心の暖炉に火がついてしまったかもしれない。